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ナイル川(2)

さて、ナイル川のお話の続きです。

アスワンより南の「外国」は伝統的にクシュ、またはヌビアと呼ばれました。現在のスーダン共和国に該当します。2011年に南北に分裂する前のスーダンの面積は、かつてアフリカ大陸で最大でした。ナイル川はこの国も南北に貫通し、首都ハルツームでふたつの川が合流します。ひとつは、エチオピアのアビシニア高原にあるタナ湖(標高約1800メートル)を原流とする青ナイルです。タナ湖の南にあるギシュ・アバイ(標高約2700メートル)の泉が水源だと考える人もいます。もうひとつは、ケニア、タンザニア、ウガンダにまたがるヴィクトリア湖(標高約1100メートル)から流れ出る白ナイルです。青ナイルに比べて水が濁っているからこの名がついたと言われています。ヴィクトリア湖には流入する河川がいくつかあり、このうちルワンダとブルンジを通るもっとも長い川(カゲラ川)を辿った先(標高約2000メートル)が最遠と見做されています。実に、全長約6600キロメートルもあり、皆さんがご存知のように、世界最長の川です。

11の国が流域に存在する。流域総面積は310万平方メートルで日本の国土の約8倍。
そこに住む人口は2億3200万人と推定される

日本最長の信濃川は全長367キロメートルですが、水源は標高2475メートルの高さにあります。図にすると一目瞭然ですが、坂を降るの(河床勾配)がとっても急です。それに対し、ナイル川は非常に緩やかです。水量の六割はタナ湖起源の青ナイルが占め、1000メートル以上の高さの渓谷を一気に下ります。エチオピア領を出るまでに、青ナイルの標高は500メートル以下になります。ハルツームは標高約380メートルなので、以北のナイル川(およそ3000キロメートル)に限っていえば、河床勾配が極めて低く、悠々と砂漠地帯を流れるのです。

このため、ナイル川は年中穏やかです。その両岸の耕作地帯は往来が容易で、都市は川を跨いで広がることもできました。こうして、急流がしばしば国境という分断を生むのとは違って、ナイルは抱かれ、愛しまれる生活の一部になりました。古代ギリシャ人の目には、南方から流れるナイルは不思議な存在と映ったようです。「エジプトはナイルの賜物(たまもの)」(『歴史』第二巻, 五)という有名な言葉を残したヘロドトス(紀元前五世紀)は、「他の河川と性格を異にする河」(同、三十五)とも伝えています。彼らが知る大河とは北から流れるものが多かったのです。地理に疎い私も他に有名な事例を知りません。

アビシニア高原の雨季がピークを迎える八月下旬から九月上旬までに、青ナイルは大きく増水し、エジプトを含めたナイル下流は水浸しになりました。これを洪水季と呼びますが、日本の河川の厄介な洪水とはまったく異なります。エジプトでは、ナイルは六月初めからゆっくりと増水を始め、九月初めに最高水位に達します。このとき、川沿いの平坦な地はひたひたと水に沈み、高台がポツンポツンと頭を出して、小島が連なるような景色に一変しました。やがて川がゆっくりと引くと、そこには上流から運ばれた肥えた土が残っていました。エジプトの農業はこの静かな増水によって支えられて繁栄し、ローマ時代には「ローマの穀倉」とまで称えられたのです。豊かさをもたらす洪水に求められたのは、最低でも十五キュービット(およそ八メートル)の高さの増水でした。

ルクソール西岸に残るメムノンの巨像 ©︎ Naruko
かつて洪水季には、この巨像を含めた一帯が下記リンクの写真のように、驚くような光景に一変しました
©︎ Naruko

ナイル川の洪水はアスワンダム(1902年完成)とアスワン・ハイダム(1970年完成)によって、永遠に失われました。当時のエジプトが経済発展するためには、治水と水力発電は必須だったのです。しかし、その引き換えに失ったのは深刻な水資源不足です。洪水のないエジプト流域の土壌は痩せ細る一方です。行き過ぎた灌漑農業によって地下水が上昇して、塩害に苦しむ地域も確認されています。古代遺跡も例外ではありません。石の表面に浮き出た塩分は壁画やレリーフを剥落させたり、内部で結晶化したものは石そのものを割ったりします。また、エジプトの人口は今や一億人を突破し、アラブ世界で最大です。アフリカ大陸でも、ナイジェリア、エチオピア、コンゴ民主共和国に次いで四番目に多く、水不足が懸念されています。さらに、近年スーダンとエチオピアで大規模なダムが開発され、水の取り合いの様相を呈し、国際問題にまで発展しているのです。伝統的にナイルの治水はエジプトとスーダンが先行していました。2020年にエチオピアが参入したことで、国際協調がますます求められるところですが、当のエチオピアは同じ年に内戦に突入してしまいました。

ナイル流域の六つの大規模ダム

治水と経済発展は確かに大切です。でも、古代エジプトファンとしては、本来の姿を失ったナイル川は、全身を締め付けられているようにも見えてしまいます。そうして、パピルスの原料であるカヤツリグサだけでなく、ワニやカバなどの大型動物もエジプトからすっかり姿を消しました。いつか、調査先のルクソールで食事に招いてくれた現地のある一家を思い出します。その家の最高齢だったおばあさんは唯一、洪水で沈む日々を覚えていました。そういう記憶をエジプトの人たちも忘れかけています。国土改造と原風景の喪失。自らの意思でそれを実行した大規模な事例は他にちょっと見当たりません。

名古屋市東山植物園温室内のカヤツリグサ。繊維質の茎がパピルスの原料となる

実は、このような治水のあり方は古代エジプト時代から知られています。当時の人々もナイルの流路を変えて巨大人造湖(現ファイユーム地方)を誕生させたり、ダムの建設と浚渫を繰り返したり、スエズ運河の走りと言えるような紅海への大掘削を行ったりしました。これらの大事業については、また改めてご紹介しますね。




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