ミニアルバム発売記念・桑島由一(E TICKET PRODUCTION)インタビュー(前編)
桑島由一(くわしまよしかづ) 1977年生まれ。
テキストサイト「クリアラバーソウル」が注目されたことがきっかけで、小説家としてデビュー。
フロントウイングで制作された美少女ゲーム「カナリア~この想いを歌に乗せて~」などのシナリオライターとして活躍する一方で、『神様家族』などのライトノベルを執筆。
その一方で、E TICKET PRODUCTION名義で音楽活動もおこなっている。
2011年の立ち上げから 2015年2月まで、アイドルラップユニット・ライムベリーのプロデュースを担当。来年1月10日には、吉田凛音の「りんねラップ」などが収録されたミニアルバム「E TCIKET RAP SHOW」の発売が決定、来年夏に公開される映画「BEATOPIA」では、音楽制作・監修を担当している。
りんねラップ MV
BEATOPIA 予告トレイラ―
桑島由一(E TICKET PRODUCTION)
インタビュー(1)
インターネットと美少女ゲームとライトノベルとアイドルラップ
――桑島さんは、小説、ゲームのシナリオ、音楽と様々な分野でご活躍ですが、ご自身は本業を何だと、お考えですか?
僕はもともと小説家ではではないし、ミュージシャンでもないし、イラストレイターでもないんですよ。ずっと、どこにも居場所がないし、何者でもないし、誇れるものがないと思っていて、その気持ちは今も変わらないです。
――結果的に全部一人でおこなっていることは、凄いことだと思うのですが。
でも、思ったように曲が作れないんですよね。デザイン作業もイメージは頭の中にはあるのですが、中々、そこに辿り着くことができない。
――できあがったものがご自身の作品だということですか?
今はそこが面白いのかもしれないですよね。偶発的で不恰好でキメラみたいな感じがして。
テキストサイトから小説家へ。
中学二年生で不登校になって、それから学校には行ってなかったんです。家に引きこもって「みんな死ねばいいのに」みたいなことをインターネットの自分のサイトで書いていました。最近で言う「リア充爆発」しろというニュアンスですね。
最初に作ったサイトの名前は「キノコ」。当時、パソコンがうまく操作ができなくて、アカウントの取得に何回も失敗して。一度失敗するとそのアカウント名が使えなくなるんですけど、だんだん選択肢がなくなってきて、とりあえず「キノコ」って打ったら成功したので「キノコ」にしました。
――その次にはじめたのがテキストサイトの「クリアラバーソウル」ですね。
そうです。その後、サイトを見たウガニクさんという方から連絡をいただきまして「今度アダルトノベルのレーベル立ち上げるんだけど、書きませんか?」と依頼されたのが、小説を書くようになったきっかけです。
――最初の作品は『魔法少女リオ―コスプレオーバードライブ』(二次元ドリームノベルス)ですか?
それは二作目ですね。桑島ユウキという名義で書いた『デビッターズ 返して・勇者さま!』(マイクロデザイン出版局)がデビュー作です。
ペンネームを使うのが一般的だと思ったので、声優の桑島法子さんと女優の裕木奈江さんの名前からとりましたが、二作目以降は桑島由一に改名しました。
それで、『デビッターズ』を書いたら、イラストレイターの片倉真二さんから「アダルトノベルが書けるなら美少女ゲームのシナリオも書けるだろう」と言われて、ゲーム会社のフロントウイングさんを紹介されました。
――美少女ゲームの『カナリア~この想いを歌に乗せて~』がシナリオライターデビュー作ですね。
『カナリア』はフロントウイングさんの処女作で、当時ヒットしました。その次に参加した『グリーングリーン』も好評で、ノベル化するという話をいただいて、ノベライズも書かせていただきました。
『グリーングリーン』のノベライズも評判がよくて、「オリジナルも書きましょう」と言われて書いたのが『神様家族』(MF文庫J)です。
作詞は、ゲーム音楽の作詞をやる人がいないという話だったので、書くことになったのがきっかけだと思います。
――シナリオライターや作詞の仕事は、器が決まっているものに合わせて書いていたという感じですか?
