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わかる技術 < わからせる技術

自分が理解したことを、できる限り齟齬なく、相手に理解させる。
指示を正確に通したり
達成したい目標に沿って行動を促したり
このようなことを実現することの方が、自分自身が理解することよりも何倍も難しく重要なことだ。

自分が頑張って、いい成績を収めるとか、いい大学に行くとか
目の前が開けた感覚になるくらい、理解ができた、とかそういうことはもちろん、素晴らしいし、嬉しいことだ。

しかし、
そこで得た知識を自分の中に留めるだけでなく、
自分以外の誰かも、その知識を実践できるレベルで伝えられたときこそ、その知識の真価を発揮したことになる。

実践というのは、お金を稼ぐなどの目に見える成果だけに限らない。

たとえば、
もやもやしていたキリが晴れて、健やかに過ごせるようになった
とか、
相手に優しくできるようになった
とか、
日常のフラストレーションの原因になっていた作業時間が短縮された
とか
そういうことの方が、むしろ重要。

知識を発信した人を震源地として、その周辺の人の快適さや生産性が底上げされていく。良い循環が巡って行ったり、悪い方向に行かないように価値観がアップデートされたりする。

それが理想だ。

つい、その人単独の成功や自分自身の功績だけに着目し
妬んだり、自慢したりしがちだが、そういうことにはあまり意味がなくて。

自分がわかった、っていうのは前提で、
そのわかったをいかに、相手に「わからせる」が重要なのだ。

その技術は、一撃でわからせる必要はなくて。
何度も対話を繰り返す粘り強さも、わからせる技術に含まれる。

相手がわかるまで、辛抱強く、表現を変えたり、卑近な例を持ち出したりして、対話を諦めず、同じ土俵で議論できるレベルに相手を引き上げる。

それを諦めた時点で、平行線だ。

相手は、人間だけにとどまらない。
AIに対しても、同じだ。


素晴らしいテンプレートが数え切れないほど共有されているが、一発のプロンプトで、完璧な答えが返ってくることなんてない。

それをベースとして、自分の本当に欲しい回答を引き出すためには、どうやったら自分の意図をAIにわからせるかを試行錯誤して繰り返すことが重要なのだ。

わからせる技術が優れている人の話は面白い。
まるで自分自身が賢くなったような気になってくる気持ちよさがある。

ハラリ氏の本がまさにその代表例と言えるのではないだろうか。

翻訳の力もすごいと思うのだが、
読み進めていくうちに、
「ああ、つまりこういうことか・・・」と、ぼんやりと頭で思いついたことが

次のパラグラフに言語化されてまとめられてる。

まるで、自分が思いついたことをそのまま明確化したようにまとめられているのだ。

そう言うふうに、相手に想像させて、イメージさせた状態で、
ズドン
と、ばっちりの言語化をプレゼントしてくれるので、
ものすごく理解が進むし、納得感がすごい。

自分で考えたかのような錯覚を何度も味わうことで、
表面的でなく、ハラリ氏の主張がこちら側に浸透してくる。

その上で、最後まで、説明し切らないことで、もうちょっと、自分なりにこの歴史について調べてみよう、この人物ってどんな人かもう少し詳しく知りたいな、と思わせる余白もある。

上下巻でかなりボリューミーな上、途中で色々調べたりするので、なかなか読み切れないが、ゴールまであともう少し・・・。
最後まで楽しく読み切りたい。

ハラリ先生ほどのわからせる力は次元が違いすぎて、このレベルを目指すのは現実的ではないかもしれないが・・・

相手が能動的にわかりたいと思わせる力、その上で、相手がわかるような状態で知識を料理して提供できる力を鍛えていきたい。


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