日にち薬の副作用
J-POPあたりの歌詞では、「色を失った」「モノクロの世界」みたいな表現をしているけれども、どちらかと言えば、コンタクトを取ったときの感覚に近いと思った。
視界がぼんやりして、よく見えない。
好きな人と別れることが決まった。
もうずっとずっと昔のことだが、そんなふうに思ったことを覚えている。
最初の数日はどことなくハイな状態が続き、ほとんど寝ていなかった。つらくて寝られないというよりも、旅行中になかなか寝つけないような感覚だった。身体は疲れているのに、興奮して寝られない。
眠くはないが、悲しくはなかった。
そう思っていた。
痛みは遅れてやってきた。ある日、電車に乗っていたらいつの間にか泣いていたのだ。声をあげるわけでもなく、涙だけが頬を伝わり「あれ、おかしいな」とそこで異変に気づいた。
そこから、急に全てがだめになった。
まず、一緒に行ったことがある場所に行けなくなった。お台場やディズニーランドのような定番スポットから、コンビニ、マック、TSUTAYAまで。
それから、家にいることも耐えられなくなった。その人が私の家に来たのはたったの一度きりだったのに。小学生のときから10年以上住んでいるこの実家からも、もういない誰かの気配を感じた。
家から最寄りの駅までのわずかな道のりも、泣きながら歩いた。何千、何万回と通ったこの道が、たった一度だけ一緒に歩いた記憶に支配されるなんて思わなかった。
ついには、行ったことのない場所でも思い出すようになった。たとえば、旅行で訪れたシンガポール。マリーナベイサンズに泊まり、市内を一望できる屋上のプールに着いた瞬間、「ああ、きっとあの人はこの場所が好きだろうな」と思った。マリーナベイサンズの話なんて一度もしたことがなかったけれども、こういうところ、絶対に好きだと思った。いるはずもないのに、なんだか今ここで偶然ばったり会えるような気さえした。
どんなに気分が落ち込んでいても、必ず予定はやってくる。
出かけるまではしんどいけれども、働いている時間は気が紛れてちょうど良い。ちょうどそのころは大学の夏休みで、バイトのシフトをたくさん入れていたから本当に助かった。
それでも、うっかり手が滑ってグラスをひとつ割ってしまったりもした。あまり寝られていなかったし、頭もぼーっとするからまぁ当然だろう、と割れたグラスを見ながら冷静に思った。「けがしてない?」とすぐに駆け寄ってくれた店長には申し訳なかった。
その日の帰り道、たまたま先輩と一緒の電車になった。
雑談の流れから、私の仕事が早いことを褒めてくれ、「いつもテキパキしてるけど、落ち込むこととかあるの?」と聞かれた。どうやら今日、私がグラスを割ったことも先輩は知らないようだった。
グラスを割っただけじゃない。今、私は人生の中で最も落ち込んでおり、身体はずっしりと重く、本当は立ってるだけでも精一杯だった。だけど、外から見たら、私は普段と変わらないんだ。
悲しいような、でもどこか救われたような気分だった。どんなにつらくても、他人から見たらまるでわからない。私が何も言わなければ、何も起きていないのも同然だ。
それはまるで、たいした出来事じゃないと言われているような気もしたが、憔悴しきった今でさえも、普段の自分でいられるという安心感もあった。
黙って今まで通りの自分を装っていたら、きっとそう遠くないうちに元の自分に戻れるかもしれないと思った。
*
そう思っていた。だけど、そんなに甘くはなかった。
もう大丈夫、やっぱりだめだ、を長いこと繰り返した。
こんなにもつらいなら、いっそ全てを忘れてしまいたかった。連絡先を削除して、できるだけ会わないようにした。たまに見かけても無視してやり過ごした。「早く忘れられますように」と毎日神社へ参拝しに行った時期もあった。
なんとか記憶の中から、消そうと努力した。
ただ、どうしても思い出のものだけは捨てられなかった。思い出の品だけは、捨ててしまったら、もう二度と返ってこないから。
だからせめて、目につかない場所に隠しておこうと思った。
