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【備忘録】先生との対談について①(2024/4/25)

「なあ、辞めとこって!何も決まってないのに相談行っても恥かくだけやって!」
「いいや、何も決まっていないからこそ相談に行くんだ。恐れることは何ひとつない。」
「でも…」
「ほら、行こう!」
「いやいやいや、だって、教授も忙しいやんか」
「それはそうだけれど、僕らの相談を受けるのも先生の仕事さ」
「いやぁ、でも、そんな急ぎの用じゃないし…。それに、顔は知られてるかな、くらいの関係やし…」

 一方の男は完全に及び腰である。他方、もうひとりの男は勇んでいる。"教授"なる者はそれほどまでに気合を入れて立ち向かわねばならないのか。
 セーブは済ませたか。薬草や武器の準備は万全か。何度も確認している。それでも次々に言い訳が生まれてくる。どうやら教授との面談はボス戦らしい。

 さすが巨匠ドラクロワ。何百年越しにもかかわらず大学生の生態を巧妙に言い当てている。きっと、ほとんどの大学生がこんな感じだろう。モヤッと思うことがあっても、考えているうちにどうせたいしたことではないと思い始める。そこにたくさんの言い訳が積みあがって、何もできなくなる。

 私自身、そのような経験が幾度となくある。特段の理由がなくとも、ただオックウになってしまって、何もできない。しかし、ふとしたときにそれが破れる瞬間がある。疑問が3つ以上出てきた時だ。ひとつ、ふたつならばまだ呑み込める。だが私の場合、処理しきれないものが3つを超えてくると闘いに赴けるようだ。言わば剣、盾、ポーションの装備がそろうのである。

生身の問い

 さて、ここからはタイトルでも述べた通り私の備忘録を残す。正直「読んでもらう」ための文章ではなく「書く」ための文章なので、文脈をすっとばすこともあるし、なにより「面白くしよう」というものではない。したがってイミフな場合そこを読み飛ばすか、回れ右をしていただきたい。

 話したトピックは以下の4つ。
・ フィールドワークをする場所について
・ 院試と座学について
・ 主観/客観という区別を超えることについて
・ 参与「観察」について

 これらについて得た見識みたいなものを、まとめておく。あるいは、付随して生まれた疑問も書いておく。

フィールドワークをする場所について

 昨年度はベトナムをフィールドワークの地としてインタビュー調査と労働実践をおこなった。テーマは労働観。現地の人は労働についてどのような捉え方をしているのか。日本人が考える「働く」とそれとはどのように異なっているのか。そんなことをフワッとテーマにしながら調査を行った。
 調査手順自体に特別欠陥はなかった。が、どうにもまともな成果が出なかった。まあ1年目の研究なんてゴミみたいなものである。先生がたからレビューとアドバイスをもらい、さあリトライという状況である。

 そこで考えねばならないのはフィールドの選定と調査手法である。どこに行くのか。ベトナムはインターンシップのついでで選んだだけなので、正直くりかえし訪れて調査するモチベーションはない。また、何も考えず昨年のプロセスで行けば二の舞になるのは分かり切っている。

 ここで、そもそも人類学を始めたきっかけをふりかえってみた。アイヌである。地元を出て北海道を訪れ、人類学を選んだ根柢にあるのはゆるぎなくアイヌ文化である。中学ごろに表象されたアイヌの像を見て以来、何故だか心惹かれている。この地で卒論を書くならば、アイヌしかない。
 そんな風に思い返したのが先月。したがって調査地もアイヌに纏わるところが適切だと考えた。
 しかしいっぽうで、調査手法の改善方法については一切思いつかない。正直「この人にこそ定むべし」といった協力者候補がいるわけでもないし、具体的なフィールドのアテもない。

 この難点を先生にぶつけてみた。解答の要点はこんな感じであった。
・良い協力者と出会えるかはやっぱり運しだい
・候補地として、二風谷の他に白糠、屈斜路、苫小牧、、阿寒、ウトロのへんも良いと思うよ
 なるほど、めっちゃ参考になった。が、が、が、実際問題が氷解しているわけでは一切ない。結局なんとかなる、かもしれないしならないかもしれない。しかし、こうやって助言をもらうだけで不思議と諦めず、なんだかできるかもしれないと思わせてくれるのはさすがである。