シナリオはキャラクターが事前に決まってましたが、わりと自分の好き勝手に書いていました。
歌詞はもっと自由だったので、ナゴムレコードがどうとかいうのを書いていたんですけど。
――そんな桑島さんの歌詞を、会社が許容していたのが、今考えると面白いですね。
フロントウイングさんも一作目で、会社自体が若かったので、好き勝手にやらせてくれたのだと思います。当時は今よりも美少女ゲームがサブカルチャーとしても盛り上がっていて、他のところではできない表現の受け皿になっていたところもあったんです。
――Keyの『Kanon』や『AIR』や、Leafの『雫』や『痕』ですよね。『雫』は大槻ケンヂの小説『新興宗教オモイデ教』(角川文庫)の影響を受けていました。
ただ、僕自身は、あまり気負いはなくて、頼まれた仕事を続けていたら、今に至るという感じです。それと同時期に、『神様家族』がヒットしてアニメ化されたりプレイステーションのゲームになったり、海外で翻訳もされたりしました。
ですが、自分では傑作だと思って書いた『ポイポイポイ』(集英社スーパーダッシュ文庫)が読者さんにあまり受け入れられなくてスランプみたいになってしまって。それ以降、気分転換というか逃げというか、音楽を作るようになりました。
――凄い経歴ですよね。
自分でも紆余曲折が激しいなぁと思います。アダルトノベルを書いていた時もテレビ番組の「トゥナイト2」(テレビ朝日系)に取材されて、山本晋也監督にインタビュー受けてあることないこと喋ったりしましたし。
そもそもインターネットをやる前はアイドル雑誌の「BOMB」(学研プラス)にイラストを投稿してたんですよ。
――絵も描かれるのですか?
(絵は)凄く下手だったのですが、毎月読者投稿のページに50枚くらい送っていたら「わかったから。仕事にしてやるからもう、送ってくるな」って言う感じで、雇って頂けました。
――「BOMB」にイラストのコーナーなんてあったんですね。知らなかったです。
読者投稿のネタコーナーに少しだけあったんですよ。当時はサブカル系の人たちが描いていまして、伊藤理佐さんも書いていました。そこに偶然、うまく滑りこみました。
――ハムスターの漫画(『おるちゅばんエビちゅ』)を描いてた人ですよね。もしかしたら、漫画家になっていた可能性もあったのかもしれませんね。
でも僕、「BOMB」の時から絵が成長してなくて。絵に対する向上心が一切ないんでしょうね。
「Ich liebe Dich」 学校への憧れ
――桑島さんは、どのような子ども時代を過ごされたのですか?
小学生の頃は何も考えていませんでした。「好きな人いるの?」と聞かれたら、友達が「好き」って言っていた人を「俺も好き」と言うくらい、主体性のない頭の悪い子どもでしたね。
神奈川の住宅地で小学生の時は平和に過ごしたのですが、中学に入る時に千葉に引っ越したら、千葉がヤンキー文化で全然なじめなくて。
暴力的な人間がこの世に存在するってことが理解できなかったです
――桑島さんの表現って暴力的な要素が希薄ですよね。無意識に排除しているのかなぁと時々思うんですよ。
殴ったり殴られたりするのは怖いじゃないですか。『YAWARA!』(小学館)の影響で中二の時に柔道部に入部したのですが、そこで部長に毎日ジュース代をかつあげされるのがつらくて嫌になったんですよ。
具合悪いと嘘ついて休んだら、一日過ぎて二日過ぎて、それが一週間になって、不登校になってしまいました。それが一年になり六年になりという感じで引きこもりになりました。
――高校には進学しなかったんですか。
通信制に入りました。でも、入学式に一日だけ行って辞めました。
――当時の人間関係はどのようなものでしたか。
何もないです。お母さんと話すだけです。でも、途中で千葉県教育センターに連れていかれました。そこは、引きこもってる登校拒否の人たちが集まる場所でそこにいくと出席扱いにされるんだけど、あまり馴染めなくて行かなかった。「みんな仲良くしてね」みたいなコミュニケーションに馴染めなくて。当時の僕は、前身黒い服で、前髪が顔が隠れるくらい長くて。何聞かれても「別に」しか言わなかったし。普通にダメな人でした。
――学校に対する憧れとかあるんですか?
