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執筆者と深読むプロジェクトシンエヴァ/解題編#5_目次をなぞる⑤

目次上では本編の締めは「終章 シン・エヴァンゲリオン劇場版 全参加スタッフ一覧」としています。ページ数制約の都合から本編と全く同じレイアウトにはできなかったものの、内容自体はシン・エヴァ本編のエンドクレジットに使用した画像ファイルからそのままコピペ流用しています。

クレジットなんてパンフレットに載ってるし映画本編を見ればわかるんだからいらないんじゃないか?
という意見を書籍制作中にかなりもらったわけですが、17ページも使ってまでなぜ載せたのか。

  • この書籍はプロジェクト遂行の様態の記録。実際に誰が、どういう立場でプロジェクト遂行に携わっていたのか?という情報も「プロジェクト遂行の様態」の範疇。当然記録されるべきもの。もしこの書籍に実際に作品を作った者たちの名前が掲載されていなかった場合、自分が読者だったら明確に欠点だと感じるし、失望する。

  • クレジットはパンフレットと本編内に既にある、というのはその通り。アニメスタッフデータベース等、インターネット上にもある。十分といえば十分だが、そのうえでもなるべく遠くまで残るようにしておきたく、冗長性は高いほうがいい。出版すると図書館にも入り、パンフレット(←グッズとして販売されておりISBN番号は取得していない)のような個人所有とはまた別のルールで管理され保存される。

  • 制作関係者にとってクレジットは名刺であり履歴書。親類等に見せたりするものでもある。名刺や履歴書等として使いやすく、証明能力の高い形にしておきたい。

  • アニメ業界(や映像業界等)外のみなさんも、プロジェクト仕事を終えるときにはその仕事に携わった者の名前を記録し、可能ならば公開してはいかがですか、というアピール。

  • 単に私がスタッフを改めて顕彰したかった。

といったところです。
書籍の目次的にはこの「全参加スタッフ一覧」で本編は終わりですが、執筆者的には書籍ラスト2ページの「本書の制作協力」がこの書籍の本編ラストです。

「本書の制作協力」によって、このプロジェクト遂行報告は誰の視点や考えや言葉をまとめたものだったのか、そしてその人はシン・エヴァ制作においてどんな仕事をした人だったのかを示すことで、プロジェクト報告書としての信頼性の保証をするとともに、誰がこの記録に関わってくれたのか自体を記録しておきたかった。あとはささやかながら謝辞を意図して。

なお、協力者の名前を載せることまでは早々に決めていましたが、シン・エヴァ制作時の担当役職をセットで載せる、というのは大学時代からの恩人であるI氏の助言で、大いに助けられました。

ここまでが執筆者的な本編です。

残るは5章「ライセンスと宣伝」、付録Ⅰ「株式会社カラーの沿革」、付録Ⅱ「総監督による支持と修正の実例」、付録Ⅲ「編集ラッシュに合わせて更新された画コンテの実例」です。
これらは執筆者的にはまとめて「付録」です。

重要度が低いから付録なわけではなく『シン・エヴァ』にとってめちゃくちゃ重要だけれど(=重要だからどうしても書籍に掲載したいのだけれど)この書籍の主題、すなわちp008「本書の位置付けと概要」の第一段落に記載した「『シン・エヴァ』の制作を「プロジェクト」と捉え、その遂行の様態を振り返り、その実績の記録と、省察・評価・総括を目的にまとめる」からは逸れているものを付録として認識しています。
上記に挙げた4つは「制作」あるいは「プロジェクト遂行の様態の振り返り」という主題とは噛み合わないところがあります。

「ライセンスと宣伝」は制作の範疇には入りません。しかしエヴァを商業作品として世に出し、商業作品として利益を上げる観点からは、それら単体で記録が作られるべき重要なもので、制作と対をなすエヴァにとっての柱です。

付録Ⅰ「株式会社カラーの沿革」も制作の範疇には入りませんが、エヴァというプロジェクト(PM的に言えばプログラム)を着手し完成させるに至ったその背景理解として重要です。

付録Ⅱ「総監督による支持と修正の実例」、付録Ⅲ「編集ラッシュに合わせて更新された画コンテの実例」は制作そのものですが、書籍本編全体に比べて粒度を非常に細かくしており、遂行の様態の振り返りとは噛み合いません。仮にこの付録Ⅱ、Ⅲの粒度に本編を合わせるとそれは書籍全体が全記録全集に近づいて行きます。

このプロジェクト本はある種の中途半端さをねらったところがあります。業界内部の人やオタクだけが理解できるものではなく、また彼らを退屈させるものでもなく、そのうえで広く読まれたいと思って作っているものです。なのでこの付録Ⅱ、Ⅲを全体の基準にすることはしませんでした。しかしとても重要(なにが重要かはこの付録部分の解題で触れます)であることには変わりない。なので付録として掲載しているわけです。

では付録として認識している「ライセンスと宣伝」がなぜ「本編の5章」となっているか。
これは全体構成の都合です。ひとつに、単純に付録が長くなりすぎる。
もうひとつに、語られた言葉としては庵野さんの言葉をこの本の締めにしたい。庵野さんの語りがあったあとに、別の者の語りがさらにある、ということは避けたい。
他方で4章「内部評価」、6章「外部評価」それぞれでライセンスと宣伝について触れている評価者がいるので、この間に滑り込ませておけば、実は主題から逸脱していることではあるものの自然に読んでもらえるのではないか。

記録物・報告物としての論理性や堅固さは欠けてしまった感触がありますが、商品としての成立性としては必要な判断だと感じています。

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