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世代を背負った男

1980年生まれ。今年で41歳になる。

自分と同い年の人間は日本に何百万人といるが、たった1人、自分の世代を明確に代表する人物がいる。

松坂大輔を初めてみたのは1998年の夏だった。甲子園という大舞台でまるでマンガみたいな活躍をしていた。本当に無茶苦茶なマンガだった。

死ぬほど暑いマウンドで何連投もして、打っては4番打者。強豪PL学園とは延長17回を戦って勝ち、決勝戦ではあっさりとノーヒットノーランを達成した。

平成の怪物が誕生した瞬間だった。

それまで僕らはただの17歳か18歳だったが、その夏から「松坂世代」と呼ばれるようになった。

大学に入っても、社会に出ても、「君いくつ?」と聞かれると、こう答える「1980年生まれです、松坂世代ですね」。本当にこれが一番伝わった(一度だけ「朝青龍と同い年です」と言ったことがあるが、聞き返された)。

高校を卒業後、松坂大輔は僕の地元にある球団に入った。高卒1年目から16勝を上げるという、ドカベンプロ野球編でもあり得ないような大活躍をして最多勝と新人王を獲得した。

20代の頃は仕事が忙しくて球場にはほとんど行けなかった。遠くから眺めているうちに松坂大輔はメジャーリーグに行ってしまった。30代後半になって日本に帰ってきたときは怪我に苦しんでいた。そしてほとんど投げられないまま、再び地元の球団に戻ってきた。もう別れが近いことがわかった。


昨夜、同僚の男性と飲んでいたら、同じ大学の同じ学部を卒業していたことがわかった。見たところほぼ同年代。自然と年齢の話になり、ぼくら2人は同時に言った「松坂世代だよ」。

今日、松坂大輔が最後のマウンドに上がる。

高校生の頃からその背中を見ていた。プロに入った頃はそれこそ仰ぎ見ていた。選手生活の晩年は祈るように見ていた。

全国の野球少年の夢を背負い、都内のIT企業で働く40歳のアイデンティティまでも背負ってきた1人の男に、おつかれさまでしたと言いたい。

最後の1球を見届けても、きっと僕は自分のことを「松坂世代です」と言い続けるのだろうと思う。

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(10月19日、西武球場前駅にて)

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