ありますね。やっぱり、学校に行きたかったんですよ。
――『神様家族』等の作品を読むと、学園生活がすごくキラキラしてるなぁって思うんですよ。もちろん、商業的な要請で書いていた部分はあったのかもしれませんが、何でこんなに甘酸っぱく学校が描けるのかなぁって、不思議で。
僕の中で学校の記憶って、中学で行かなくなったから小学校の時代で止まってるんですよ。小学校って、ピュアな綺麗なものというイメージで、ややこしい人間関係とか嫌なところが自分の中にはないのかもしれない。「小学校までの仲良し」っていう記憶だけで書いてる。
――「Ich liebe dich」(※)も、小学校寄りですか? 桑島さんの曲では一番好きなんですけど、当時歌っていた女の子たちの年齢を考えると、舞台は中学かなぁと思って、聴いていました。
※Ich liebe dich
桑島が結成から2015年2月までプロデュースしていたアイドルラップユニット・ライムベリーの曲。学校への郷愁とアイドルとして歌う少女の物語が歌われている。DJ HIKARUによるポエトリーリーディング・バージョンと、メンバーによるラップバージョンがある。
あれも小学校寄りですね。「吹奏楽部の練習が聞こえてくる」という歌詞も、思い出すと小学校の頃の記憶ですね。
「Ich liebe dich」に関して言うと、あの曲は最初、友達が死んだ時にレクイエムとして作った曲なんです。
現在、世に出ている歌詞は後から書き換えたもので、女の子同士の淡い友情の話にしようと思って書き始めました。好きな女の子がいて、こっちは深く思っているけど、向こうはどう思ってるのか? みたいな漠然とした話にしようと思って。
――恋愛未満の淡い感情みたいな?
もうすぐ離れていってしまう女の子に対しての気持ちみたいのを書いていました。
歌詞は、ブロックごとに書いていて、それを推敲して組み合わせて作ることも多いのですが、百合っぽく書いてたパートは、違う歌の方にいって、今の状態になって。
――ちなみにこのWEBマガジンのタイトルは「ich」〈イッヒ〉にしようと思ってるんですよ。個人でやってるから「私」って意味でぴったりかなって思って。
「ich」って言葉は僕のものじゃないからもちろん構わないですよ。「Ich liebe dich」は亡くなった友達が好きな言葉としてmixiに書いていたものです。言葉自体に深い意味も思い入れもなくて、単純にその人を現す言葉だったんです。
――亡くなられたご友人は、どのような方だったのですか?
