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【チェロ練】サードプレイスとしてのチェロ教室

チェロに関しては教わったそばから全て忘れていく私です。
結局夏休み期間は無気力の局地に至ってしまい、チェロもそこまでひけてません。普段はもっと弾けてません。えーん。
チェロは一度やり始めると楽しくなるんだけど、まずケースから引っ張り出すというアクションがどうしても億劫でできないことが多いです。なぜなら無気力だからさ。チェロスタンドに置きっぱにしておくというソリューションもありますが、除湿機の水が満タンまで溜まり止まった瞬間湿度が75%まで跳ね上がる我が家でそんなことは絶対にできないのである。

そしてちょっと前に毛替えしてからまだ音がうまくならない。ここまで松ヤニを塗らないと音が鳴らないとは、もはや弓に毛を張らずに松ヤニで弾けばいいのでは?と思ってしまうくらいに松ヤニなき毛はあまりにも無力だ。松ヤニで弾くってなんだよ。

チェロのレッスンは土日のいずれかになることが多い。私は休日や祝日の道路事情が何よりも嫌いだ。平日の車には早く家に帰りたいという思いが宿っており、皆「早く帰る」ことを目的としてわりかしdecentな運転をしていると思うのだが、これが休日になったとたん寝てるのかな?ってくらいゆったりと運転される方が爆裂に増える。ただでさえチェロ教室への道中は異常に混むエリアなのに、休日のうららかドライバーが増えることでそこは地獄と化す。

一番神経を逆なでするのは
遅い自覚があるのに追い越し車線にいる車と
遅い自覚があるのに赤信号のときに前にすり抜けていくバイク
です。これはさすがにどんな理由があってもだめだ!笑

とか人のせいにしてますけどこういう精神状態にあるときはだいたい自分が8000%原因である。混むとわかっていながらギリギリに家を出てしまったこと、夏休み中に無気力がはびこって充実して過ごせなかったこと、お盆で家族から向けられた呪詛、そろそろ仕事が始まってしまう焦り…などが絡みに絡み合って私は醜いモンスターになっていた。これからチェロを習いに行く人間の精神状態としてこんなに不適切なことある?

というかんじで、チェロレッスンに向かう私は基本的に不機嫌の塊である。

このような鬱屈した人間にとってサードプレイスの効果はものすごい。ご機嫌でいるためには自分の煮えたぎる怒りから距離を置くことが必須だが、基本的に怒りを手放すのってまあまあ不可能だ。それでもチェロの先生という私の日常から一番遠い人と会うイベントになると、あまりの関係の遠さのおかげでその不機嫌を手放すことが容易になる。 よくアンガーマネジメント系の本で出てくる、「子供を叱りつけてる最中にかかってきた電話に出た瞬間すぐによそ行きの声に切り替えることができる母親」みたいなかんじになれるのだ。 赤の他人ってとても大事なのだ。そのために自分の機嫌の優先度をガツンと下げることができる。これが家族や友達だと難しいことのほうが多いよね。

この日もあんなに世界を憎んでいたはずなのに、先生が入れてくれたアイスコーヒーを飲んだらもうどうでもよくなっていた。スズキ3巻のメヌエット→ユーモレスクの有名どころを習っているので、うまく弾けなくても「あ、あの曲だ〜」ってなるから楽しいしね。それに「先生の淹れてくれたコーヒー」自体に浄化パワーがありすぎる。毎度ありがたく頂いております。
相変わらず前に言われたことをすぐに忘れているので、この日も「肩甲骨を意識して腕の重みをのせてね」と1000万回言われていることをまたご指摘いただきました。左手のポジション移動は肘を起点にアッパーカットするイメージで。

こういう日常から離れられる場所があと100個くらいあったら人類はいつもごきげんでいられるに違いないなあと思います。

最近唯識について興味があるのにすべての執着に囚われてるのほんとうけるのだが、世界が憎くて憤死しちゃうことがないようにできるだけ日常でチェロをさわれたらいいなと思っています。

ついでにこの無気力期間にあんなに楽しく書いていた日記もパタッととまりました。やだやだ


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