終わりの始まり

先月、愛犬が亡くなった。人間でいえば百歳を超えた大往生だった。

その世話を母と共にしていた父が急速に衰え始めた。パーキンソンとレヴィ小体。母任せにしていた父の病状を嫌でも学ばねばならない。でも、そんなことは後回しだ。母が明らかに疲弊している。それに、父に良くなって欲しいとこれぽちも思わない。早く逝って欲しい。愛犬が一緒に連れて行ってくれたらよっぽど良かったのだ。心だけ奪って先立ったのか。

思えば、ずっと前から父は人間の心を失っていた。愛犬のせいではないのだ。

2024年5月20日(月)の夕方、私はいつも通り休憩時間を取るために仕事先から帰宅した。職場と家はそれほど近い。母はパートで留守だった。帰ると父が嬉々として誰かと電話しているところだった。「野暮用で悪いね〜」と上機嫌にすら見えた。瞬時、虚に戻って電話を切る父に「誰と話してたの?」と聞く。

「警察だがね」。

まもなく我が家にホントに警察車両がやってきた。ちょうど弟が勤務先から帰宅したばかりだった。急いで食事をかき込む私はパニックになりかけた。弟が機転を効かせて「任せて」と目で合図する。

父は古くからの知人に電話をしていた。「ウチに外国人がたむろしているから警察を呼んでくれ」と。それを鵜呑みにしたその人が警察に連絡したのだった。それほど、周囲も気付かぬうちに、父は急速に狂い出していた。

私はすぐに職場に戻らなければならなかった。そして勤務を終えた後の真夜中、また警察がやって来た。見ると、父が連行されているではないか。Tシャツと介護用オムツだけの姿だった。私が庭仕事で使う黒の長靴を履いていた。とても斬新だった。なんで夜中に家を出たのか分からない。徘徊する父を通行人が保護してくれたそうだ。とても申し訳ない。とは言っても、めでたいデビューじゃないか。これで迷子老人として登録されて、社会の監視下に置かれるのだから。しかも同じ日に二度も。

このとき、母は疲れ切って寝ていた。

4日後の金曜日。父がまた脱走しかけた。寝室の窓から這い出てブロック塀を乗り越えようとしていた。寝室近くで布団を敷いて父を交代で監視すると決めたばかりだった。私は初めての晩に早速お役を果たしたわけだ。夜中はまだ肌寒い。脚が冷えた父は自分から湯船の残り湯に浸って暖をとった。下半身が丸出しだった。何十年ぶりに父の陰茎を目にした。背丈が小さい割に立派なイチモツなのは幼い頃の記憶と相違ない。76歳。狂うには早すぎる。体力があるだけに、厄介なシナリオだ。今夜の闇が開けるまで、脱走した事実は私だけが請け負う。家族を寝させたい。こんな気持ちを抱えて寝られるものか。なんで脱走したのか、聞くだけ野暮か。どこかにぶつけるしかない。

エジプト学とはまったく関係のない世界の始まり。自分だけが特別ではない。誰でも順番が巡って来るのだから。なにより、父が一番苦しいのだ。そう理解するよう自分に言い聞かせる。

誰か、寝させてくれ。朝が待ち遠しいよ。母よ、一緒に乗り越えよう。

(おわり)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?