自宅のマンションには、部屋と離れたフロアにトランクルームがある。「いつか、大丈夫になったら取りにこよう」ともらったものを箱に詰め、トランクルームの中にこっそりしまった。親に見つからないかと心配だったけれども、捨てる勇気も、手元に置いておく勇気も、どちらもなかった。
*
「夢に出てくるのは、相手に思われている証拠」だと古典の授業で習ったが、私は絶対に逆だと思っている。
「もう大丈夫かもしれない」と思ったころになると、なぜだか必ずその人の夢を見るのだ。
そうして、目が覚めるとまた思い出して「やっぱりだめだ」のコマに戻される。
もう思い出したくなんてないのに。どうしていつも、大丈夫になってきたときに限って夢を見るんだろう。
おまけに、夢の中ではいつもその人は笑顔だった。だけど、それは当然かもしれない。所詮、夢なんて自分の想像の範囲を超えることは起きないだろう。別れる最後の瞬間を除いて、いつだって笑顔だったその人が、急に夢の中で泣いたり怒ったりするはずがない。
夢のシチュエーションはその時々によって違ったけれども、私も私で、いつも楽しそうにしていた。夢の中で私は私ではなくて、まるでドラマを見ているイチ視聴者のようだった。遠くから自分の姿を眺めて、ああ私はこんなに楽しそうな顔をする人なんだと思った。
*
「女子は上書き保存」という誰が言い出したかわからない喩えに従って、できるだけいろいろな人と会うようにした。
それを「軽い」と揶揄する人もいたが、私にとって最大限の努力だった。どんなに気乗りしなくとも、上書き理論を信じてすがるほかなかった。私からすれば、すぐに別の人を好きになれる方がよっぽど軽薄だと思った。
幸か不幸か、誰かから好きだと思ってもらえることもときどきある。「付き合ってほしい」と言われるたび、復讐しているかのような悪い幸福感に浸れた。あなたが別れた私は、こんなにも他の人から価値を見出されているのだから。 あなたは、とてももったいないことをしたんだ。
でも、その幸せも長くは続かなかった。かっこよくても、頭が良くても、お金があっても、面白くても。どんなに条件を重ねても、何にもならなかった。「あの人よりも○○が優れているから」と自分の中で納得させ、「この人に会うために別れたんだ」「これでよかった」と言い聞かせても結局、どんな人でも意味がないことを思い知らされるばかりだった。
モテることはポイントカードのような仕組みだったらよかったのに、と思っていた。誰かに好きになってもらって、10人、100人……たくさん貯まったら、一番好きな人が手に入る。そうだったらもっと、好きでもない人から好かれることに意味を感じられたのに。当時、ぼんやりとそんなことを考えていた。
結局、どんなに素敵な誰かに出会っても、上書きされることなんて決してなかった。
*
時間が解決する、なんてことは絶対に言いたくなかった。解決する、と言うにはずいぶんと時が経ち過ぎていた。
それでも確かに、忙しい日々の中で少しずつ何かが変わっていったのかもしれない。
ある日、久しぶりにその人の夢を見た。
変わらずよく笑っていて、今ではもう二度と会えないのに、夢の中で私たちは友達だった。
目が覚めると、外はまだ少しだけ暗かった。
あ、泣いてない、と思った。
昔だったら思い出して必ず泣いていたはずなのに、涙も出ないし、もう悲しくなんてない。
ああ、少しずつ、確実に忘れていっているんだ。好きだった記憶も、執着も、後悔も、全部が少しずつ消えている。
私はそれをずっと願ってきたはずなのに、その事実が猛烈に悲しかった。
はっきりと、忘れなくない、と思った。
ワーッとなって飛び起き、部屋にある紙とペンをつかんで急いで思い出を書き出した。
当時、教室を抜け出してふたりでよく話していたこと。寒かった日に、相手の分も合わせてホットの飲み物を2つ買って行ったら、向こうも2つ買って待っていたこと。それを見て、大笑いしたこと。
サプライズに用意してくれた、プレゼント。私のリアクションが早く見たくて、我慢できずに当日の一週間前に渡してくれたこと。それが一番のサプライズだったこと。
もらったストラップをつけていた携帯を、私がなくしたこと。正直に話して謝ったら、次に会ったときに「今、一番欲しいものをあげようか」と全く同じものをもう一度くれたこと。
