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変タビュー epi.1 岡根谷実里さん

文 / 小西公大

ようこそ、「変タビュー」の世界へ

自らを「世界の台所探検家」と称しながら、地球を駆け巡る。料理が作りだされていく小さな空間に入り込みながら、「食」からみえる豊かな世界を描き続ける。そんな活動をしてきた岡根谷実里さん。栄えある第一回目の「変タビュー」の対象者である。各国で「ともに」料理を作ることで生み出される表現をつづるという、独自の視座と方法論を持った方だ。

岡根谷さんが書かれた『世界の台所体験:料理から暮らしと社会がみえる』(青幻社)は、今回のお話をいただいてからすぐに購入し、じっくりと読み込んだ。読めば読むほどに、文字通り「味わい」深い、幸せな気持ちにしてくれる本だ。この本で彼女が「探検」した世界の台所は16カ国に及び、あわせて世界のレシピが散りばめてある。また、現地で撮られた写真がふんだんに使用されていて、それぞれの料理がどのような人たちによって、どのような場所・雰囲気の中で作られているのか、イメージが広がる。写しだされた彼女自身の姿は、世界の家族とともに満面の笑みをたたえている。ああ、この人にとって世界の台所は、最高の笑顔になれる空間なんだろうなと、こちらまでワクワクしてくる。そんな本だ。きっと岡根谷さんは、快活で、笑顔にあふれた、やわらかい人なんだろうなと、勝手な想像を描きながら、対談の日を楽しみにしていた。

「手強い」相手との邂逅

さて、当日オンライン上に現れた彼女は、私の安易で勝手な想像をあっさりと壊してしまう、「手強い」相手だった。これまでの活動を、パワーポイントを駆使して冷静に理路整然と語る彼女は、まるで大学の講師のようだ。彼女が投げかける質問への回答いかんによっては、クリティカルな指摘をさらっと提示するような、知的な厳格さをあわせもっている。おそらくこれまで何度もされてきたのだろう、「世界の台所探検家」になるまでのライフストーリーや、そのような人生を歩むことになった経緯なども、淀みなく、淡々と語られていく。時々こぼれる笑みは、世界の台所で見せたものとは違い、場をなごませるために上手に使いこなされたツールのようにも感じられる。

岡根谷さんの名誉のために急いで付け加えなければならないが、これはある意味「当たり前」のことだろう。これまで関係をもたなかった人々に呼ばれ、オンライン上で自己開示しなければならない彼女の立場を考えると、当然コミュニケーションも固くなる。何度もオファーされて自身の説明をし続けてきたのだろう、淀みのない説明もある種パターン化されてしまうのは仕方がないことだ。そもそも我々の目的である「変タビュー」がなんなのか、我々だってよくわかっていないのだから、主旨が伝わるわけもない。そもそも「変人」としてご登壇いただいている時点で、人によってはあまりいい気分がするものではないし、下手すると失礼にあたる。「ぼくらはみんな、すべからく変人だ=ホモ・ヘンデス」という根底にある発想も、言葉を尽くさなければ理解してもらえないだろう。

何かを伝え、何かが伝わる。教わり、教えられる。表現され、表現を引き受ける。ぼくらが日常的に行なっているこの一方通行的なメッセージの引き渡し。でもそれは、創造的な「場」を生成するということにはならない。ぼくらは、ともに「はみだし」あって、ズレをぶつけ合い、空間を撹乱し、新たなコミュニケーションの渦を生み出し、少しずつ「ともに」変容を遂げる。それがジェネ空間であり、変人環境ということになるだろうか。それがすんなりとできてしまう相手もいるが、大抵はそうはならない。この「変タビュー」の2時間で、そのような「場」を構成することができるのか。きっとそのような兆しを感じることすらできないなら、この企画は失敗に終わる。そんなことを感じながら、そして心の焦りを抑えながら、オンラインセッションは進んでいった。

