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執筆者と深読む「プロジェクトシンエヴァ」解題編#2_目次をなぞる②

昨日の#1から引き続き、#2でも「目次」を扱います。


実際の目次のキャプチャ

#1と同じく、以下は本書のp2~p7「目次」全ページのキャプチャです。

p2~p3
p4~p5
p6~p7

章立てについて

こちらも昨日の#1と同じ内容ですが、改めて執筆者目線での章立てをグループ分けすると以下になります。
今回からは以下のグループ分けでいう「後半」について説明します。

序文:本書の位置付けと概要、本書の試み
---------ここまでがオープニング--------
第一部:1章 プロジェクト概要
第二部:2章 プロジェクト実績、3章 プロジェクト省察
---------ここまでが前半・ここからが後半---------
第三部:4章 内部評価、6章 外部評価
第四部:7章 プロジェクト総括 庵野秀明
--------- ここからエンディング---------
第五部:終章 シンエヴァンゲリオン劇場版 全参加スタッフ一覧、本書の制作協力(←目次には載ってませんが本書ほぼラスト、奥付けの前)
---------ここまでが本編---------
補足・付録部(Appendix):5章 ライセンスと宣伝、付録1、付録2、付録3

第三部:4章 内部評価、6章 外部評価

4章 内部評価

本書は「報告書」を意識して制作しており、1章でプロジェクト遂行結果、2章で遂行結果をブレイクダウンした内訳、3章でなぜこの遂行結果になったのか、その理由の自己分析という流れにしたと前回の#1で述べました。
ここまでは報告書として必要な要素を素直に押さえていると思います。言い換えれば、報告書としてはごくごく「普通の展開」です。

「普通の展開」

そしてこの後も引き続き「普通の展開」を続けることを意識しました。
「普通の展開」というのは世の中的になんとなくそうすることが当たり前になっている慣れ親しんだ展開ということです。
そうすることが当たり前になっている展開、というのをもう少し詳しく考えてみると、淘汰を経て生き残った展開、いろいろな展開が試されてきた結果こうすると受けがよかった、こうするとすんなり決裁がもらえた展開、とも言えます。
報告書、仕様書、決裁文書、提案書、企画書、始末書など、先人たちがいろいろ試した結果生き残った様式、構成、書き方みたいなものを私たちはコピペして使うことが少なくないと思いますが、それと同じです。

こういうものは「ロジカルだから生き残った」「合理性が高いから生き残った」「説得性が高いから生き残った」と説明することもできるとは思うのですが、そう単純なものでもなく、しっくりきてなんかいい感じで通りよかったものを「ロジカル」「合理的」「説得的」ということに後付けでした、というようなことも多いのではないかと考えています。ある種の遺伝的アルゴリズムですね。
が、これはいろいろな考え方があるし、説得力のある根拠を挙げることができるわけではありません。
いずれにせよ「残っているものにはワケがある」と多くの分野で言われていると思いますが、報告書もそうで、はっきりとワケがわからなくても従って損はありません。

もちろん、普通の展開に逆らうことが必要な局面、あえてズラしにいくとか逆を張るとかをしてみた方がいいこともありますが本書は「普通の報告書の展開に対するアンチテーゼ」を目的にしてはおらず、報告書として読んでもらいたいものなので、報告書として普通の展開であることがむしろ大事です。
(※あえてズラしにいく、というのはむしろ本書の「企画そのもの」でやってみたところです。また、一部では展開をズラしたところ、ズレていったところはありますが、それは「企画・制作編」や各章の解題で改めて説明させてください)

評価という「普通の展開」

話を戻します。
まず遂行結果があり、次にその結果の内訳説明、次に自己分析があった。
であればその次、報告書的な「普通の展開」(報告書というジャンルで生き残っている展開)として次に置かれることが多いのは「結果に対する評価」と思います。というか、プロジェクトの報告書としてプロジェクト遂行結果に対する評価がなかったら不自然ですよね。

(再び脱線)
本書の参考にするべく、公開されているいろいろな報告書を読みました。その習慣が残り今も時々報告書を読んでみたりするのですが、普通の展開をしていない報告書があったとき、その普通じゃないところはその報告書、あるいは報告対象にとってなにか大事なものが潜んでいることがあると思っています。
普通の展開と比べて何かが欠落している、過剰である、順番がおかしい、文体や言葉遣いがおかしいとかですね。
単にミスだったり、儀式性や伝統・習慣性が強いので定期的に作らなければならないが、関係している全員(作成担当者、チェック者、決裁者、報告書のもらい手など)にやる気がない適当な報告書だから、ということもあるので話半分に受けとっていただきたいですが、
場合によっては、その報告書のチェック者や決裁者の目を搔い潜った書き手の隠れた意思やメッセージ(あるいはチェック者や決裁者までも含めた関係者の隠れた意思やメッセージ)みたいなものが巧妙に残されているように感じることもあります。
読み手しかやったことがなかったらなかなか気付かないが、書き手目線だとこれは不自然だ、みたいなことも。
なお、これにハマりすぎると陰謀論に飛び込むことになります。脱線終わり。

「内部」とは? 「評価」とは? 

改めて4章 内部評価です。
どこからを・どこまでを「内部」というのかは難しい問題ですし、「評価」とは何をすることなのか、誰ならそれができるのかというのもまた非常に難しい問題で、正鵠を射ぬくような答えはない問いだと思います。
いずれもよく使われる言葉にもかかわらず、実は極めて抽象度が高い。
こういう場合にできることは「今回、我々のなかではこういう取り扱いをすることにした」という、まさに内部ルールで動くことしかできません。

以上を踏まえながら本書では以下の4つの観点をもとに「内部評価者」選定の検討を行いました。

①:制作スタッフにとって「評価」というのは注意すべき言葉である。いったい誰が評価をできるのか? 砕いて言えば「お前なんかに評価されたくねぇよ」「お前なんかが評価できるわけねぇだろ」「お前の評価なんてアテになんねぇよ」と制作スタッフが感じる者は適さない。
制作スタッフ誰もが「この人ならば」という納得感を持てる人

②:本書は「他の結果ではなく、なぜこの遂行結果になったのか」に重心を置いている。よって「この遂行結果」のありように大きな影響を与えた人、つまり、この人がいなかったらこの遂行結果ではなく「違った遂行結果」になっていた可能性、及びその「違い方」がとりわけ高い、と感じる人

③:それぞれの評価を総合したとき、相補的に「プロジェクト・シン・エヴァンゲリオン」全体を包括できる立場と関係性にある人

④:『シン・エヴァ』は株式会社カラーが全額自社出資し、自主制作し、自主配給をした作品である。本書も同様に、株式会社カラーが全額自社出資し、自主制作し、自社出版する本である。その一貫性を鑑み、株式会社カラーに所属している人

以上を前提に検討し、検討を続けるなかで庵野さんも助言をくれてその結果これに合致する人として鶴巻和哉、前田真宏、轟木一騎、安野モヨコ、緒方智幸の5名に内部評価者として「プロジェクト・シン・エヴァンゲリオン」の評価をしてもらいました。

評価内容の具体的な深読みは、4章を解題するときに行いましょう。

次は6章「外部評価」です。
「外部者」とは何か、というこちらもまたやっかいな悩みに直面することになります。

次回の更新にて。


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