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「在るべき場所」で輝く


「何処へ行っても、必要とされる人になれ」
15歳で家を出て、一人立ちし、孤独な状況を生き抜いて来た父の教え。
その教えがベースになり、楽な道と茨の道があるなら茨の道を選ぶ様になっていた。
根性が座ったかも知れない、苦しみに耐性が出来たのだとも思う。

父から学んだことはとても沢山ある。

けれど、心の奥底に、いつも違和感があった。
人生の後半になりスピリチュアルを学び、経験し、すべてコントラストだったことに気づかされた。

本来の自分がいる事が解った。
本来の自分を生きていなかった。

小さい頃の記憶を辿ると、花嫁さんの絵本に行き着く。

金襴緞子の赤と金。白い角隠しと綺羅びやかな扇子。大きな目でめちゃくちゃ可愛い花嫁さんの顔。

その絵本は下の弟が産まれる前から持っていた気がするから4歳前の記憶だと思う。

もう少し大きくなると、タミーちゃんという着せ替え人形をお年玉で買った。
リカちゃん人形が流行っていたのに、みんなと同じが嫌だった。

タミーちゃんは毎日髪型を変え、宝物の端切れを切り、服を纏わせた。

小学校に上がるとバレー教室に通っている、ピアノを習っていると嘘をついた。
すごく習いたかった。

未だに、踊れないけど観るのは大好きだし、宝塚のファンだ。

父はわたしの正体を見抜いていたのだろう。
赤い服は着せてもらえなかったし、枠からはみ出すのを嫌った。

お仕置きされた記憶が沢山ある。
相当言うことを聞かない子だったのだろう。

父の育て方は一見功を奏したかに見えた。
わたしは反抗出来ない子になり、言いたいことが言えない人になり、赤い服が落ち着かなくて着ることが出来なかった。

本来の自分は幾重にも鎧を着けて隠された。

父も母も愛情深い人たちだった。
世間体も気にしたかもしれないけれど、わたしの幸せのためを想って育ててくれたに違いない。

でも、でも、やっぱり底には本来のわたしが居た。

奥の奥からずっと声を出していた。

50歳過ぎてから自分で中を覗くようになったのはそれまで起きた出来事をスピリチュアルで紐解くようになってからだ。

輝きたいと思ったのは成功したいのでもないし、名を馳せたい訳でもない。

ありのままの自分で生きたい。
それだけだ!

ありのままで生きる事の素晴らしさを
その、心地良さを、本来の自分が知っている。

知っている事に気づけたならもう止まらない。

進め、進めだね!

ありのままで生きる事は我儘を通すとは違う。

誰にでも本来の自分の中には愛があり、調和があるからだ。
そして、それぞれの個がある。

与えられた場所で輝けと言う言葉がある。

忍耐と努力で輝きを勝ち取る事も出来るかもしれない。それがその人にとって魂からの喜びならば素晴らしい事だ。

けれど、忍耐仕切れないのは逃げではなく、自分との違和感があるからではないのかな。

忍耐は必要な時もあるかも知れないけれど、自分とのギャップが大きい程、体と心に及ぼす影響は大だ。

困難な状況を乗り越えた先には成長もあるだろう。
しかし、良い環境の中でも人は成長できる。しかも、のびのびと、個性豊かに。

わざわざ茨の道を選ぶ必要はないのではないかと思う。

厳しい道を歩んできた人は甘っちょろいと感じるかもしれないけれど、その目で病んだ人を見たら頑張れ!歯を食いしばれ!ってなるでしょ?

何でこれしき我慢出来ないんだ!ってなるでしょ?

それが今のわたしには、本来の自分が違うよって言っているのが聞こえる。

忍耐も努力も我慢も無駄ではない。
それも、それぞれその人にとって必要な経験だ。

でも、そこから得るものは、そこから学んだことが、自分を愛する事であり、人への愛であって欲しい。
其のはずだから気付かないだけだと思うけど。

何処で働くにしても、暮らすにしても、全ては自分の選択。

与えられた場所も究極自分の選択だから、心地良い場所を探してもいいのだよ。

在るべき場所を魂の声を聴きながら選択してゆく。
そこで自分なりの輝きを放つ。

人に愛を届けられるのも自分が満たされていなければ出来ない。

現実と本来の自分にギャップがあるとお知らせが自分から届く。

体や心の不調だったりする。無視し続けると克服したつもりでもずっとお知らせが届く。

どうしたいか、聴いてあげて!

在るべき場所を見つけるのも自分だから。

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