amazarashiについて語りたい~アオモリオルタナティブ~
「歌詞を見ながら聴きたい曲が、いまいくつあるだろう」
私が胸を打たれてやまないamazarashiの歌詞たち。
その中から1曲ずつ一部の歌詞を取り出し、考えたことや感じたことを書き連ねたい。散文、乱文。思いつくままに書いていきたい。
ぜひ記事を読んだ後に紹介した曲に興味を持ったら聴いてみてほしい。
公式から音源が出されていますので置いておきます。
今回取り上げるのは『アオモリオルタナティブ』。
アルバム『七号線ロストボーイズ』の一曲。
amazarashiは郷愁を誘う曲が多い。本曲もまぎれもなくその一曲だ。
ちなみにこのアルバム、特に名盤だと思う。
”今”についとらわれてしまうけれど、時間はずっと流れているものであって、それが止まるのは死ぬ時。
生きている限りは何かの途中。変化の途中。どれだけ緩やかであっても、気持ちの方向がどっちを向いていようと、時間は前に進んでいる。
過ぎ去った”今”を懐かしんで飲む酒は、その記憶の美醜に限らず美味しいものだ。
さていってみましょう。
夢中になっている時は何も怖くない。ただただ好きな方に進んで、その方向が自分にとっては間違いなく前に向かっている。
そこに一緒にいた人たちはいずれ離れていく。クラス替え、進学、引っ越し、就職、転職・・・。
それでもそこにいたことは確かで、根っこには通じるものがあった。
どこから来たのかはこの際問題ではない。時間は前にしか進まない。であればそこに生きている私も前にしか進めない。
ただ、これまでの過程は間違いなく通り過ぎる”今”の私を形作っている。
正解か、不正解かなんてわからないけれど、それでも何度も確かめる。酒を飲めばなおさら。
さてこれから何処へ向かおうか。
今にして思うと、両親もどんな道かを歩いてきたのだ。当たり前のことだけど、それに気付くまで随分とかかった。気付いたからと言って何かが変わったわけでもないけれど。
秘めていることは誰にでもある。”辛いのは自分だけじゃない”なんて当たり前のことはしかし、実感として感じられるものではないから。
酒を飲んだ時くらいはそんな話にもなる。ことがある。そこまで仲良くなれた人がいることがありがたい。
話してどうなることもない。お互いに”そうなんだね”と酒のつまみ程度のもの。それくらいでいい。
負けでも恥でもないし、それらが不幸だとするならば、けれどもピリオドではない。
思い出話の栞。開きやすい場所。印象的な場所。その程度のもの。
そう思える時も、そう思えない時もある。そう思えない時ばかりではない。ピリオドにしない限りはきっと。
他人の顔なんて気にしなくていい。どうせ大半は過ぎ去る景色だから。
ここだと決めたら、決めた以上はやり抜くといい。突き抜ければそれがあなたの色になる。
人生を変えるその瞬間を決めるのは自分自身。言い訳をいくつ積み上げようが、自分が納得できるよう説得しようが、自己欺瞞の不毛さは痛いほど知っているはずだ。
今もただの途中。
どこに向かおうか。
自分が望んだ方に向かえたならいいのにね。
わかっていても自己欺瞞は止まらないものですね。
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