 とりあえず、まあ1年なり2年なり、焦らずぼちぼちやっていこうではないか。

院試と座学について

 大学院に行こうと思っている。理由はいろいろあるが、イチバンは「賢くなるため」である。また、これに際して希望は3つ。① 修士号を得られること、② 新しい環境に行くこと、③ 学部でした勉強が学びとして昇華されることである。むろんどこか特定の大学院に行けさえすればたちまち全部が叶う、といったものではない。どんな環境であれ自身の意識次第で自己実現は不可能ではない。

 ただ、私が「人類学」という学問に触れることとなったI先生という方がいらっしゃる。高校時分の私はその文章を読んで「自分と異なっているモノ」が何故異なっているのか、本当に異なっているのか、頭をアツくして考えた。その先生が大学院で教鞭をとっておられるのだから、そのゼミに行くことはひとつの目標と言っても良い。
 しかし、いかんせん大学院で何をするか(研究計画)なんてものはおろか卒論で何を書くかすらまったく定まっていない私にとってその曖昧さこそが命取りになりかねない。

「なぜ当大学院への入学を希望するのですか?」
「卒論はどういったことを書く予定ですか?」
「卒院後の進路予定は?」
なにひとつ試験官を納得させられる答えが無い。それどころか、私の中でも答えが無い。そんな状況で現在希望の大学院を希望し続けること自体が可能なのか。ただ、院試に向けて勉強せざるを得ない現実も立ちはだかっており、タイムリミットをわずかながら確実に迫っている。極めつけに、院試の問題が高難易度である。がっつりを腰を据えて勉強せねばならないが、腰を据えるだけの確固たる動機が迷子になっていまだに帰ってこない。

 そんな状況に少しでも風穴をあけるべく、あけすけに訊いてみた。
「…と、まあこんなアバウト極まる状況なんですが、I先生のゼミに行こうとしても良いんでしょうか?」
「良いと思いますよ。」
即答である。さすが人類学者。懐が広すぎて四次元ポケットかと疑う。
 ともあれ、免罪符の獲得である。自分ひとりで考えて袋小路に入り込んでいたところで、良い口実ができた。自分よりも確実に人生経験の多い教授が良いって言ってんねんから、とりあえず良いってことにしとこうやないか。

 もちろん、今の環境に不満があるわけではない。しかし、ずっと同じところにいるのではジャングルで同じとこグルグル回るアレ(マンデルブロとグリンデルバルト混ぜたみたいなヤツ)に陥りかねない。②でも挙げた通り、ヒトと場所を変えてこその学問ではないか。
 とはいえ、受ければ必ず受かるようなものでもない。したがって、もちろん今の大学の院にも出願する。そこに優先順位はあまりなく、ただ、①②③にどれだけ適うかで決めようと思う。

 さて次に勉強についてだが、人類学の院試にも拘わらずフィールドワーク経験についての問いかけがないために苦心していた。また、現在大学で受けている授業に人類学に関して先行研究や研究者の知識をたくさんつけるためのものがないので、勉強法について考えても途方に暮れていた。

 よってこの点も脳死で質問してみた。すると、
「フィールドに出ずただ知識だけをつけていくのはあんまり意味がないと思うんだよね。」
と、予想通りの回答が飛んできた。同意である。どの入門書にも「フィールドワークするのが大事だ」と書かれてあるのに、肝心の院試で知識を問うとは元の木阿弥ではないか。
 しかし、そんなことを言っていても始まらないのも分かっている。さて、どうしたものか。食い下がってみる。
「でも、院試をパスするために勉強せなあかんのも一面の真理ではないですか。それに、座学もやっておいてフィールドワークに損ないですし。」ちょっと院試を擁護してみた。教授もこれにはうなずきながら、
「そうですね、確かにその通りです。経験がフィールドでいくらあっても、それを枠組みと比較できなければ困ってしまうので、その意味で知識は大事です。」

 うーむ、知識(座学)と経験(フィールドワーク)の板挟みである。人類学とは、なんと板挟みの多い学問なことか。まあ、オススメのテキストも教えてもらったし勉強すっか。何か見えてくるまでやってみよう。


 と、まあ半分くらいしか語れていないがだいぶ長くなったので続きはまた。なんだか締まらないが、人生そんなもん。

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