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政治がわからぬ。けど、服ならちょっとわかる。 ハンケンリョク ムセイフシュギこれは前座。本題は「『ViVi』 × 自民党」から。先々月、大阪に行った時にふらと立ち寄った店(名前は忘れた)で思わず買ってしまったTシャツ。胸には「ハンケンリョク ムセイフシュギ」。そういう政治思想があるわけではない。 「ハンケンリョク ムセイフシュギ」Tシャツ 馬鹿正直にこの「ハンケンリョク ムセイフシュギ」のメッセージに共鳴して買ったわけでは全くない。風体、そういう態度を取りそうなナリをし
「限界」。ここから「限界ファッション」について思いを馳せてみる。現状、オチはない。 『限界芸術論』 鶴見俊輔、ちくま学芸文庫、[1967]1999 「修羅」とは、各個人の中にある外面化されていない分身であって、これが各個人を底のほうからつきうごかして彼を現状に満足させず、彼をして、未来への彼なりのヴィジョンを投影させる(p77) 「際」『限界芸術論』の「限界芸術」、「限界」という概念・考え方から飛躍して、個人的な興味関心に引きつけて「限界ファッション」について考えてみた