音楽系のライターでした。ノイズが好きで年が同じくらいだったので、一時期毎日のように飲んでいました。亡くなったのは10年くらい前ですね。当時、テキストサイト界隈みたいのがあって、ヤマグチノボルさん(『ゼロの使い魔』(MF文庫F)作者)とかイイヤンさん(NEWKIDS)とかO-TOくん(オトノチカラ)と言った人たちとよく集まっていました。
テキストサイト界隈って変な人ばかりで、当時はただの若者たちの集まりだったのですが、彼もその中の一人みたいな感じですね。
当時、その界隈でオフ会をよくやっていたのですが、だんだん「オフ会がダサい」みたいになっていったんですよ。「馴れ合って、終わった後にレポート書くのが気持ち悪い。でも会いたいなぁ」みたいになった時に「じゃあ、オシャレだし、クラブイベントをやるか」ってなったんですよ。みんなDJやったことないのに。平日の夜とかに蒲田とかの安いクラブでやらせてくれるんですよ。そこで練習したり、遊んだりしてました。
ケラさんがすべてのはじまりであり、神である。
登校拒否をしていた時に何をしていたかというとラジオを聴いていました。
ある日、お風呂に設置されているラジオを聴いていたらニッポン放送で「ケラと犬子の四次元ラヂオテクノスケという番組を放送していて。聞いたことないヒップホップとかテクノとかチモ・バヨとか流れてきて、自分の知らない異様な世界があるって驚いて。
あと僕、ロボットが好きだったんですよ。『スターウォーズ』のR2-D2みたいな。テクノスケは音声合成でロボットに喋らせるのが番組のメインテーマで、そのロボットボイスが恰好いいって思って。
ケラさんの番組から有頂天を知ってナゴムを知って筋肉少女帯がいて電気グルーヴがいるってことを知って、そこで人生が変わって……涙が出るぐらい衝撃的でした。
――すべてが、つながったんですね。
ケラさんがラジオで話していたので「電気グルーヴとは何ぞや?」って感じで気になってオールナイトニッポンを聴いてたらミスチルの悪口とか言ってて、衝撃的だったんですよ。
――僕がはじめて聞いたのは、尾崎豊が死んだ日の後の放送で、石野卓球が「あいつ死んだらしいよ。でも俺達には関係ないか」って言ってたのが衝撃的で。テレビ見てもみんな真面目に語ろうとしてたのに、あんな距離感でしゃべっていたことに解放感がありましたね。
普通の日常生活を送っていた子どもにとっては、世界の真裏みたいなものをいきなり見せられてしまったみたいな衝撃で。ギャグも質が全然違って、滑って転んでわーみたいのじゃなくて「全裸係長 全裸にマヨネーズ一本という風貌で」とかで、どういうことなんだっていう。
それですごいびっくりして。しかも、「おススメです」と言って、当時の僕にとってはほぼ雑音みたいなテクノがびよーんびよーんびよーんって流れてきて「ここはどういう世界なんだ」って衝撃を受けました。
当時、伊集院光さんも電気の影響を受けていて、どこかで電気と会った後でしゃべり方が電気そっくりになるんですよ。その後、荒川ラップブラザーズをやったり、根本から彼の表現が変わったのを覚えています。
――ニッポン放送で出待ちとかしなかったんですか?
そういう発想はありませんでした。
一人で外に出るとかができなかったし、電車にも乗れませんでしたから。「ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン」とか行きたかったんですけどね。
近所にSくんという友達がいて、その友達とだけ外に行けて、電気のライブに行って、すごいデカい音にドキドキしたりしました。とにかくそんなことをやっていましたね。僕にとっては「ケラさんがすべてのはじまりであり神である」ということです。
――筋肉少女帯も聴いてたんですか?
歌詞の世界観が好きでした。だから、電気、筋少、スチャダラですかね。
――フリッパーズ・ギターなどの渋谷系はどうですか?
単純に知らなかったです。渋谷も行ったことがなかったので。
ロッテルダムとか聞いていたから、それどころじゃなかったんですよ。
当時、ケン・イシイがシンセ一台で曲作ったって言うから、お母さん銀行(預けていたお年玉)からお金を引き出し、小室哲哉さんが宣伝していた「YAMAHA EOS B500」というシンセサイザーを買いました。
でも、買ったものの曲が作れなくて。ドレミもわからないし曲の構成もわかんないから「4つ打ち」に少し音を足すぐらいしかできなくて。
――当時から作曲はされていたのですね。
