「柳亭小痴楽 真打披露公演」@よみうりホール

ツイッターをみていたら、春風亭昇々さんの"フォローからはずした"くなるような"目ぇまわ"るツイートが飛び込んで来て、

その通りだな、なんて思って小痴楽師匠のアカウントに行ったら、真打披露公演のチケットがまだあるらしい。

「嘘だろ? だって小痴楽師匠だよ、あの成金の」なんて思って、夢空間さんに電話をかけてみたら、「まだあります」とのこと。

ええええー! なんて驚きながらも、即買いした。これが常時だったら、完売必須。コロナ様々である。

いやあ、これがねえ、すごかった……。

すごかった、っていうのが、芸が見事であるということだけでなく、今の落語界の底力をみせられた気がする。

まず、柳亭楽ぼうさんが『雑排』を。トップバッターである前座として、きれいにまとめていらっしゃった。

その後、急遽出演が決まったという、桂宮治さんが登場!

この公演に出演するまでの経緯をまくらに、会場をあたためようとしていらっしゃったのだが、これが、これが……。

おそろしく面白い!

まくらでこんなに盛り上げるってどうなんだ? こんなに面白いってことは、本題の話に行きたくないのかな? 

……なんて、逆に不安になるくらい。爆笑というより、身体全体が舞台にもってかれるような、すごい引力がある芸人さんって、あらゆる演芸界あつめてほんとにいるのだろうか?

でも、そこは宮治さんで、二ツ目としてふさわしい、『たらちね』を。

この『たらちね』がまた……。また、またってなんだよ、ということだけど、宮治さんの『たらちね』は、

完ッ全に二ツ目超えているよ! 今まで聞いてた『たらちね』なんだったんだよ、『たらちね』史上、最高に面白い!

真打昇進が決まっているからね、とはいえ、この『たらちね』はすごかった。キーシンやシフという、化け物級のピアニストが『エリーゼのために』を弾いちゃっている感じ。

『たらちね』は、八五郎のターンが多く、八五郎が面白ければ、あとはどうでもいい、という解釈で、八五郎を力技で演じきるだけの方もいらっしゃる。

だけど、それだと面白くないのだ。八五郎がどういう人なのか? という説明抜きに、単純に話しを進めてしまうと、お茶漬けの咀嚼音の面白さだけで乗り切るかたちになってしまう。

これを、短い時間の中で、宮治さんは見事にやりきった。(とはいえ、最後まで話しきれなかったけど。多分、時間の都合上ってやつ……。)

八五郎が、一体何をどうとらえる人なのか、というのをきちんと伝わるように演じるので、八五郎の妄想癖が、客の脳内に落ちてくる。

また、お清の演じ分けもうまかった。お清、きっと口紅はこんなふうに塗っているんだろうな、おちょぼ口で話しているんだろうな、目はこんな目なんだろうな……っていうのが、なんとなくわかる。

お清が、かわいらしいのだ。

というか、お清って単なるヲタ。漢文ヲタなんだよな、って思った。そもそも、八五郎なんかに嫁いでくるのが、公家の出だとはいえ、京都の大店レベルの財力のあるお嬢様なわけがない。朝ごはんまでつくれるんだからさ。

"~趣味と会社を往復してたら婚期逃しそうなんだが⁉~"、というラノベタイトルにありそうなヲタ清乃が江戸時代にいた、みたいな感じだ。

こんなに親しみのもてるお清って、はじめてかも。お清を宇宙人みたいに仕立てることで、話しの面白さを強調させる人もいる。でも、宮治さんの場合、血の通ったお清と八五郎の掛け合いで、話し全体を小宇宙みたいに形成する。八五郎をしっかりと、面白くすることで、逆にお清の輪郭が際立ってくる。

宮治さんの滑舌の良さ、っていうのは強い。

滑舌が悪くても、最高に面白い方はいらっしゃる。昔昔亭桃太郎さんなんかが、その例であり、あの口調でマシンガンのような面白さを展開してくださる。あのレベルは唯一無二。多分、これまでもこれからも、桃太郎師匠のような人はあらわれない。(ので、聞いておいたほうがいいよ!)

