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アリから学ぶ利他性 南方能南

昼前に家の近所を散歩していると、崖の石垣に茎をつる草のようにはわせて小さい薄紫色の花が咲いているのが目に入った。花の大きさは1センチにも満たない。花びらは5枚。2枚はうさぎの耳のように立ち、濃い紫色の筋が数本入っている。残りは舌状で平らに3枚並んでいる。花びらの中心には俵型の白いおまんじゅうが二つ並び、中心は黄色に染まっている。なんとなくユーモラスで、それでいてスタイリッシュな意匠である。葉っぱは赤子のふっくらした手のひらのよう。星のように5つに分かれているものもあれば、もっと切れ込みが入っているものもあり、円形に広がっている。

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崖面には数十センチほどのつる草の島が点在していた。その一つに目を向けたとき、葉っぱの傍にたくさんの足をこちらに向けてひっくりかえったワラジムシの姿が目に入った。ワラジムシは動いていた。この状態でワラジムシが自ら歩くことはできない。一体何が動かしているのか。不思議に思い目を凝らした。

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ひっくりかえったワラジムシは影に入り一瞬姿を消したが、再び日の当たる石垣に現れた。動かしていたのはアリだった。自分の体よりもはるかに大きい死んだワラジムシの外殻を運んでいたのだ。軽々とワラジムシをつかみ、急な石垣の壁面をいともたやすくすいすいと登ってゆく。

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垂直に近い絶壁を、強い顎で噛みついたワラジムシの外殻を後ろ向き、または横にはうように、滑り落ちそうな気配を一切感じさせず運びあげてゆく。そのスピードが速い。一体、この獲物をどこまで運ぶのか見届けずにはいられなくなった。

アリは石と石の隙間が開いている穴のところにやってくると獲物を穴の中に入れようとした。どうもここが巣の入口であるらしい。先にアリが穴の中に入って引っ張りこもうとするが、ワラジムシが大きすぎてなかなか中に入らない。

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ここからアリは知性を発揮する。入れる向きを試行錯誤して変え、今度は外から中へ押し込もうとした。

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それでもうまくいかず苦闘していると、もう一匹のアリがやってきた。二匹で穴の中に入れようとし始めたのである。ここで「アリがとう」と相手に言ったかどうかは定かではない。

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仲間の奮闘を助けるべくどこからともなくやってきた姿にアリのコラボレーションを見て感動した。ところが、それも束の間、どうも様子がおかしいことに気づく。当初は、協力して穴の中に入れようとしているように見えたのだが、一方のアリが、穴の外にワラジムシを引っ張り出し、元来た道を引き返し始めたのである。

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この穴では入らないから別の場所の穴にしようと判断し、二人で運ぼうとしているのかとも思ったが、あっちに行ったりこっちに行ったり方向が定まらない。ようやく私は自分の思い込みが修正された。アリは協力しているのではない。お互いが獲物の奪い合いをしているのだ。アリのコラボレーションという美談に仕立て上げたい私の思「枠」はすぐに壊れた。

そのうち獲物は、後から来たアリに奪われてしまった。このアリは獲物を手にした途端、自分のルートがわかっているかのようにどんどん絶壁を下り始めた。さっきのアリとは違う自分の巣穴に持ってゆこうとしているのだろう。

しかし、行く手にはさらに別のアリが、かっさらってやろうと待ち構えている。再び、二匹のアリがワラジムシに噛みつき引っ張り合いを始めた。しばらく小競り合いは続いたが、後から来た奴に軍配が上がり、獲物は奪われてしまった。

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ワラジムシの外殻はとうとう崖の一番下の部分に到着した。そこには源平小菊が咲いている小さな草の島があり、たくさんのアリが待ち構えていた。どうやらこの草が生えている石垣の隙間にも巣の入口があるようだ。今度はアリどうしの奪い合いは起こらず、すんなりと穴の中へと運ばれ、消えて行った。

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こうしてワラジムシの死体を運ぶアリの観察は終わったが、ふと気づいたことがあった。それは奪ったアリの姿ではなく、獲物を奪われたアリの姿であった。

途中、確かに奪い合いはした。しかし、奪い合いに決着がついたあと、何事もなかったかのようにアリは立ち去った。未練や口惜しさを微塵にも感じさせない潔さを見たのである。もちろんこれも最初に二匹のアリの行動をコラボレーションと見たように、過度な擬人化による思い込みに過ぎない。そもそもアリが人のように「悔しい」と感じるとは思えない。だからこそ生物が基本的に持つコラボレーションの本源に改めて気づいたのである。

それは、自分が獲得したとか、自分の所有物であるとかいうような判断がそもそもアリの世界にはないということ。その裏返しで、相手のためにとか、シェアしようとかの判断もないだろう。しかし、そのために結果的に獲物は収まるべきところに収まったではないか。「奪われた」のでも「譲った」のでもなく淡々とパスされたのだ。

仮に自分が持っているものが失われて、誰かに持って行かれたにせよ、それは誰かのためになっておさまる。種の世界全体で見れば資源は失われず、獲得されたのだからハッピーなのだ。今回奪われた者も別の機会においては、たまたまパスされた獲物を最終的に巣まで運びこむことになる役回りが巡ってくるだろう。

「働きアリ」という言葉で、奴隷のように働く人を揶揄することがある。しかし、「働きアリ」の働き方は、仕事をやらされ、働かされているという見方では浅いように思う。むしろ、自分のために働くとか、自分が獲得し、所有したものだとかにとらわれない働き方をしている。

決して機械的に働いているわけではなく、「こっちに運んだ方がいい」という「判断」の限り、獲物を離さず、引っ張り抵抗する。それは仕事というより本来の意味でのスポーツをしている感覚に近いのかもしれない。だから自分が奪われたらノーサイドで後追いしない。結果的にそれが誰かの役に立つのかどうかも気にせず、そんなもんだとまさに天に従っていると言えよう。

自分が獲得し、所有しないといけないという人間の意識が格差を生み、競争を生み、生きにくくしている。協力やコラボレーションは狭い「身内」を超えたものであること。利他的である姿について崖のアリの姿が私たちに教えてくれることは大きいと感じた。



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