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悪くもないのに、先に謝る行為は、単なる保身

さきほど、Twitterで見知らぬ人と会話をする中で、

「悪くもないのに、謝る行為は誰のためにもならない」

と、教えていただき、では、なぜ、私は先手必勝とばかりに謝ってしまうのか?ということについて考えてみた。

それは、誰のためでもない、私自身の保身のためだ。

ごめんなさい、申し訳ありません、と、謝るほどでないことに、一言、エクスキューズを添えることで、自分自身を守ろうとしていたのだ。

なんという浅ましい行為だ!

これは、大変よろしくない事態である。

ごめんなさいね、謝ってるからできなくても許してくださいね

というのが、透けて見えていたからこそ、本当に謝るべきことが生じたときに、今まで、何となく積り積もってきた、甘えに対する、怒りが明確になり、キツイことばを放たれたのかもしれない。

自分を甘やかすための、偽物の謝罪をすることは、直ちにやめないといけない。

このことに気づけたことでも、良しとして、もう少し、本質的な意義のある仕事をしていきたい。

ありがとうTwitter。ずっとただ眺めるばかりで「いいね」をつけるだけだったけど、自分の言葉で発信することで、自分のためだけに向けられた言葉をもらうことができる。

素晴らしいことだ。

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