が、それでも、滑舌の良さっていうのは武器だ。

フィギュアスケートでは、足腰の強さやで、ジャンプやスピンなどの技がどこまでできるか決まるらしい。それに近いことが、落語家の滑舌だと思う。

自分の滑舌や話しのリズムとどう向き合うか? っていうのは、いくら理論的に理解出来ていても、身体が追いつかない場合がある。滑舌が悪くても、全然いいのだ。ただ、自分の言葉のリズムと、作品内容がピタッと合わないと、どうしても噺が乗らない。

そういう面で、桂宮治さんというのは、大変恵まれていると思う。もちろん、ご本人の努力もあったと思うのだけど、あの口調は才能というか、肉体というか、神から授けられている、としか言いようがない。

さらに、宮治さんのすごいところは、多分そういった部分をご本人が自覚しているのか、師匠の桂伸治さんのご指導の賜物なのか、滑舌が良いからこそ、それだけに引きずられずに、ストーリーをよりダイナミックに組み立て直して、話すところだ。

滑舌が良いから、そこに気を取られないで済む分、より世界観を重層させて、話すことができる。

滑舌、という土台がしっかりしているからこそ、その上は建て替え放題。どんな大きな祭りにも耐えられそうな、しっかりとした造り。

宮治さんの噺は、客に舞台を脳内で展開させる力がある。特に、お清が出てきたあたりで、はっきりそう感じた。演劇的なアプローチでつくったコント作品宮崎吐夢さんの『今夜で店じまい』(名作!)を、ふと思い出した。実際にあった出来事を、キャラクターを再設定しなおすことで、よりダイナミックに、原作の面白さが引き立つという、夢のような素敵なトリック。

滑舌というフィジカルな要素に恵まれていて、キャラクターを演じ分けられて、世界観を理解して再構築する力もある。天才、っていうのはこういう人なんだろうなあ、としみじみ思った。

最後まで、聞きたかったなあ。

来年、真打披露公演が目白押しみたいなので、たっぷり聞かせてもらうしかない。

次は、小痴楽さんのお師匠様の柳亭楽輔師匠。

一応、『流行語大賞』という演目こそあるが、その目的は、小痴楽師匠のための"露払い"。

小痴楽師匠、という落語界を一大スターに仕立てるために、とにかく会場を温めてくださった。小痴楽さんをよく知らない方にも、この公演で楽しんでもらう、という心持ちでお話してくださったんじゃないか? と思う。

柳亭楽輔師匠の落語は、逸品だ。それでも、若手に花をもたせるために、ご自分の落語は下げた。不動の名人として、余裕と、貫禄と、なによりその姿勢が渋くてかっこよすぎである。

楽輔師匠など、今の師匠方々のこうした姿勢こそ、どの真打の何を聞いても面白い、という落語業界をつくってきた。

今回の小痴楽を筆頭に、宮治さんも伯山さんもメンバーだった、「成金」の活躍は、大変目立つ。目立つだけじゃなくて、その中身が最高すぎる。全メンバー、それぞれに皆、面白いのだ。

そして、今回の柳亭小痴楽師匠だけじゃなくて、昔昔亭A太郎師匠、瀧川鯉八師匠、来年は宮治さん、昇々さん……などなど、真打昇進ラッシュが続く。

「成金」のメンバーについて言えば、単に若いとかハンサムが多いとかそういう話題集めで形成されている、というのではなく、なぜか全員、高いレベルで面白い。

おそらく、柳家喬太郎師匠・春風亭昇太師匠・林家彦いち師匠・三遊亭白鳥師匠、という全員名人クラスのオールスターメンバーで形成された「SWA」に倣っているのだと思う。(SWAは、新作落語のためのユニットだけど、全員完璧に古典もできるという……。)

「SWA」や「成金」で思うのは、彼らのようなユニットの活躍は、それを影から支えた師匠たちの存在があってこそ、ということ。

落語界というのは、縦のつながりが強いと聞く。

師匠たちが、こうしたつながりを阻むことだってできたのだ。「交流するのはいいけど、二ツ目の状態で会をしなくたって、いいじゃない。稽古は師匠がつけるのだから」と。

でも、それを見守ってきた師匠たちがいて(それは自身の弟子だけに限らず、自分の門下でなくても温かく接してきたという部分も含む)、今の若手が自由に、高いレベルで、活躍する落語界があるのだ。

今の若手のインタビューを聞くと、ほんとに師匠たちがどんなに一生懸命落語界を支えていらっしゃるかがわかる。

今の優秀な真打が続くのは、テレビドラマの効果だけじゃない(そんなのちっぽけなもんだ)。本人たちの才能だけでもない。彼らの才能を寛容な心持ちで認め、伸ばし、育ててきた師匠たちがいるからこそである。

