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amazarashiについて語りたい~ライフイズビューティフル~

「歌詞を見ながら聴きたい曲が、いまいくつあるだろう」
私が胸を打たれてやまないamazarashiの歌詞たち。

その中から1曲ずつ一部の歌詞を取り出し、考えたことや感じたことを書き連ねたい。散文、乱文。思いつくままに書いていきたい。
ぜひ記事を読んだ後に紹介した曲に興味を持ったら聴いてみてほしい。

さて今回取り上げる1曲は『ライフイズビューティフル』。
アルバム『世界収束二一一六』に収録されている。
amazarashiの中でもたまにみられる、ボーカル秋田さんの人生観やこれまでの人生の振り返り的な曲になっていると感じている。
それではいってみましょう。

“何がどうなってここに立ってるんだ 時々我に帰って首を傾げるんだ
歌うのが好きな少年だった だけどそれを誰にも言えない気弱な子だった”

秋田さんの少年時代について。
好きなことを言えなかった自分が、大勢の人の前で歌っていることをふと振り返る。

「あれ、なんでこんなことを仕事にしてるんだっけ」というのは私も感じることがある。
福祉ってものをどこかうさんくさく感じていたし、偽善というものを毛嫌いしていたし、福祉という漠然としたものをそれの代表格のようなものだと思っていたのになぁ(嫌な子ども)。

秋田さんはどんな気持ちなんだろうか。そういった子どもだった自分がステージのど真ん中にいて、スポットライトに照らされて、大勢の人から耳目を集めて。
誇らしいのか、心細いのか、迫られてやっているのか、それともただ楽しいのか。自分自身が誇らしいだろうか。

“久しぶりだな そっちはどうだ?
元気してんなら 別にそれでいいんだ”

久しぶりに会った友人に語り掛けるように、もしくは久しぶりに思い出した当時の自分に想いを馳せるようにも聞こえる。
個人的には回想に入っていくための言葉で、その響きがとても優しく聞こえるのです。

“暗い歌ばかり歌いやがってと人は言うが ぜってぇまけねぇって気持ちだけで今までここまでやってきたんだ
これだけは本気で譲れないんだ 背負ってるものが増えすぎたようだ
夢を諦めた人 捨てた人 叶えられず死んだ人 覚えているか?”

なぜ自分がここまで走って来れたのかを反芻する。
そこには確かな気持ちがあって、その気持ちを作ってきた人の顔や名前が浮かぶ。
背負っているんだなぁ。どんどんと、自分だけの夢ではなくなっていたのかな。

自分もこの仕事を続けることが関わってくれた人への恩返しになると感じることもある。
簡単には辞められないし、やりたくてもやれない人へのせめてもの償い?として、自分は自分のできる限界までこの仕事を究めたいと思っている。

“あっけなく命や夢が消える星で ありふれたよくある悲しい話
そんなもんに飽きもせず泣き笑い 人生は美しい”

本当に、人生ってものは飽きさせてくれない。
ものすごく楽しいことの次にはがくんと悲しいことが起きることもある。
こんなもん乗り越えられないよ、と思っても、どこかで希望や期待がふらっと現れる。でもそれは必ずつかめるものでも見つけられるものでもなくて、あるいは自分から離れていくこともある。
そうやって酸いも甘いもを繰り返していくのだから、人生ってものはエンタメに富んでいる。
それを美しいと表現するのは、なぜだか新鮮で、私自身もしっくりと感じられるようになってきた。

“けどな これだけは絶対言える
俺らの夜明けはもうすぐそこだ”

いつか飲み明かした時に誰かがいった大仰な言葉。
その時の象徴は埃をかぶってしまったけれど、同じ言葉を「絶対」と言える確信が今ある。
この「絶対」という確信が希望に満ち満ちている瞬間が切り取られている。

本当に長い夜だったんだなぁ、と勝手に秋田さんの境遇を妄想する。
本当に勝手ながら、自分のことに重ねると、自分もどこかで同じような確信を持つ瞬間があって、そのことに胸が震えるのです。

“信じた人や物が過ぎ去る街で ありふれたどこにでもある悔し涙
そんなもんに未だに突き動かされる 人生は美しい”

何度悔し涙を見送ってきたのだろう。
その涙は納得していなかったし、それまでのことも知っている。
自分は進んでいく。けれど去っていく人もいる。
去っていた人こそが自分を前に進める。踏み台になったのではなく、背中を押してくれたのでもなく、自分自身がその人がいた景色を、その人と語ったことを勝手に糧にして進んできた。

そんなもん、ではあるのだけど、衝き動かされるほどに強い感情だった。

“こんな時間か そろそろ帰るか?
なんだ帰りたくないって まあ わいも同じだが
不安は多いが進むべきだ 情熱ひとつでなんでもできるはずさ”

帰りたくない夜もある。ずっとグダグダと浸っていたい夜もある。
私はできれば焼酎がいいな。米か麦の濃い目の水割りで、じっくりと飲めるようなやつがいい。
ぬるいハイボールでもいい。

不安は多いけれど、情熱だけで何とでもしてきた。
だからきっと大丈夫さ、と秋田さんは過去の自分に言っているのかな。

私には過去の自分に対して声をかけることがある。
その時の自分は取り戻せないけれど、そうすることで救われる何かが自分の中にある。
その時に同じ言葉をもらっても、全然響かないかもしれないけれど、今の自分から過去の自分に声をかけることで、今の自分が少し救われる。
大丈夫になるよ。好きなだけ落ち込めばいいよ。変われる時は来るよ。ものすごく頑張らなければいけないけれど、ものすごく頑張ることができるよ。
あの時の私よ、今疑っているその情熱は、いつかのあの日に証明されるよ。

“歌う場所はどこでもいいぜ 歌う歌がわいの歌なら”

夢ってものは手段なのかなと思う。
秋田さんは夢に何を求めていたのだろうか。
私はどうか。何をしたくて、夢や目標をもっただろうか。

人の話を聞いて、どう感じるかを一緒に考えたかった。
自分自身の価値観が広がって、いつか自分を許せる方法や価値観を手に入れられると思ったから。きっとそれが自分勝手ではあるけれど、人の話を聞きたいという気持ちの原点かな。
それがお金だの職業だの生活だのというものと絡まって、今の仕事に繋がったように思います。

“悔し涙振り解いて叫んだ歌 大事なものは二度と離さないよ
振り向くな後ろには花も咲かねぇ 人生は美しい”

大事なものは離さないという今、これからに対する覚悟と、過去の自分に対して後ろ向かないで走って来いというエールのように聞こえます。
決して過去は顧みるなと言っているわけではないと思うんだよなぁ。
べらんめえな口調で、いいからこっち来いよ!みたいな感じがします。

“じゃあなまたな身体だけは気をつけろよ
しっかり歩けよ ふらついているぜ
見ろよもう朝日が昇ってきた 人生は美しい”

ここで一転して聞き手に語り掛けてくれるように感じるご都合脳。
ふらついているぞ、しっかり歩いていくんだよと見送ってくれている。

朝日は時間が来れば昇るもの。人生は朝日に照らされる時間だってある。
美しいものなのだ。

いかがでしょうか。
ぜひイントロから後半の盛り上がりへの流れを聞いてほしい。
秋田さんの声が乗っかるとまた、文字からだけの印象と変わるかと思います。

今後もamazarashiの曲を取り上げていきます!

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