千文小説 その986:最終定理
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
iPadを使っていて、大変、快適です。
毎日、とても楽しく、電子書籍を読んでいます。
しかし。
…なんだろうな、この違和感。
直視すると、するりと逃げて、消えてしまう。
無視すると、ちくちくと、心身をさいなむ。
何が、悪いのか。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
床の上、古びた洗面器に詰まっておやすみの、寝相の派手な愛猫に、時折、無駄と知りつつ、西武ライオンズのバスタオルを、掛け直して差し上げつつ。
炬燵の上、スタンド代わりのブラックキーボードに寄り掛かる、ホワイトベゼルに金縁の、ホームボタン搭載タブレットと向き合います。
横向きです。
ホームボタンの位置は、通常は、右に来る。
僕の場合は、断固、左。
…この辺、だろうな。
正しい方法で使っていない、という負い目が、常態化した違和感の形を取って、現れる。
せっかくのキーボード付きカバーを活かせなかったのも、ひとえに、カバーを装着すると、ホームボタンが、右で、固定されてしまうから。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
努力は、したのです。
ボタンの左右くらい、どうでもいいじゃないか。
そのうち、慣れるさ。
我慢して、使ってみましたが、…無理。
耐えかねて、くるんとひっくり返して、今に至る。
自分は、つくづく、気が小さいな、と思うのは、そこで、己なりの快適に甘んじられず、やっぱり、正しい向きで、使わなくちゃいけないんじゃないか。
うじうじと、規則に背いた罪悪感を、引きずってしまうこと。
別に、どんな向きで使っても、iPadは、怒らない。
それでも、諸々、右手で操作することを前提に作られたのであろう仕様が散見され、ボディーブローのように、快適を侵害する。
いかに楽しくとも、僕とiPadの仲は、にせものだ。
キーボードもタッチペンもなし、左右も反転。
そんなので、本当に、iPadを使っていると、言えるのか?
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
打開策は、二つ。
まずは、今代、無印の第五世代を、ホームボタン右向きで、使う。
キーボードスタンドに立てて、日々、正位置で操作して、慣れたら、元々のキーボードの持ち主である、無印の第九世代に、引き継ぐ。
ベゼルがブラックになっただけで、ほぼ同じデザインの第九世代を、やはり、ホームボタン右向きで使って、慣れたら、第五世代を、リセット。
箱に納めて、クローゼットに安置して、そのまま、第九世代を、OSのアップグレードの期限まで、今代として。
アップグレードの終了とともに、Proシリーズ、11インチ、スペースブラック、256GB、Magic Keyboard付き、を購入し、引き継いで、リセット。
第五世代と第九世代は、仲良く古びて、クローゼットに眠る。
いいですね。
まことに正しい、青写真。
罪悪感など、どこにもない。
これができないのであれば、仕方ない。
俺は、俺の正しさを、貫くぜ。
ごめんよ、第五世代。
ホームボタン左向き、よそ様のキーボード、なんともちぐはぐなまま、永代続投で、頼みます。
ごめんよ、第九世代。
購入後、わずか数ヶ月で、お蔵入りの憂き目を見させて。
もう二度と、iPadは、買いません。
iPhoneとMacBookで、書いて、生きます。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
…前者には、相当な覚悟と忍耐に加えて、相応な資金と時間が要る。
山中鹿之介ばりに、我に七難八苦を与えよ、と気合いを入れたうえで、かなりの貯金を持たないと、とても、挑めない。
基本路線は、後者です。
が、これはこれで、ざっくりし過ぎている。
もう少し、粘って、なんとかならないか。
具体的には、iPadはもう買わない、という決意は、素晴らしい。
そこは、ぜひ、貫いて欲しい。
ただ、あまりにも、第五世代と第九世代に、差別がある。
八年物を、がんがん使い、半年未満を、眠らせる、というのは、どうにも、アンバランス。
彼らをもって、ホームボタン搭載モデルは、廃版。
彼らをもって、僕とiPadの歴史も、一区切り。
ならば、どちらかを贔屓することなく、かつ、ユーザーの僕が納得のいく使い方を、残された時間をかけて、模索していきましょう。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
無印の第五世代、ゴールド、32GB。
無印の第九世代、スペースグレイ、64GB。
第九世代用のフリップケース、イングリッシュラベンダー。
第九世代用のキーボード付きカバー、ブラック。
この四つを、捨てずに、活かす。
最終定理の証明に、本腰で、取り組みます。それでは、また。
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