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死に対って心を整える

今の施設でデイサービスの仕事を始めて一年が過ぎた。
出会った方の何人かとお別れをした。

Iさんの亡くなり方はとても切なく、暫くの間この先私に何が出来るのか、出来ないのか、思い悩む日々が続いた。

Iさんはご主人が亡くなってから一人暮らし、送迎で家まで送る冬は灯りのない家に入って行く後姿を見送るのが辛かった。
わたしは息子と暮らしているが1日会わないで過ごす日も多いから猫たちが出迎えてくれなければ淋しいだろうなと思う。
でも、うちは人感センサー付きの灯りにしているから自分では灯りを付けない。
カギを開けようとしていると灯りがつく。
それだけでも真っ暗な中、自分で灯りを付けるよりよっぽどいいのじゃないかな。
Iさんに薦めてみようと思っていた。

2月頃からIさんの様子が少し変わった。
亡くなったご主人のセーターや靴下を身に着けて来るようになった。
「いい男だったのよ」嬉しそうに話してくれる。可愛い笑顔。

他のスタッフからは頑固な人と聞いていたけれど、わたしの印象は違っていた。

歩行時の手引き介助の手も振り払う事はない。
時折一人で出来る!と頑張る人は、不安定なのに差し出した手を嫌う人がいるからね。分かるけど。

Iさんは色白だけれど肌が少し黄色くなり始めていた。
病院が嫌いで言うことを受け入れてはくれない様だった。

お風呂から上がってしんどそうな様子が気掛かりだった。

そんなある日お迎えに行っても「今日は行かない!」と言って家から出て来ず、玄関も開けてくれなかった。

お子さんが離れた処に住んでいたので合鍵を作ってくれるように頼んであったけれどまだ施設には届いていなかった。

ヘルパーさんに様子を見てもらうように頼んだがやはり声はするが玄関は開かなかった。開けられる体力が残っていなかったのかもしれない。
ケアマネジャーと家族に連絡したが、翌日家族が様子を見に行った時はIさんはすでに亡くなっていた。

お風呂に入った後で倒れてしまったのか下着も着けていなかったらしい。

Iさんが何を想いながら亡くなったのかは分からないけれど、わたしは死に対する準備というか、心の整え方が出来ていたのかとても気になった。

老人施設ではあの世からのお迎えを待っている人が沢山いる。
あの世がどんな所なのか分からないままにして。

もちろん、わたしも現世では死んだことがないし、臨死体験もしていないし、ただスピリチュアルに心を寄せているので朧気ながらしか分かっていないけど、それでもかなり死との向き合い方、そして今をどう生きるかを見つけられる助けになっている。

死に向って心を整えるという事は今をどう生きるかにとても深い影響があると思う。

残り少ない日々どう生きるかと
考えているお年寄りは少ないかもしれない。
認知症が進むと今不安な事にフォーカスしがちだから、当然かも知れないが。

自分の事が分からなくなってしまう前に死に対して心を整えて置いて欲しいと願う。わたし自身もそうありたい。

Iさんの死はIさんの知らないところで沢山の人に影響がある。

ご家族にも。

KさんはデイサービスでよくIさんと同じテーブルに座っていた。
それほど仲がいいとは分からずにいた。多分Iさん本人もそんなにKさんが自分の事を想ってくれているとは知らなかったと思うが亡くなった事を知ると具合が悪くなってしまった。
「今度会ったら、違う病院に行ったほうがいいと言ってあげたかったのよ。」と話してくれた。
Kさんの話から考えられるのは、Iさんは病院自体が嫌だったのではなく、先生か、看護師か、その病院の雰囲気なのか、自分に合わないものを感じでいたのだと思う。推測でしかないけれど。

ディサービスの短い時間の中では奥の奥まで聞き出す事ができないのが現状。
そんな中でも手掛かりを見つける力を持ちたい。

後悔で具合が悪くなってしまうほど心配してくれていた人が居たのよ。
Iさんを待っていたのはご主人だけではなかった。

わたしはIさんの死から、わたしの生き方、死の迎え方を改めて考える。

何を成し遂げられるかが重要ではなく、
どう生きてゆくのかがめちゃくちゃ大切!それを心底分からせてもらった。

先が短いと、何も出来なくなったからお迎えを待つ他ないと、朝目が覚めて今日も生きてしまったと嘆くお年寄りに、生きる事を楽しんでもらいたい!
たとえそれがほんの一時の間であったとしても。

今まで生きてきた功績を忘れてしまって、人に頼り、迷惑を掛けて生きるしかない自分は、生きている価値がないと思い込んでいるお年寄りに「今のあなたに価値があるんです!」て思ってもらいたい。

そう思ってもらえるようにわたしは日々を生きる。

真剣にでも深刻にならずに、いつこの肉体を脱いでもいいように。
それがわたしの、死に心を整えるという事。

今日犬と散歩している時に、家近くの老人ホームに入所している方に出会った。

「一人になっちゃったから自分で探して栃木から来たのよ!」とさらさらっと話す。
何回も大病を乗り越え、死の淵から戻り得た体を毎日の散歩とお花の世話で労りながら今を生きていた。

きらきら光を放つ人だった!
覚悟を持って生きている感じがした。

そう感じた事を話すと、更に満面の笑みできらきらが飛んできた。

伝播するってこういうことだ!

わたしも、もっと年を重ねた時、あんな風にきらきらするぞー!

そう決心して覚悟を持って生きる事が出来れば、
死を迎える事に心が整ってゆくのだと思う。

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