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amazarashiについて語りたい~僕が死のうと思ったのは~

「歌詞を見ながら聴きたい曲が、いまいくつあるだろう」
私が胸を打たれてやまないamazarashiの歌詞たち。

その中から1曲ずつ一部の歌詞を取り出し、考えたことや感じたことを書き連ねたい。散文、乱文。思いつくままに書いていきたい。
ぜひ記事を読んだ後に紹介した曲に興味を持ったら聴いてみてほしい。

今回取り上げる曲は『僕が死のうと思ったのは』。
ミニアルバム『虚無病』の一曲。
「死」というもの。それが伴う感情に向き合ったことはあるでしょうか。
そのような機微を繊細に歌い上げる本曲。
もともとは中島美嘉さんに提供した曲のセルフカバーという立ち位置でしょうか。NHKの夏休み最終日の番組で地上波放送された時はファンとしても驚きました。

僕からあなたへの曲。あなたはあなたの気持ちを否定せず、寄り添ってあげてほしい。
さていってみましょう。

僕が死のうと思ったのは ウミネコが桟橋で鳴いたから
波の随に浮かんで消える 過去も啄んで飛んでいけ
僕が死のうと思ったのは 誕生日に杏の花が咲いたから
その木漏れ日でうたた寝したら 虫の死骸と土になれるかな

衝撃的な事象でなくてもいい。それくらい近しい位置にある感情。
忌避される物の代表で、しかし甘い誘惑のように思える。
波の揺らぎのように浮かんでは消える思い出。その浮き沈みと同じように、不意に目の前に現れる、久しぶりでもない感情。

薄荷飴 漁港の灯台 錆びたアーチ橋 捨てた自転車
木造の駅のストーブの前で どこにも旅立てない心
今日はまるで昨日みたいだ 明日を変えるなら今日を変えなきゃ
わかってる わかってる けれど

つまらない日常の風景も、同じくらいつまらない自分の心も、そんなものと遠く離れて別人のようになりたかった。
わかっていても、わかっているだけで。

僕が死のうと思ったのは 心が空っぽになったから
満たされないと泣いているのは きっと満たされないと願うから


パソコンの薄明かり 上階の部屋の生活音
インターフォンのチャイムの音 耳をふさぐ鳥かごの少年
見えない敵と戦っている 六畳一間のドン・キホーテ
ゴールはどうせ酷いものさ

壁を作って閉じこもったのは自分自身なのに、出口がどこにいったのかは忘れてしまったようだった。
戦っているはずだが、相手は誰だったか。兄弟だったか。親だったか。世間だったか。自分自身だったか。
いずれにしても、勝敗を決めるのは自分自身で、戦うこと自体が目的のようになっていた。これではゴールの風景は知れている。

僕が死のうと思ったのは あなたが綺麗に笑うから
死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きることに真面目過ぎるから

あなたはいかにも綺麗に笑った。綺麗に思う一方で、自分との差も感じた。それでも愛しいし、憎らしいし。なぜ、という疑問も小さくはなかった。
そんな風に真に受けて、全部自分のものにして考えてしまうことを、”真面目”と形容していいのだろうか。
真面目に生きているのだとしたら、そこから生じるこの感情は、そんなに悪いことではないのだろうか。

僕が死のうと思ったのは まだあなたに出会ってなかったから
あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよ
あなたのような人が生きてる 世界に少し期待するよ

あなたのように綺麗に生きられたなら。こんな生き方が実在するのならば、不可能なことではないらしい。
自分も同じように、なんてまた、あなたの生き方を自分のものにして考えて、真面目過ぎるだろうか。
こんな人がいるのなら、こんな気持ちを抱えたままでもいいのかもしれない。


忌避される感情を持った私は歪んでいただろうか。
気取っていただけか。苦しい顔をして優しくされたいだけだったか。
だとすれば間違っていたか。

思い返せば間違ってはいなかった。
そのことを考えに考えて、得た答えのような何かは確かに自分の中で生きる理由になっている。

僕が死のうと思ったのは、言葉にすると安っぽいけれど自分らしく生きるためだったのだと思う。
・・・まあ私の場合は「死のう」ほどではなく、「死にたいくらい辛い」ぐらいの想いではありましたけどね。

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