【ブログ記事引っ越し】『たまこラブストーリー』――恋という病、または非日常

2014/5/14

見てきましたよ、『たまこラブストーリー』。

京アニというからには本拠地であるはずのここ京都においても、まさかの上映館1館のみという仕打ち(仕組みやお金の流れはよく知らないけれど)。

舞台挨拶回があったことを後から知りましたが泣いてません。

定期的に何度も見たくなる良い映画でした。

パンフレットを眺めつつ、気に留まった点などをまとめて感想に代えたいと思います。

・OPムービー

使用されている楽曲は、たまこのお父さんである豆大による『KOI NO UTA』。要は、豆大が学生時代にやっていたバンドの曲(のアレンジ)なのだけれど、聴いた瞬間にはそこに思い至らなかった私は、「へぇ~、良い曲じゃん」と謎の上から目線で納得していた。

「アニメOP風のMAD動画」っぽいな、と思ったんだよね。なんか失礼だな。曲との化学反応とか再発見、みたいな面での話。

ともあれ、良い感じに盛り上がり、本編がスタート。

・もち蔵ラブストーリー

気が付いたら、もち蔵ラブストーリーが展開されていた。

たまこへの告白のタイミングを伺っては空回りし、みどりに突っ込まれては慌てふためく。

「お前が、恋する乙女みたいになってんじゃねーか!」と、ツッコまざるをえない。

赤面しながら手で口を隠すんじゃないよ、まったく。(萌え袖は監督のこだわりだそうだ)

もち蔵がたまこに告白することは決定事項である。

古事(ry予告編にも、そう書いてある。

この時点で、『たまこまーけっと』を爆破するスイッチが押されるのだな、と思った。

告白なんて一大事はどうしたって物語を加速させる。

だからこそ、彼らは空回りを繰り返して、今日が昨日までと同じ日常であることを示し続けていたのであって。(『それ町』の真田とか、『みなみけ』の藤岡とかさ)

そこはでも、相手は弩級のフラグブレイカー、たまこである。

たまこにとってのもち蔵はあまりにも、日常の一部だったんだなぁ、などと思った。(「恋愛年齢が幼い」ってこういうことか)

だが待て、しばし。

ここは天下の劇場版である。

もち蔵の告白を受け、爆発するたまこ。

見てる側からすれば、あの硬いボスにダメージが通った!みたいな感じである。

・商店街という日常←→恋という非日常

『たまこまーけっと』が映画化されると聞いた時に、それでもやっぱり商店街の出来事になるのかな、と思ったりした。

『たまこラブストーリー』というタイトルが発表された時に、ならばと想像したのは、商店街ぐるみでたまこともち蔵の恋愛を後押したりするものだった。

でも、見終わったあとに冷静に思い返してみて、高校生の恋愛事情に大人たちがこぞって介入するのはそりゃあなんだか変な話だなぁ、と思った。(というか、それは王子の時と同じだ)

そもそも、もち蔵の気持ちなんかは割と周知の事実だろうし、そういう意味ではデラの出番がないのもまた妥当だろう。

これは変化と成長の物語で、彼女ら自身の物語である。

『たまこまーけっと』という話が商店街という居場所の暖かさ、その再確認だったとして、

よくよく考えてみれば、結局、変化を突っぱねて終わっているのだった。

だから、これは、そうした予行演習を経た本番で、「王子襲来」に比肩しうる衝撃が「恋という劇薬」だったわけである。

進路の話になっても「みどりちゃんがおもちゃ屋を継げばずっと一緒にいられるのに(意訳)」なんて笑いながらけっこう呑気してたたまこも、日常が一変してしまう程の関係性の変化にはビビった!

もち蔵を見てたまこスキップが止まるところや、朝の空気の中でもち蔵だけがいない、というシーンは印象的だった。

受け止める間もなく、変化は訪れる。

・常盤みどりの憂鬱

「作品の立役者」と言われる、影の主役ことみどり。

作中、最後の最後まで複雑な表情を見せていた彼女もまた、変化を恐れる一人だった。

いつか変わってしまうことをわかっている、という点でたまこよりも先んじて葛藤し続けていたし、「王子襲来」(その表現続けるの?)の時も誰よりも明確に不安を露わにしていた。