シンセ一台あればできるのがテクノだと思って買ったらできなくて。
楽器引けなくてもできるのがテクノって言われてはじめたのに……。
――当時、石野卓球が言ってましたね。僕も意味もわからずTB-303を買わないといけないって思いました。
ただ、その時に作った曲が、ヤマハ主催のラジオ番組「ぽっぷん王国ミュージックスタジアム」で紹介されたんですよ。それを聴いて、「行けるのか?」みたいな謎の自信が出て。
「キーボード・マガジン」(リットーミュージック)も意味がわからないまま読んでました。
当時、CMJKが「GROOVE CONTROLというデモテープを批評するコーナーを連載していたのですが、そこに自作の曲を送ったら「キックにリバーブをかけちゃダメ」って書かれて。
その時は14歳だったんですが、「リバーブって何?」って感じで。
他には、「海外のレーベルにデモテープを送ればいいと思って、よくわからないままいろんなところに送っていたりしました。
そしたら北海道のTTBレコードから電話が来て、コンピのカセットテープにあなたの曲をいれるのでつきましては3万円かかりますって。あれ? 確か6万円だったかな。
――お金とられるんですね。
「母さん、チャンスだから6万円。ミュージシャンになるチャンスなんだよ」って説得しようとしたら「馬鹿言ってんじゃないないよ」ってたしなめられて。
――先ほどからお話を聞いていて思ったんですけど、お母さんが結構優しいですね。
途中で諦めたんだと思います。学校行かなくなった当初は怒鳴られたりしていましたが、親もたぶん、「不登校児童を持つ親のためのカウンセリング」みたいのを受けてたんじゃないかな。
千葉県教育センターに僕が行くと親も同行するから「学校だけがすべてじゃないですよ」みたいな話を聞かされたんだと思うんですよ。
将来どうなるかわからないけど、無理やり行かせても。みたいな話になって。
そうこうしているうちに学研に行って「BOMB」の仕事をとってきて。
――引きこもりから、いきなりメディアに持ち込むのが凄いですね。
本当に何も知らなかったんですよ。クソみたいなギャグ漫画をBL雑誌に送って何の選評もなく戻ってきたりとか、見よう見真似で書いた少年冒険活劇小説を、ハーレークイン雑誌みたいなところに送ったり、コイツなんなんだって思われたりしたのもあっただろうけど、その中のいくつかが当たるみたいな感じがあって。
ケラさんのラジオも投稿して読まれたりして、すごくうれしかったんですよ。
――やろうと思ってやってしまったのが、桑島さんが他の人と違うところですよね。自分もそうなんですけど、電気グルーヴと伊集院光を信奉してた人の悪い癖で、彼らの言葉を、何もやらないことの言い訳にしちゃうんですよね。そのくせ、人を見下すことだけはうまくなって。
「学校も行ってないし、何もしてないからやるしかない」みたいな感じでしたね。やればなんとかなるかも、という根拠のない自信があったかもしれません。ナゴムからの悪い影響で。
――でも、ネットのブロガーとか、みんなそんな感じでしたよ。電気グルーヴや伊集院光が好きな人ってシニカルになりすぎて、なかなか作る側に回る人がいなかったんですけど、桑島さんは作る側に行けたんですよね。その理由が知りたくて。
有名になりたいとか見返したいみたいな気持ちはずっとあるから、作品を出さないといけないって意識はずっとありますね。「作らないとヤバい」みたいな。
――作るor Dieですね。
作るor Dieですよ。それいい言葉!
伝説のMOE-K-MCZ
実は、MOE-K-MCZの前にプロトタイプとしてイラストレイターのマリちゃん(Mari-chan)とやったラップがあったんですよ。
マリちゃんと言っても、男性なんですけど、マリちゃんが描いたキャラクターをモチーフにPVを作って、友達に曲作ってもらうというプロジェクトのプロデュースをしました。
仕事で知り合った声優さんに歌ってもらって「マリちゃんのテーマ」のCDを作ったんですよ。
そこに僕も音楽的なことを何かやろうと思って、カップリングで「マリちゃんラップ」を作って。その時に萌えとラップって相性いいなぁと思って、単独の企画として膨らませたのがMOE-K-MCZです。
だからメンバーの一人はマリちゃんの声を当てていた人でした。マリちゃんのイラストは絶対、海外で受けるはずだって思っていたら後に元ラモーンズの人のバンドからのオファーがきて、マリちゃんがPVを作ることになってました。
――そのPVはどんなものだったんですか?
