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好奇心とI/Oモジュール

 教養には、勉強や経験というエサが必要です。いっぽうで、好奇心を抱くことにはエサが必要とはあまり思われません。それは興味関心というものが「湧く」ものだったり、「覚える」ものだったりと、自発的な表現と親和するためでもあるかと思います。しかし、基礎知識や作法も分からぬところへ突如湧き出づる好奇心というのがあるのだろうか、とふと考えます。そうすると、こちらこそあまりメジャーとは言えないことに気づかされます。したがって、「なぜ?」「どうして?」を明確に持つためにも最低限の学びは要るわけです。
 そう考えると、両者ともにインプットを欠かさずに行う必要があるということになります。それも、ただ受動的に情報を入れたり、ましてや学説に阿諛追従したりするようなのではなく、抱いた不可解な点を脳内で反射し、自ら解決するといった中動態的姿勢を以て学びの歩を進めることが肝要です。

 続いて、そうして仕入れた新鮮な知識を周りに披露してみるのも重要です。ここでは、(理解の誤りを訂正してくれる)その分野で自分よりも理解度の高い友人・(素人目線で疑問をぶつけてくれる)その分野に全く触れていない友人を相手取って話すのが効果的。ペラペラと皮相の言葉を語っていたり、分かりやすくモデル化し過ぎたあまり不正確なことを言い連ねたりした際には一方の、逆に学びたての生の用語を用いれば他方の友人から批判が飛んでくるはずです。そうした、針の穴を通すような理解の結晶を学びとるために、自ら表現するというのが必要になってくるのだと思います。

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