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今は昔のままのお話。拙稿(1968)「古寺と庭園」を掲載した冊子見つかる

 今朝(2024.7.1)、Facebookのプロフィール写真「書字文化記録の表紙/顔」シリーズの第3回は、1968(昭和43)年3月、東京都立武蔵ヶ丘高等学校『修学旅行記(関西・東北)—付 能「井筒」を観て—』の表紙をアップした。

 高校時代は、政治の季節真っ只中、ベトナム反戦・沖縄返還・高校紛争・生徒議会等、高一の時、卒業式(式典)が「粉砕」され、3年間「卒業式」はなかった。ロシア文学の中村白葉さんのご講演(日記のすゝめ)を聴き、1967年秋から日記を書き始め、高校・予備校・大学・大学院、教職5年目1982年まで続いた。
 
 昨年、書/倉庫の奥から20数冊の日記が「発掘」されて、本人もびっくり、誰(つれあい)にも見せられない代物、まもなく廃棄処分にする予定だ。ベトナム反戦や沖縄返還・高校紛争・生徒議会などの活動についてまったく触れていなかった。

 後の寺澤満春が作詞・作曲を始めるようになる日々の動機や背景、実らぬ恋の連続、「心の渦」の真っ只中、赤裸々な自分がそこにあった。ちなみに実際の放送劇にはならなかった幻のスクリプト「心の渦」も「発掘」された。

 高校時代は、1960年代後半、時代状況も私生活も揺れ動いた時期、刊行物に名を連ねるようなものを書いた記憶はなかったが、やはり書/倉庫の中から「発掘」されたのがこれ。

 「古寺と庭園」という一文が掲載れていた。和辻哲郎の『古寺巡礼』を読んだ後、修学旅行(関西)に赴き、後日出された課題に応えて書いた一文である。
 拙稿(1968)「古寺と庭園」『修学旅行記(関西・東北)—付  能「井筒」を観て—』p.27-29、ご笑覧ください。

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