視点は増やし、選べるもの
Ayaさん、こんにちは。
梅が咲いたり菜花が咲いたり、冬から春への移ろいが色彩としても目に入り始めた今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?ポカポカする日が続くと、それだけでも嬉しいものですね🌸
(前回いただいたお手紙はこちら)
続・「相手に言葉を掛けること」
質問へのお返事、ありがとうございました。コーチとの間にあった宝物のような経験(本当に宝物だと思います!)を聞かせていただき、こちらも胸が熱くなりました。恐れを超えて伝えることに本気で注力するような機会、さらにそれを受け取る機会…そのこと自体がとても貴重で尊いものだと思います。
また、「あくまで相手の方の思考の材料にしてもらえたらいいな、という軽やかなスタンス」でよいことも、私にポジティブな影響を与えてくれました。そして、この話を聞いて最近耳にしたByron Katieさんの言葉を思い出しました。
There are only three kinds of business in the universe: mine, yours, and God’s.
私の聞いた説明では、「世の中には、自分の範疇、相手の範疇、神の範疇の3つの事柄がある。この中で、自分でコントロールできるものは自分の範疇だけである」と。
この話がAyaさんの書いてくださったこととシンクロし、相手の受け取り方は相手の領域であること、その領域はコントロールできないものであることを知っておくことも大事だなと感じ、この認識のおかげで少し気持ちが軽くなりました。
「相手に言葉を掛けること」に関して、いま、身体面からも働きかけを行っています。主には喉や顎、舌に働きかけているのですが、深堀りするともっと身体のあちこちに繋がっているようで、今後も探求は続きそうです。
レンズの存在を認識し、見えるものを増やしていく
narukkkoさんはどんなレンズを通して世界を見ていると思いますか?
そして、そのレンズはどんな風に変化してきましたか?
さて、いただいた質問に関して。レンズ、フィルター、通してますよね~(深い頷き)。どんなレンズかについては断言し難く、複数あるものだと感じているのですが、まず、「レンズを通して世界を見ている、つまり何らかのバイアスがかかっている」ということは常に意識するようにしています。
変化としては、レンズの存在を明確に意識することに始まり、いろいろな出会いを経てレンズの多様さを知ることが楽しくなり、もっと増やしていきたいと思っている、というのが現在地です。少し抽象的なのですが、レンズの深度を変えて、引いたり迫ったり、そんなこともしている気がします。
ちょうど先日、参加したジャーナリングのWSのテーマが「視点」で、自分のレンズを通してみる視点を認識した後に、それをずらしてみるということを行ったのですが、“視点っていくらでもずらせるんだなぁ~””思っていたよりフレキシブルで面白い!”という、明るい気付きを得たところでした。
自分のレンズ、フィルター、モノの見方は、いつだって変えることができるし、いつだって自分で選ぶことができる。そのマインド、視点をずらす手段、そして別の見方を想定できる心の余裕を、いつも持っていられるといいなぁと思います。
春のお楽しみ
話はガラッと変わりますが、Ayaさん、春の恒例行事ってありますか?もしくは、この春に新しくやってみたいことでも。私は京都で学生時代を過ごしたのですが、春になると和菓子屋で桜餅や団子を買って、それを桜の木の下で食べることを楽しみにしていました。そして、それは今も、春の恒例行事(行事と言うほどでもないのですが…)となっています。
Ayaさんの春のワクワクやドキドキ、もしあれば聞かせてくださいね😊
それではまた!(こちらこそ、いつも思考を深める問い掛けをしていただき、ありがとうございます)
今日の飲み物:ミントティー
今日のBGM:「青葉家のテーブル オリジナル・サウンドトラック」