チェンソーマンの漫画を読んだ感想、普通のしあわせ。

一部だけ漫画で読んだよ。

※ネタバレを含みます

 漫画に対する技巧がわからなくても、闇の悪魔登場シーンにめちゃくちゃ心がざわついた。これはすごいのだと思った。
 宇宙飛行というのは、基本的には(というのは観光以外では)人間が地球に隷属することに無理やり抗うテストのひとつで、選ばれた人間による、ある意味冒涜的な最先端だと思うのだけど、それがあんなに残酷に、敬虔に描かれる。
 あと、宇宙飛行士の飛行服の造形、宇宙船付近以外で見ると異形ぽい(これはゲームのリターナルで普通の家に普通にいたら凄く怖かったことから)なんだけど、それになってでもう「科学」によって抗うのがねじ伏せられる、というのがとてもよかった。

 これ以外にも、「なんかスゲエものを読んでいる」感はして、それでいて全部がわかるわけではなくて、これは私にとって映画の「スワロウテイル」に似ていた。スワロウテイルに限らず、難しい映画の感じ。
 分かる人が見るともっとわかるんだろうなー感。

 一方、これは強めの腰痛で生活を制限されているからだろうけど、「身体の一部を(永遠に)差し出して悪魔の力を借りる」のに身体の一部を永遠に差し出すとか痛むということのデメリットの描写が少ないので、そういうこっちゃないんだよ!! 身体ってやつは!! という八つ当たりのような気持ちがあった。仕方ないのだ、日常シーンは少ないし描かれてるのが短期間だから。
 でもデンジが望む普通の生活にも「肉体的な、慢性の痛みがない」ので(そりゃデンジが急にそんなこと言い出すわけないのだが)、あの「こんな生活してて何が不満なんだろうなあ……」にぐっと来ないで「私なら痛いとこは不満だよ!」となってしまったので、やはり疼痛をかかえると価値観が歪む。少なくとも普通とは変わってしまう。

 そしてこの「普通の生活」を望む人たちが世界を滅ぼすほどの全然普通じゃない力で周りを破壊してでも「普通」に向かいたがる。
「普通」なんて本当はコベニのように嫌なことだらけなんだけど、その嫌なことは誰にだって特殊な事情で、かといってコベニのように諦めるのも難しい。
 だから「自分は普通ではない」ように思えるのは普通なのだ。前の段落で私も自分を「普通ではない」と思っているのがとても皮肉なことだと思う。
 求められる普通というのは普通ではなく、完璧な普通であり、完璧な普通には最低限の生活と、毎日自分を苦しめているものが特にない世界と、抱きしめてくれる誰かがある。そんなのもちろん普通じゃない。
 だから私だって普通なのだろう。……いや、だからといってこの痛さを許容できるわけじゃないんだけど。だからつまり、そういうことなんだろう。

 個人的には、マキマが(マキマじゃないんだけど)、願いを手に入れたのが、結局元から強いものは手に入れられるという感じになって、現実と同じ理不尽さを感じて嫌だった(妬みを含みます)。
 でも、指を噛む力のエピソードは好きでした。

 個人的にはクァンシと岸辺さんをもっと見たかった。
 ファイアパンチがどうも苦手だったのでこっちも敬遠していたけど、読んだら面白かった。
 アニメ化のオープニングとエンディングの曲につられて読んだけどアニメはまだ見てない。ストーリー知ってると途中が辛くなりそうなんだけどどうしら、見たい気持ちもあります。

 以上、とりとめもなく。

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