B-29が空からハンバーガーを落として日本がアメリカンナイズされるみたいな世界観で。マリちゃんからは「桑島くんには思想がないからダメなんだ」って、言われていたから「なるほど、思想ってこういうことなのかって」(笑)。
僕は「私はまりちゃん魔法のデザイナー」みたいな歌詞を書きました。
Osaka Popstar - "Wicked World" Misfits Records
――ライムベリーのプロトタイプとなったMOE-K-MCZは、今となっては伝説の存在ですね。
5回くらいしかライブやってないから知っている人がほとんどいないだけですよ。
『電車男』が流行っていた頃に、萌えパンクとか萌えメタルみたいな、萌えと音楽を融合させたら面白いんじゃないかって流れがあって、じゃあ、僕は萌えとヒップホップを融合させるというワンアイデアのみではじめました。
でも、曲も作れないし声優さんの知り合いもほぼいなかったので「ACID Pro」(SONY)という音楽制作ソフトを買うところからスタートして。
――ソフトを買うところからスタートしているのが、凄まじいですよね。
まずは体験版をダウンロードして、サンプリングを組んでみて、いけるかどうか判断してこれなら何とか形になるかなぁというところで曲にしたんですよ。
その後、ケロログというボイスブログで声優志望の女の子をみつけてラップをやっていただけませんか。って一人一人にメールを送りました。
「萌えラップってのをやりたいんですけど」って説明して。
――本当に一人でゼロから始めたんですね。
友達がいないから一人でやるしかないんですよね。
同人誌を作った時も、常盤響さんみたいなジャケットにしたいなと思ったけど、モデルもいないし写真も撮れない。だからまずはカメラを買うところからはじめました。
モデルになってくれる女の子も友達にいないから、2ショットチャットに行って「一万円払うから、同人誌の写真を撮らせてくれないか」って頼んで。
デザインもやってくれる人もいなかったから全部自分で調べてやりました。
――譜面は読めないんですか?
現在は、多少は理解できるようになったのですが、当時は譜面も読めないし、ドレミもわからなかったです。でも、サンプリングという手法があるらしいってことを知って、それなら曲が作れる、ヒップホップはサンプリング文化だから丁度いいと思って。サンプリングって違法なものだけでなく、合法で、ギターやドラムの音源も売ってるんですよ。それを10万円分くらい購入して覚悟を決めてやるぞという強い気持ちではじめました。
最初に作ったのは「HEY!BROTHER」と「WJ」と「MAGIC PARTY」ですね。
この三曲と「まず太鼓」と「MOEKMCZTOKYO(後のSUPERMCZTOKYO)」は、当時すでにライブでやっていました。「HEY!BROTHER」は、ビースティ・ボーイズの「ファイト・フォー・ユア・ライト」みたいなロックっぽいトラックを作ろうと思ったけど、全然ロックにならなくて。イメージどおりにできないですよ。
――素人が作ったとは、思えないですよ。
完全にド素人の作品ですよ。あと『HEY! BROTHER』は、ニッポン放送で「井出浩二のゲルゲットショッピングセンター」を放送していた井出浩二(現・井出コウジ)さんがやっていたブランニューモンキーズ(BRAND NEW MONKYS)というラップユニットの「スケートボーイズ」という曲も元ネタです。
「YO! スケートボーイズ、YO! スケートボーイズ」って連呼しているのをやりたいと思って、「ねーお兄ちゃん」「ねーお兄ちゃん」に変えたんですよ。
あと、アニメ声でラップだから海外で受けると思ったので、全部の曲に英語のサブタイトルをつけようと思って、「ねえお兄ちゃん!」に対して「HEY!BROTHER」にしました。
――以前から疑問だったのですが、全角英字だったのは、何か意味があるんですか?
あれは決めないといけないから決めただけで、そこに意味合いはなかったです。ちゃんと決めないといろんな媒体で表記が揺れちゃうので。
――繰り返しになりますが、どうして桑島さんは素人なのに曲が作れたんですか?