何年も、何年も……。けして、くじけることなく、影に日向に、コツコツ落語界をチアアップしてきた、師匠たち。

若手だけが、がんばってきたんじゃない。若手ががんばれる環境を、師匠たちがつくってきたからこそ、百花繚乱状態の、今の真打昇進ラッシュがある。

その背景には、故・桂歌丸会長の存在が大きすぎると思うけど……。

桂歌丸師匠のあの生き方、落語との向き合い方が一つの規範となって、今の落語界があるように思う。

コレに関しては、一度もお会いしたことのない私が語るのは図々しいのでやめる。でも、桂歌丸師匠の人生ってほんとにすごいから、なんで朝の連ドラになんないのでしょうねえ。"桂歌丸物語"って制作したら、視聴率とれる、絶対。

……そんなことを、楽輔さんの姿勢に重ねながら、少し考えた。

そして、お仲入りの前に、春風亭昇太師匠の『宴会の花道』で締める。

超濃厚『たらちね』の宮治さんの残り香と、楽輔さんの弟子を思う温かい気持ちで満たされて、気持ちがとっちらかった会場を、春風亭昇太さんが、爽やかに新作落語で締めてくださる。

生で落語聞いてる~。ホールだけど寄席感出てる~。やっぱ落語いいなー! という気持ちにあらためてしてくれる。

ま、春風亭昇太さんについては書かないでよかろう。

だって、あの芸協会長、春風亭昇太師匠だもの。わざわざここで、おもしろかった~、なんて書く方が野暮ってもんだいッ!

そして、仲入りの後は、口上である。

また、この口上が、面白かったし、おバカかったし、小痴楽さんの黒歴史の暴露なんかもあって、最高だった。

まさかの飛び蹴りまで出たしね。

柳亭楽輔一門、さらに芸協の仲の良さ、あたたかさ、落語に対する思慕みたいのがたっぷり伝わってくる、腹痛直前まで笑わせてもらいながらも、素晴らしい口上でした。

そして、口上後は、テレビでもおなじみの、神田伯山先生。

短い時間ながらも聞かせどころは聴かせてくれた。講談に全然詳しくなく、大変申し訳ないのだけど、私が想像する時代劇の堀部安兵衛よりも、神田伯山さんの堀部安兵衛の方が若く、野生的で、少し驚いた。

間合いのとり方が、伯山先生はすごい。サム・ペキンパーの映画のよう。

これも、もちっとたっぷり聞きたかったなあ。コロナめ……。

そして、最後は、もちろん。

柳亭小痴楽師匠。真打らしく、『らくだ』を。

小痴楽師匠の気風の良い江戸言葉を期待して、聞くわけだけど、もちろん気風はいいんだけど、そこに"老練"という言葉が追加されたような、仕上がりだった。

酔っぱらいの演技が、とにかく上手い。そして、上手いだけじゃなくて、その裏の、了見までもが、にじみ出てくる。

『らくだ』は、『死神』より難しいと思う。

なぜなら、世界観がダークだから。出てくる人物は、暴力とアルコール中毒でまみれていて、さながら江戸版ブレイキング・バッド。ブコウスキーが書きそうと言ってもいい。

『死神』は、寓話的で、登場人物と話しのプロットの構造がわかりやすく縦に揃っているけど、『らくだ』は、一見人が良さそうに見えた登場人物の影がどんどん悪い方へと増長してゆき、明るかった世界を闇の世界に引きずり込んで行く感じが、恐ろしく感じる。

それなのに、落語としての滑稽さもなくてははならないのだ。

客としては、気持ちをどっちにもっていったらいいのかわからなくなる。

もちろん軽妙な笑いの方向へもっていく人もいる。

でも、今回の小痴楽師匠は、あえて、ダークな方向へともっていった。ゆっくり、ゆっくり、一介の屑屋が、半次というやくざ者の悪に影響されてゆき、滑稽な様子でありながらも、腹の奥の猥雑さがじわりじわりとにじみ出てくる怖さ。酒に力を借りて、正しさを愉快な気持ちが破壊してゆく。

小痴楽師匠は、極めて巧妙な語り口で、気持ちの悪い様子を滑稽さで包んで毒のように盛ってゆく。聞いている客の心情とリンクをさせるように、早い江戸言葉を、しっかし間合いを取りながら、噺と客の距離をつめてゆく。

最悪な状況が展開されているのに、笑ってしまう恐ろしさ。それが、見事に聞いている客に迫ってくる。

これ以上聞きたくないのに、中毒のように耳も目も小痴楽さんからそらせない。

終わった時は、ほっとした。夢から醒めることの開放感があった。

そして同時に、柳亭小痴楽師匠という方が、名人になるであろう片鱗を、はっきりと感じたのだ。

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by 日向雅 理予 Narratify Co., Ltd.

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