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ばあちゃんのごはん
祖母は、本当に世話好きで、ごはんをふるまってばかりの人だった。
小学生のときの夏休みの恒例行事が、兄弟・従姉妹と一緒に、仙台に暮らす祖父母の家で過ごすことだった。実家は農業を営んでいて、夏場は繁忙期まっさかり。忙しい両親に代わって祖父母が私たちの面倒をみてくれたのだ。
同じく仙台に暮らす従姉妹たちも集合して、子ども5人わいわい、じいちゃんばあちゃんとひいばあちゃんと過ごした。
みんなで囲む食卓には、いつだって目一杯に皿が並ぶ。特に夜ごはんはすごくって、カレーにコロッケに唐揚げと、何がメインディッシュなのか分からない献立が毎日続いた。
「これも食べなさい?」と人にふるまってばかりで落ち着かないばあちゃん。ほろ酔いで愉快そうに歌うじいちゃん。ワンテンポ遅れて「おほほ」と笑うひいばあちゃんに、「もうお腹いっぱいだよー」と音をあげる子どもたち。十数年も前のことなのに、今でもよく覚えている。
ばあちゃんの作るごはんで印象に残っているのがハンバーグ。ナツメグがきいていて、他では食べることができない味だった。子どもの頃は何の味かよく分からなかったけど、とにかくおいしくて夢中で食べた。母のハンバーグも好きだけど、ばあちゃんのは特別だった。
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小学校を卒業して、中学生になり、高校生になり、大学生になっても、ばあちゃんと、ばあちゃんの作るごはんは変わらなかった。
食べ盛りをとうに過ぎている私たちに「これも食べなさい?」って言っている姿はなんだかおかしかった。「ばあちゃんったらもういいよー」ってみんな呆れていた。
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祖母は、亡くなる1年くらい前から心臓の調子が悪く、病院に通っていた。最期の数カ月は入院した。余命は本人に伝えてなくって、神妙な顔で見舞いに行った私と従姉妹を「すぐに退院するからいいのに」と言いながら迎えてくれた。
ベッドの上でも祖母のもてなしたがりは健在で、ヤクルトとかぶどうとか次々に出して私たちにすすめていた。帰り道、従姉妹と「ばあちゃん、また私たちに食べさせようとしていたね」と言って笑った。
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ばあちゃんは、ずっとばあちゃんだった。年を重ねるほどに、すごく素敵なばあちゃんに恵まれたんだなあと、つくづく思う。
ばあちゃん、私もハンバーグ作れるようになったよ。ナツメグは入っていないけどね。
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20230318 Written by NARUKURU
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