巨大感情というワードについて

モモです。

このnoteでは、昨今もっぱら百合やBLの界隈で盛んに用いられている「巨大感情」という言葉について、用語としての整理を行い、百合やBLをはじめとしたオタクカルチャーにおける議論状況を今までよりもいくらかなりとも見通しの良いものにすることを目標とします。

今回、主に問題とするのは、「巨大感情」という言葉の用語法上の揺れについてです。

以下では、まず、「巨大感情」という用語に大きく分けて3つの異なる用法が見られることを指摘し、そのうちどれかだけを「巨大感情」という語で指示するようにわれわれの現在の言語実践に変更を加えることは容易でないということを確認した上で、ひとまずは、「相異なる用法が存在することに自覚的である必要を受け入れつつそのうちのどの用法も「巨大感情」の用法として認める」という穏健的な立場を提示したいと思います。

なお、以下では便宜上「巨大感情」という言葉を用いますが、「特大感情」や「クソデカ感情」の用語法についても同じです。

目次

(1)「巨大感情」という用語

まず、「巨大感情」という用語について簡単な説明をしておきたいと思います。

「巨大感情」とは、ここ数年の間に、百合やBLのオタクの言説空間において、急激に使用されるようになった新語の一つです。

主な使い方としては、以下の例文のような仕方で、非常に程度の甚だしい感情や、何らかの感情の激しい動きについて用います。

例(i) 【キャラクターA】の【キャラクターB 】に対する巨大感情本当にやばいからオタクは見てくれ。

例(ii)【特定の作品名】の○○のシーンを見て巨大感情になった。

例(iii)【特定のアイドル】に対する巨大感情でつらくなってる。

これを踏まえて(2)では具体的に用語法上の揺れについて議論していきます。

(2)用語法の揺れ①──第三者対第三者

(1)で挙げた例から察しがつくと思いますが、現在のオタクカルチャーの言論空間においては、「巨大感情」という言葉で指示されているものが主に3つあります。

そのうちの一つ目が、例(i)で示されている、第三者Aが第三者Bに対して抱いている程度の甚だしい感情という意味です。

これは、もっぱら百合やBLの界隈でよく見られる用法ですが、フィクションキャラクターに限定したものではなく、現実に存在するアイドル同士の関係について言及する言説においても使用されることがあります。

ここでいう感情とは、友情や恋愛感情のような友好的なものから敵対心、はたまた殺意に至るまで、幅広く程度の甚だしい感情一般を含みます。

例を挙げて説明すると、『ドラゴンボール』で言うと、ベジータの悟空に対する感情、『NARUTO』で言うと、ナルト(サスケ)のサスケ(ナルト)に対する感情などがこれに当てはまります。(悟空のベジータに対する感情を省いたのは、それが巨大感情であるかどうかについて議論が分かれることが予想されるからであり、そうした見解を否定する意図はありません。)

(3)用語法の揺れ②──発話者対(第三者対第三者)

次に、例(ii)において示されているように、自分が第三者Aと第三者Bの関係に対して抱いている程度の甚だしい感情という意味があります。

これも、もっぱら百合やBLの界隈でよく見られる用法です。

(2)で取り上げた、第三者Aが第三者Bに対して抱いている感情とは異なり、ここで話題になっているのはあくまでも自分の感情である点に注意が必要です。

実際上は、作品に登場する複数のキャラクターについて、両者の関係が描かれている場面や二次創作を鑑賞した際に鑑賞者である自分の側に生起する強い感情の奔流のようなものを指す用法がほとんどですが、これも(2)同様に特にフィクショナルキャラクターに限られた用法ではありません。

(4)用語法の揺れ③──発話者対他者

最後は、例(iii)で示されている、自分が他者に対して抱いている程度の著しい感情を表す用法です。

前二者と比べると使用される数は圧倒的に少ないですが、いくつか見受けられます。

これも、(3)同様に発話者自身が抱く感情ではありますが、今回は矢印が関係ではなく、他者そのものに向かっています。

実際によく見られる用法としては、アイドルや声優などに対して自分が抱いている並々ならぬ感情を表現するものが多いですが、原理的には、感情を向ける先は人間に限定されず、例えば、フィギュアであったり、電車の車両であったり、特定の国家であったりすることも可能です。

もっとも、この三つ目の用法については、使用例がごく限られているため、以下の議論では、この用法は無視して話を進めることにします。

(5)用語法の揺れを受けて

以上、3つの用語法について見てきましが、(4)はともかく、(2)と(3)については、どちらも相当数の使用例が確認でき、目下のところ特に区別されていないどころか、区別の必要性すら認識されていない状況です。

つまり、そのうち一方は自分自身が関係に対して抱いている感情で、他方は第三者が別に第三者に対して抱いている感情であり、感情を抱いている主体も、感情を向ける先の客体も異なるわけですが、それが同じ「巨大感情」という一つの語によって名指されてしまっているというのが現状です。

この現状を受けて、用語法の揺れによる議論の混乱を避けるためには、大きく以下の3つの方向性が考えられます。

一つ目は、それぞれに異なる名前を用意するというもの、二つ目は、一方をそのまま「巨大感情」と呼び、他方は別の名称で呼ぶようにするというもの、三つ目は、両者が相異なることを認めつつ、依然としてともに「巨大感情」という言葉を使い続けるというものです。

このうち一つ目と二つ目については、現状2つの異なる用法があること自体がほとんど認識されていないこと、すでに定着してしまった言語使用を人工的に変更することは一般に困難であること、適当な代替例がなかなか思い至らないことなどを踏まえると、あまり現実的でないと思われます。

もっとも、これはあまり現実的ではない見立てかもしれませんが、このnoteの記事やそれと問題意識を同じくする他の議論の影響により、両者を区別する必要が広く認識されるに至り、「巨大感情」に代わる適当なワーディングが提案され、それが広く認知されるに至ったときには、一つ目または二つ目の道が現実のものとなるかもしれません。

いずれにしろ、用語法の規範的な提言についての本格的な検討については、このnoteで十分に扱う余裕はないため、ここでは、暫定的に「相異なる用法が存在することに自覚的である必要を受け入れつつ、ひとまずはそのうちのどの用法も「巨大感情」の用法として認める」という穏健な立場を採り、議論を終わりたいと思います。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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