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私のいちばんの猫の話

突然だけれど、私は猫のことが大好きだ。千葉にある実家から徒歩圏内にある祖母の家では長年犬を飼っているし、小学生の時は「生き物がかり」として毎朝にわとりの世話をしていたし、亀もカブトムシもカマキリもザリガニもカラスも名前をつけて飼ってきたけれど(カラスは多分違法)、それらを差し置いて、猫はとっておきだ。これはきっと私が生まれる前から実家に猫がいたことと、その猫が、もう言葉にならないくらいに尊い猫だったことに由来する。私は「ソトちゃん」よりも美しく、気高く、賢く、愛くるしい猫をきっとこれからも知らない。

その猫の名前は「ソトちゃん」といって、内と外の外を意味するその名は、彼女(ソトちゃん)が外にいた拾い猫だったことから付けた名だと、父が教えてくれた。

白と黒の短い毛並みの日本猫。透き通った瞳。うちに来た時は、コップにすっぽり入ってしまうくらいに小さくて、目が開かないくらいに汚れまみれだったそうだ。捨てられていた子猫たちの中の一匹がソトちゃんで、父の友達がそれを発見して、父がもらいにいった。ソトちゃんがうちに来て一年後くらいに私が産まれた。何枚も写真に残っている、ベビーベットに横たわる小さな私の横にいる私より少し大きめの子猫がソトちゃんだった。

ソトちゃんの尻尾は先っぽがぶきっちょに折れ曲がっていた。それは私が小さい時に追いかけ回して思い切り踏んづけた時に骨折した時のものだと、大きくなってから知らされた。

家にいる小さき存在のなかで一番でありたかった小学校低学年までの私は、ソトちゃんにしつこく嫌がらせをしてしまった。近くに寄って行って突然大声をあげて怯えさせたし、大げさに足音を立てて追いかけ回して家の隅に追いやって遊んだ。産まれた頃からそばにいたソトちゃんはこの時どう思っていたのだろう。本当は攻撃なんかしたくなくてただ仲良くなりたかっただけなんだと自分の気持ちに気づいて必死に歩み寄って心を開いてもらうまでにはその倍の月日がかかった。近づいてみてはなんども本気で噛まれて血が出た。血の流れる指をみながら逆上してしまい、また嫌がらせをした。一歩進んで二歩下がるようなやりとりが続いた。

高校生くらいになって、ようやく仲を取り戻せた。私があぐらをかくとそこにすっぽりはまるように身体をすべりこませてくる。ソトちゃんはいつも暖かくて、猫ブラシをかけると毛並みがつるつるになった。階段の手すりを器用に上り下りして、大きな音は相変わらず苦手で、綺麗にトイレをして、一階のキッチンで開けたツナ缶の気配に気づいて二階のベランダから降りてくるくらいに敏感で、白いおなかを太陽に向けて眠るのが大好きだった。

せっかく仲良くなったのに、高校最後の夏にソトちゃんはこっそり死んでしまった。猫は飼い主に気づかれないように死ぬものと聞いていたけれど、最後の最後まで食事もトイレも何一つ迷惑をかけることなく父のベッドの下の奥まったところに小さく隠れるように死んだソトちゃんをみた時は、最後まで、どこまでも美しい猫だったんだねと、悲しい気持ちよりも尊い気持ちの方がまさった。

8月にソトちゃんの命日があるから、毎年この時期にはソトちゃんのことを思い出す。思い出すたびに思うのは、気持ちを伝えたい時に伝える努力をすることの大切さだ。できるかぎりのことができたように思えるだけで、伝えられなくなったあとの気持ちは幾分救われる。綺麗事のようだし当たり前に聞こえるけれど、これが案外難しい。対動物ならまだ恥ずかしがらずほんとうに可愛いね世界一大好きだよと伝えやすい気がするけれど(当人に伝わっているかはまた別なのがもどかしいね)、対ヒトは常により深刻な気がする。どうしてか、まあまた会えるしと後回しにしてしまうし、行間を読んでねと相手に委ねてしまいがち。ソトちゃんにできたのと同じくらいには、相手がなんであれ気持ちを伝えたいなと思った時に伝える努力のできたと思える瞬間を積み重ねたい。

とまあ長く書いてきたけれど、こんなにも愛した存在が世界にいたという事実を持っていることで私はもうまるっと幸せ者だなあと思う。きっと来年もこの時期にはなにかしらの媒体にこのことを書いているだろうな。

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これはソトちゃんをうまく抱きしめられない、ぎゅっとしすぎてしまっている幼いころの私。最後まで読んでくださりありがとうございます。

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