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アップルパイと呼ばれた日

2024年5月29日の20:30から24:00頃まで、私は「アップルパイ」だった。

泊まれる演劇という催しに参加するため、丹後から京都市内に小旅行。1泊2日。
泊まれる演劇については各自調べて欲しい。
今日の本題はそこではない。
とにかく、私はそこでいつもの「なるちゃん」ではなく「アップルパイちゃん」と呼ばれ、「アップルパイです!」と自己紹介をした。
私はこの夜、本名を一度も明かさず、使わなかった。

なんだかふわふわした心地のままベッドに入る。
ツインベッドの片方では親友がすうすうと眠っており、彼女がさっきまで「マドレーヌ」だったことを、私は少なくともあとひと月は覚えていたいと思った。マドレーヌが良く似合う、可愛くて愛おしい親友。

現在時刻は朝の4時。
こんな夜、必ず思い出す人がいる。
約1年半前に少しだけやり取りをした人。
ついに会うことも無く、声ももう覚えておらず、相手はきっと私を覚えていない。
いい人だったんだろうと思い出す、それは恐らく記憶が美化されていて、会ってみたらとてつもなくモラハラな人だったのかもしれないけれど、結局会わなかったおかげで優しさだけを受け取って離れた。
彼に特別な感情がある訳ではなく、ただ、もう二度と会えない人がいるということを、ちょっとだけ憂いでいたい。

もう二度と会えない人。

そんな出会いが、この先の人生で、たくさんたくさん積み重なっていく。
私はそれがどうしたって悲しくて、寂しくて、苦しくて、悔しい。
Moonlit Academy(泊まれる演劇の前作)の推し、まんが先輩にはもう会えない。彼を演じた役者、もみじさんにすら会えるかわからない。
今作 QUEEN'S MOTEL の推しにも、きっともう会えないだろう。さらに言えば、役者の彼の声を聞くことすら、二度と叶わないかもしれない。

もう二度と会えない、ということは、つまり忘れてしまえばもう二度と思い出せないということだ。
人の記憶は酷く曖昧で、脆く、正しいだなんて欠片も信じられない。
私が好きだったあれも、これも、記憶が美化されているだけなのかもしれない。
好きだったという事実はあるのに、それを証明できるものがひとつも無くて、質量すらも不安定な「好きだった」が空虚に、宙に浮いている。

私はもう二度と、「アップルパイ」を名乗ることは無いだろう。
いつか、自分がアップルパイを名乗ったことすら忘れてしまうかもしれない。

だけど、私は今日から、アップルパイをより一層好きになる。
シナモンの香りで、きっとあの夜を、あの出会いを思い出す。

いつか、思い出せなくなるその時まで。

一瞬の出会いの積み重ねは、私の寿命を少しづつ、伸ばす。

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