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大雨の中で思う現実

私は「不安」や「嫉妬」というものにうんと学ばせられた。

自己否定、劣等感。対人関係。どうして他の人ができるのに私には出来ないんだろう私はダメな人間なんだ。社会不適合者だ。おまけに頑張っても中々身につかない。好きな絵も、どれほど描いても納得いかない。ゴールがない。認められたい。好かれたい。信じられたい。もう絶望したくない。それらのような、拭い去ることが出来ない不安な気持ち、それは年々望むものが増えてゆくたびに増加する。需要に対して供給が全く追いつかない。

こんな様々な不安から逃げ続けてきた結果。私には課題が山積みだ。自業自得以外の何者でもないのだが。今日の日記も、感情のままな文章だ。最近は悲しくて泣いてばかりいる。泣くことでしか感情を表現できない自分の想像力の無さにがっかりする。消えてしまいたくなる。消える。そう本気で思って実行したことは何度もあったけれど、こうしてしぶとく生きている。

不安や嫉妬はわかりやすい。私が今まさに手に入れたいものが明確に目の前にあるから。それに気がついたのはほんの一年ほど前。羨ましく思った事をかたっぱしから書く。劣等感を感じた時も夜日記に描いておく。

夜、そうして感情を書き綴る行為を「エクスプレッシングライティング」という。うつ病患者などにも効果のある認知行動療法だ。直にノートに書久野が一般的だが、スマホやこう言ったブログなどにも綴ることも効果はあるといわれている。不安なことがありすぎて、涙も出ないくらい混乱していて、頭の処理が追いつかない時なんかにもってこい。私はよく書きながら寝落ちする。不眠症で眠れなかった過去に比べればなんと幸せなことか。

学ぶことで、人生をイージーに、できると愚直に信じて本を読み漁り認知行動療法を実践している。いつか、おすすめの本を紹介できたらいいな。

不安も嫉妬も、決して悪ではない。自分を写す鏡。

話かわって、明日は母の脳のMRIを撮る日。脳に転移がないかを調べるものだ。あと5日で結果がわかる。私には祈ることしかできない。私も11日、説明に同席したい。大切な家族。大切な時に私はいつも側に居れない。悔しいが、これが親元を離れるという事でもある。母の安否をきっかけに、自分のこれからの人生の事も改めて考えた。たとえ、私が精神疾患を持っている「社会的弱者」であろうとも、それでも強く自分を律しなければならない無理難題がもっと沢山降りかかってくるだろう。弱者という盾を、武器に変えてゆかなくては生き残っていけないのだと思った。

弱者であることに強みを見出す。一見矛盾しているように思える、でもそういう弱い者扱いをされる中で、弱みの中にも強みに変えられる自分の性格のような物を感じた時は、少しだけ絶望感が引けていったような気がした。大切なひとの元へ行く移動費もままならない私だが、何くそという思いで、苦肉の柵に出てとにかく所持金を増やすことにした。

また、お墓にまで誰にも知られずに持っていく秘事が増えてしまったな。明るい世界と闇の部分、両方見ると、人間のヘンテコさがとてもおもしろくて、自分とは、というスパイラルに陥る。そして思考放棄する。生きてるだけで幸せなんて嘘だから、生きてる限りは笑いたいんだ。

明日も、母のために祈る。

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