軽い冗談から、少しだけ言い合いになった日。私が冗談で指摘したことを意外と気にしてて、その日の夜中に「ごめん」と長々とメールをくれたこと。その日は一緒にいたのに、わざわざ私が寝てる隙を見てメールする不器用さに、ちょっと驚いたこと。
どんなに忙しくても、必ず送り迎えしてくれたこと。「来なくても大丈夫」と伝えると、「一緒にいる時間が長い方が得だから」と笑ってたこと。気を使わせないための冗談だったのか本気だったのかわからないけど、どっちでもよかったこと。どっちにしても、うれしかったこと。
それから、それから……
覚えてる限りの思い出を、できるだけ詳細に書き殴った。
私はもうすぐ忘れてしまうかもしれない。
好きな気持ちだけじゃなく、楽しかった思い出も、もらった優しさも、うれしかった言葉も、いつか全部忘れてしまうかもしれない。
そして、その「いつか」はもうすぐそこまできてるのかもしれない。
私はずっと「どうして私はいつまで経ってもあきらめられないのだろう」「どうして他の人ではだめなんだろう」と思っていた。
だけど、思い出で真っ黒になった紙を見れば明らかだった。
あのころの当たり前だった毎日は、全く当たり前じゃないくらい特別だった。
当時、自分がどれだけ良くしてもらっていたのか。些細な出来事がどれほど素晴らしかったのか。
代わりなんてきかないくらい、キラキラした思い出をたくさんくれたから、だから私にとって他の誰とも違う、特別な人なんだ。
それなのに、それなのにどうして私は忘れようとしていたんだろう。
*
好きな分だけ、恨んでしまう気持ちがあった。叶わない分だけ、ずっと苦しかった。
だから忘れてしまいたかった。もう戻れないのなら、全部なかったことにしたかった。
自分がつらいから、忘れようとしていた。つらいから、一緒に過ごした時間も、全部全部、自分の都合で忘れようとしている。
別れることを最初に決めたのは、私だった。自分勝手な理屈で「別れたい」と切り出した日から、私は何にも成長していないような気がした。
つらいから別れたい。つらいから忘れたい。
本当に、それでよかったのだろうか。
また勝手なことを言ってるかもしれないけど、やっぱり忘れたくない。
もちろん悲しいことも傷つくこともたくさんあったけれども、こんなにも優しい記憶を、私は一生忘れたくない。
*
あれはエッセイか何かだっただろうか。
どこかで「日にち薬」という言葉を目にしたとき、独特な表現をする人だと思った。
てっきり書いた人の創作かと思っていたが、関西で使われる方言だということを後になって知った。
別れや挫折、悲しみ、苦しみ。終わりのない痛みのように感じるが、それはいつしか時間とともに癒やされる。服用すればすぐに回復するわけではないけれども、少しずつ快方に向かっていく。なるほど、薬とは言い得て妙だ。
だから、どんな特効薬であっても副作用があるのは当然なのかもしれない。
忘れたいほどつらいこと。
それは忘れられないほど、強い何かがあった証拠だ。
本当に大切だったから、別れが苦しい。本気だったから、挫折から立ち直れない。
それも時が流れれば、悲しかった記憶もやがて薄れていく。けれども、大切だった思い出まで、きっと忘れてしまうだろう。
悲しかった日々なんてまるで嘘だったかのように、失う前の幸せなんて最初からなかったかのように。
*
ずっと、忘れないと幸せになれないと思っていた。
でも、多分もう大丈夫。あのころの私とはきっと違う。あのころよりも私はずっとずっと努力して、強くもなった。
だから、忘れたくない思い出を抱えたままでも、きっと大丈夫。
大切な記憶を忘れようとしなくても済むように、もっともっと強くなろう。
明け方に書いたあの紙は、捨てずに取ってある。
読んだらまだ胸は少し痛むけれども、薬が完全に効いてしまわないように。
そしていつか私も同じように、誰かに優しくできるようになるまで、これはカンニングペーパーとして取っておく。
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