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Re-mix + Mix = ∞ 番組後記vol.1

We are Ganarators がこれまで生配信した動画アーカイブは、面白ネタの宝庫。それをジェネ仲間の新さんこと竹内新さんとあべあんさんこと阿部有里さんがMCとなって再発掘&再編集&再発見してゆく企画がスタート!

その名も Re-mix+Mix=∞

初回を終わってのMCお二人の番組後記です。お二人の番組への思い、魅力がひしひし伝わって」きます。これを読んで面白そう!と思ったらぜひ次回のRe-mix+Mix=∞ にリアル参加していてください。 

ジェネレーターのサロンだった! 竹内新

僕には長く、サロンというもの対する漠然とした憧れがありました。きっかけになっているのは、『木村蒹葭堂のサロン』(中村真一郎著)という1冊の本。

木村蒹葭堂は江戸後期、大阪に生きた人。生まれは商家だが、本、書、骨董、地図、鉱物、動植物の標本など当時の“雑”を集めたコレクター(本草学者)だった。蒹葭堂は号で、もとは彼の書斎の名前。

蒹葭堂は書画や詩作も当代一流だったが、それで身を立てるつもりはなく、あくまで趣味としてよくした。彼のもとには当時の面白い人が集まっていた。一部を挙げると、伊藤若冲、与謝蕪村、円山応挙、上田秋成、本居宣長、杉田玄白、大田南畝、最上徳内など。この、とても愉しいサロンの様子を書いたのが『木村蒹葭堂のサロン』である。

人と人が出会って、面白い話をする、面白いことが起こる、それが“蒹葭堂のサロン”だった。

さて、Re-mix+Mix。あべあんさんと僕で「番組ジェネレーター」をやらせてもらったWe Are Generatiorsの新番組。初回を終わって感じたのは、「これはジェネレーターのサロンみたいじゃないか!」ってこと。We Areの過去回をほじくり返し、僕が勝手な話題を投げ入れる。あべあんさんが対話をリードしてくださった。

この日のキーワードは、塑、『センス・オブ・ワンダー』、子ども時代の学び、動的平衡、本居宣長、コンテンツとコンテキストなどなど…

このRe-mix+MixはZoom Meetingでやるので、発表者も参加者も、誰でもしゃべれる。談論風発と言いますか、縦横無尽と言いますか、好き勝手と言いますか。いろんな話が転がり出てきて、それが楽しい。しかも、後から動画を見たジェネレーター仲間と、また感想の交流があったりして。

「ああ、これはジェネレーターのサロンだなあ」って思いました。

次回は、あべさんさんが話題提供、僕が進行役。今度は、どんなサロンになるか。楽しみだなあ。

参考:『木村蒹葭堂のサロン』セイゴオ先生の書評↓

Feel度Walkで集める「雑」だけでない、対話でつなぐ「雑」 阿部有里


 「対話」というと少し難しい、苦手と感じる方も多いかもしれませんが、このRemix+Mixの場でされていたことは要は「おしゃべり」だと思っています。でも、これが非常に興味深く。テニスのコート上でのラリーを想像してみてください。なんとなく一面のコート上でラリーしているのかなと思いきや、ボールは自分の範囲と捉えていたコートの一面を超えて、お隣のはてまたお隣のコートまでも飛んでいくのです。それを必死に「振り回し」のごとく、訓練と思って追いかけて打ちにいくのではなく、「おぉぉ、いったー!」と眺めて愛でて、その遠くに飛んでいってしまったボールをそれぞれがみんなでスキップをしながら拾いにいくというような、不思議な楽しさがあります。

市川さん&井庭さんの著書「ジェネレーター」の冒頭にある、「ジェネレーターの話も、発想も、あちこち飛躍しますし、集まった情報はまさに『雑多』です。~(中略)~ あちこち飛躍し、無関係なことと重ね合わせる流れに身を任せ、ああでもない、こうでもないと面白がるプロセスに遊ぶ。」というのを、まさに二次元で実現できてしまう時間がこのRemix+Mixなのではないかと改めて思わされた5月25日。Feel度Walkは三次元で同じ空気を吸いながら、五感で体験することを面白がります。これを二次元で、脳内ですることができる!という感じでしょうか。

誰かの発言から、それぞれに想起される過去のエピソードや最近読んだ本、考えたこと・思いついたことが連鎖してしまうのです。これらを紡いでいけてしまうのが、このWe are Generators! らしい、このコミュニティでしか実現し得ない面白さなんだろうなと改めて実感することができました。

「Feel度Walk」の対話特化型「Feel導Talk」(フィールド・ウㇳォーク)、、、、ちょっと苦しいですが、イメージは持っていただけるのではないでしょうか。(良い名づけを募集しております。笑)

これが何のネタもないところでも、自然発生的に起きてしまうのがジェネレーターだと思いますが、この場の火付け役として「過去の動画」があるというところがまた「いとをかし」(この表現がしっくり来たので、いきなりの古文すみません)。

お話していた時点での最新でも、今では過去になってしまい。もちろん、その過去を経てこそ「現在」があるのですけれども。そこの更新作業ってこうした場に出す(改めて言葉として発する)ことではないかと改めて思わされました。

動画の中でお話してくださった方も、その時楽しんで聞いていた私も含めた皆さんもその時点から、ちょっとずつ進化・深化してると思うんです。お互いに変わったこと、変わらないことを交えて、改めてお互いにヒントを出し合う、貰い合う。5月25日の場も、その粘菌(変形菌)のような拡がりを楽しむことができました。それが、「=∞(無限大)」に込めた思いだったんだなと会が終わったあとにしみじみと思いました。

更にスパイラルアップしていける(かもしれない)ジェネレーター同志のとてもフラットなお茶会?飲み会?みたいな場で、「動画」の主人公である人たちのTheir(His,Her)Discoveryを元にみんなで話しているうちに、Our Discoveryとなっていくような、また新しい流れを感じることができたような気がします。


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