千文小説 その947:亀
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
考えてみたら、iPadは、とても自由です。
MacBookは、Pro確定の、一台限定。
iPhoneは、バッテリーとOSの寿命に鑑みて、スタンダードサイズの、Pro仕様。
それぞれ、ベーシックな色合いで揃えて、炬燵の上、メインを張る。
なかなかの、重責。
比べれば、iPadは、もはや、羽のよう。
そもそもが、あってもなくても、構わないし、色やサイズやスペックや台数も、特に問わない。
最高じゃん。
やりたい放題じゃん。
…の、はずが。
なぜか、デバイス随一の、窮屈感。
MacBookもiPhoneも、物体としては重いけれど、どことなく、軽やかな雰囲気で、毎日触っていても、威圧感、ゼロ。
なんでかな…。
なんで、iPadは、僕にとって、非常な重荷なのか。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
無印の第五世代と、第九世代。
直接対決には、前者が、勝利。
しかし、後味は、なんとも、苦い。
それは当然で、というのも、第九世代は、リセットされたからと言って、部屋から出たわけではない。
ほとんど新品のまま、クローゼットに、待機していると言って過言ではない。
重いね…。
iPhone12 miniも、同じ状況ではあるのだが、やはり、iPhoneには、SIMカードというものがある。
回線を、複数引くならともかく、通常は、個人の使用であれば、SIMカードは、一枚のみ。
SIMを抜いた、その時点で、iPhoneは、現役を、やめる。
その際、iPhone7のように、OSが、一世代前とかであれば、同時保存の意義もあるが、12 miniの場合、今代と同一なので、併台も、不可。
よって、きれいなまま、クローゼットに眠っていても、罪悪感は薄い。
ぴーぷす、ぴーぷす。
取り得る道は、ただ一つ。
第五世代を、第九世代に引き継いで、リセットし、クローゼットに収める。
どんなに使いづらかろうと、自分で買ったのだからと言い聞かせて、第九世代と、どうにか、折り合いを付けていく。
…ほらね。
ちっとも、自由じゃない。
自分に言い聞かせてまで、使用を継続しなければならないほどのニーズは、はっきり言って、ない。
無理するな。
おんぼろだろうが、まだ動くうちは、第五世代と、仲良くやろうじゃないか。
…しかしね、それだと、いつかは買い替えなくてはならない、という強迫が、常に、ちらつくんですよ。
要するに、第五世代に、完全に、満足して、第九世代を、追い出したわけではない。
どっちも、いまひとつなのです。
その事実を、まず、認めなくては。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
あってもなくてもいいものを選ぶ時にこそ、その人の、最も大事にしている信念が発揮されます。
どうしても、素敵な色じゃなきゃ。
Apple Pencilを使いたいから、対応モデルを吟味しなきゃ。
人の数だけ、基準があるなかで、さて。
僕は、どんな理念に則って、iPadを選んだの?
それは、もちろん。
最も安いシリーズの、最も小さい容量の、最も地味な色を。
…お金かよ。
その通り。
キーワードは、吝嗇。
気に入った機体に、喜んで払う、のではなく。
予算ありきで、カタログを見て、リストの最下段をご注文。
…それは、まあ、もめますよね。
実物を、見ていないのだもの。
完全に、概念でチョイスしているのだもの、いざ、箱を開けたら、イメージと物体のギャップに、がっくり来るに決まっている。
でも、iPhone7も、iPod touchも、型落ちの、残り色だよ?
iPhone Proや、MacBook Proに至っては、一切、触れもしないで、ネット取引だよ?
それぞれ、かなり、うまくいっているじゃない?
iPadだけ、ぐちゃぐちゃするのは、なぜ?
…買った値段、言える?
手放した物も含めて、全九台のApple製品のうち、買値を即答できるのは。
iPhone12 mini。
MacBook Air。
無印の第九世代のiPad。
リセットされ、クローゼットに眠っている機体たちのお値段だけは、きっちり、覚えている。
それこそが、失敗した買い物の特徴。
いくらだったっけ?
忘れたよ。
いいじゃん、そんなの、どうでも。
笑って言えれば、あなたとその品は、大変、仲良しです。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
床の上、古びた洗面器に詰まって、爆睡の愛猫に、西武ライオンズのバスタオルを、掛け直して差し上げつつ。
天板の上、静かに横たわる、五台の愛機を見やります。
今度こそ、お金でない基準で、iPadを買いたい。
真に愛する一台にめぐり会うまで、カメの歩みで、探し続けたいです。それでは、また。
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