やっぱりACIDが優秀だったからだと思います。ファイルからコピー&ペーストでドラムが鳴り出すから簡単ですよ。
――理屈ではそうですけど、どんなに機材が優秀でも作品を作るところまで行ける人はいないですよ。
誰も作ってくれないから、自分で作るしかなかったとしか言えないです。
次回は、ミニアルバム「E TIKET RAP SHOW」の全貌について伺う予定です
E TICKET RAP SHOW
ミニアルバム「E TICKET RAP SHOW」
●E TICKET RAP SHOW(通常盤)
品番:INRC-0001
JANコード:4571346500111
発売日:2017年1月10日(火)
価格:2400円+税
レーベル:IDOL NEWSING
●「E TICKET RAP SHOW」(フォトブックセット盤)
品番:INRC-0002
Format:CD
JANコード:4571346500142
発売日:2017年1月10日(火)
価格:3700円+税
レーベル:IDOL NEWSING
参加アイドル:吉田凜音、椎名ぴかりん、ようなぴ(ゆるめるモ!)、根本凪(虹のコンキスタドール)、寺口夏花&山崎愛(sora tob sakana)
内容紹介:E TICKET PRODUCTIONが全ての楽曲プロデュース、制作をつとめるミニアルバム。
吉田凜音「りんねラップ」を含む2曲と、椎名ぴかりん、ようなぴ(ゆるめるモ!)、根本凪(虹のコンキスタドール)、寺口夏花&山崎愛(sora tob sakana)の各1曲を収録。SKITにはYui&Aoi(MOE-K-MCZ)が登場。
さらに通常盤+カラーA4サイズ32Pのフォトブックの「フォトブックセット盤」もリリース。フォトブックには、CD付属のブックレットに収まりきらなかった参加アイドルたちのグラビアが盛りだくさんで掲載されている。
01.りんねラップ feat.吉田凜音
02.GOES ON feat.ようなぴ(ゆるめるモ!)
03.アウトラウド feat.根本凪(虹のコンキスタドール)
04.SKIT
05.AS ONE feat.寺口夏花&山崎愛(sora tob sakana)
06.FIRE LIAR feat.椎名ぴかりん
07.りんねラップ2 feat.吉田凜音
E TICKET PRODUCTION 1stミニアルバム「E TICKET RAP SHOW」発売記念
E TICKET RAP SHOW
期日:2017/1/8(日)
場所:代官山LOOP
時間:開場 14:00 / 開演 15:00
出演:吉田凜音 ようなぴ(ゆるめるモ!) 椎名ぴかりん 根本凪(虹のコンキスタドール) 寺口夏花&山崎愛(sora tob sakana) / NEWKIDSCREW(OA)
チケット:前売 2000円+D / 当日2500円+D
CD「E TICKET RAP SHOW」(通常盤)付き前売チケット(500円お得!) / 4000円+D 当日4500円+D
CD「E TICKET RAP SHOW」(フォトブックセット盤)付き前売チケット(500円お得!) 5500円+D / 当日6000円+D
「E TICKET RAP SHOW」初売りの他、オリジナルTシャツを販売します。
12/8(木)12:00より、イープラスにて発売
http://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002211119P0030001
IDOL NEWWSING LIVE 2.5
期日:2017/1/8(日)
場所:代官山LOOP
時間:開場 17:50 / 開演 18:40
出演:吉田凜音 椎名ぴかりん 虹のコンキスタドール sora tob sakana
チケット:前売 3500円+D / 当日4000円+D
「りんねラップ」MVフルver&メイキング他収録、DVD「IDOL NEWSING vol.2」付き前売チケット(500円お得!) 5000円+D / 当日5500円+D
12/8(木)12:00より、イープラスにて発売
http://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002211124P0030001
「E TICKET RAP SHOW」インストアイベント
1/9(月・祝)15:30~
HMV&BOOKS TOKYO(渋谷・modi 7F)
出演:吉田凜音、ようなぴ(ゆるめるモ!)
1/14(土)12:00~
タワーレコード新宿店
出演:吉田凜音
1/24(火) 18:30~
タワーレコード渋谷店 4F
出演:根本凪(虹のコンキスタドール)、ようなぴ(ゆるめるモ!)
2/4(土)18:30~
出演:椎名ぴかりん
and more...?
※お問い合わせは店舗ではなくIDOL NEWSINGまでお願いいたします。
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