たまこに向ける感情が恋愛感情かどうかは別として、あえて言うなれば、「たまこにとっての特別は私だけなのに」という感じだろうか。

きっとそれは「幼馴染み」や「親友」というくくりでは足りない。

そして、もち蔵の告白が成功してしまったら、特別ではいられなくなる。

負け戦を受け入れるかどうかで足掻いているようなもので、大変につらい。

無音の体育館のシーンがまざまざと蘇る。あとから思い返すとここの色味ばかりが浮かぶ。

たまこの悩みを聞くみどりには、おそらくもう結果が見えていて、そして、背中を押さない。

「たまこが悩んでるのはやだな」、とだけ。

思い出の中のもち蔵を語るたまこを見て、「私もそこにいたのに」とばかりに挟まるカットがまた切ない。

あと、もちがつまったフリをするところ。もち蔵に「見直した」と言った時点で「受け入れつつあるのかな」と思った矢先の行動である。全然受け入れきれてなかった。「おいおい、そいつは洒落になんねーよ」と思いつつも、冗談めかす笑顔が悲しい。

大丈夫、かんなは見てくれている。

・かんなと史織、フルバースト

いや、意味はよくわからんが。

何故だかコンビ芸が発現していた二人。パンフの堀口悠紀子インタビューのイラスト、「もたれー」ってなってる史織ちゃん最高すぎますが。

二人はただただ個性が光っていた。

『まーけっと』で一足早く成長を遂げていた史織。

徹頭徹尾ブレないかんな。

史織はたまこを、かんなはみどりを、支える役回りだったかな、と思う。

まず、冒頭から「かんな節」全開でほくほくした。ブレないなぁ。帰ってからニコ動で『まーけっと』かんなシーンまとめを見たのは言うまでもない。

さておき、たまこも「変態もち娘」としてある意味達観してしまっていたのだけれど、かんなのブレなさと比べると、やっぱりどこか危うい感じがする。

これはその危うさを埋める話だったんだな、とかんなを通して思ったりした。

感情の発露を恐れなくなった史織は無敵だった。そして恋愛というものにストレートに感動できる人でもあった(「女の子のパワー」ってそういうこと?)。キラキラしたリアクションが可愛い。

史織を見て「あれ、そういえば恋の話なのに浮かれてる奴いなくない?」ということに気づく。

そして素直に背中を押すのもまた史織だった。「返事するべき」という圧倒的結論を口に出すだけでなく、「さみしいんだ」「好きなんだね」とたまこの気持ちまで掬っている。

風邪になぞらえて(史織が、かはわからないけど)「こじらせちゃった?」と問うところも良い。

そう言えば、かんなは、もともと「みどりのたまこへの気持ち」にも肯定的だった。

見届ける者としての「今みどちゃん、良い表情してますな」はたぶんみどりを幾分か救っている。

・バトン発表会

ラブストーリーと銘打っているからには脇道なんだけれど、劇場版としての山場、カタルシスになっている気がする。(適当に喋ってないか?)

さすが京アニ、という感じで動く動く。いわゆる「可愛い動き」が詰め込まれているのだけれど(実際のバトン演技もあんな感じなのだろうか)、どういう過程を積み重ねればここに辿り着くのか考えるとぞっとする。あの顔だけ傾ける動きいいよね。(伝われ)

頑張ったよ、みどちゃん…おまえがナンバー1だ!!

しかし、親のような目線で拍手しまくってる史織ちゃんも最高なのだった。

余談だけど、出番前の「好きなものコール」で、みどりが「たまこ」、あるいはたまこが「もち蔵」と言うのではないか、と少しハラハラした。(それはない)

・「青春映画」

「これはこれで青春映画だったよ 俺たちの」という詞が好きなのだけれど、今は関係ない。

「とっても青春映画の匂いがしますね」とは、サイトにある監督インタビューにおけるインタビュアーの言葉なんだけれども。

雑に言い換えると、「邦画の空気感」があるな、と思った。

「映画では『生っぽさ』をより大事にしています」(堀口悠紀子インタビュー)とあるように、心情をひたすらリアルに描いていた作品だった。

誰もが想像できなかったたまこの恋愛を、最後には「本当によかったね!」という気持ちで受け止められるのはその証拠だと思う。

こうして書いてる内にまた見たくなってきました。

あのラストシーンには、必ずまた会いに行きたいと思います。

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2019/1/7 追記

最高の形でまた会いに行くことができました。

読み返して思ったのは、決して「まーけっと」を爆破しているわけではない、ということでした。

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