ライフヒストリーから見えてくるもの:幼少期から

ここで、岡根谷さんのライフヒストリーについて簡単にまとめておこう。幼少期、岡根谷さんは「特に何かに夢中になって打ち込むということはなかった」と語る。水泳、サッカーやバスケなど、やりたいことには手を出すが、長続きしない。現在の仕事に関係するものは、食品に含まれる着色料を使って毛糸を染めた自由研究があがる程度だ。とはいえ、そんな発想をする小学生はすごい、と思わされる。きっと「食」をめぐる対話が、家族のなかでもそれなりに展開していたのではないか、と推察してしまう。

「なんだかふらふらしていた」という言葉でまとめられた幼少期。一方で、この状態を「とりあえずいろいろやってみる。飽きたら次のことをやればいい」と評し、「好きなこと」を絞る必要はないのではないか、とも語る。食に関しては、「食べることは特に好きではなかった」とし、一方で「祖母と母が作ってくれた夕食を囲む時間」が大好きだったという。一日の中で、さまざまな嫌なこと、辛い経験があっても、祖母が話を聞いてくれたということが、夕食が心の平穏を取り戻すための貴重な時間だった、と語った。

「天変地異が起こったとしても、必ずこの時間はやってくる。」

重みのある言葉だ。食卓を囲むということ自体から得られる安心感。この幼少期の感覚が、台所という空間や料理という行為を考える上での基盤となっていったようだ。この言葉は、のちのケニアでの体験につながる伏線ともなっている。実にうまい仕掛けだ。

これが中学校時代の話になると、「空白」「何もなかった」「暗黒時代」というように、記憶はあっさりと退けられていく。ただそこには、「校舎が暑かった」と書かれた卒業文集だけが浮いた形で登場する。過去の記憶を「何もなかった」と表現することの背景には、「語るべきことがない」というより、「語りたくない」という心性が働いているように感じられた。最も多感で、世界への違和感が溢れ、他者や外部の論理の流入と自身の感覚のズレを調整し、修復し、反発する目まぐるしい心の動きに日々一喜一憂する、あの独特な季節。きっと彼女の中にもたくさんの蠢く感情があったと推察される。もしかしたら、その後の人生を決する心性が生まれた瞬間かもしれないが、これ以上突っ込むわけにはいかない。人類学者なら、この辺りを聞き出すのに数ヶ月かけるのだから。

高校時代の話は、とても躍動感に溢れている。地理にハマり、世界の気候分布の地図に釘づけになる。さまざまな環境や気候が、どのように食卓を彩る料理たちの多様性をつくり上げているのか、想像=妄想する日々がはじまった。行ったことのない世界が、「理屈」から理解できるということにワクワクした。大切な出会いもあった。地理の先生だ。気候と食文化をつなげ、世界の食材を惜しみなく生徒に分け与えていた(後にネット通販で購入していたことが発覚したのだが)。「知らない世界」への憧憬が増し、その後の彼女の世界放浪への動機づけへとつながった。この、「ここではないどこか」への強烈な憧れは、「ここ」に対する鬱屈した感情の裏返しではないか、とも感じてしまう。その源泉はやはり、語られることがなかった中学生時代にあったのではないかと勘繰ってみるも、それは創造の域を出ることはない。のちほどの対話で、お父様との不和の話が垣間見られたが、その辺りとも何か関連しているのか。

ライフヒストリーから見えてくるもの:大人への道

大学での最初の驚きは、「好きな授業を自分の関心に基づいて受講することができる」ということだった。休みを使って国際交流プロジェクトなどに積極的に参加する。大学一年では台湾での国際会議に出席。高校の地理で知ったアジアの食事。実際に彼らと出会うことで、イマジネーションの世界と、その世界に住み、そこで培われてきた料理文化を保持している若者たちのリアリティがつながる。「具体的に立ち現れてきた世界への興奮」。いよいよ世界の台所探検家としてのベースが作られていく。

世界の暮らしを味わいたいという気持ちが大きくなり、それを具体化させるために「国際協力」という文脈で、自身の大学での立ち位置を確立していく。そのためにはスキルも必要と考え、土木工学を専攻し、国際協力の分野への具体的で実質的な足がかりにする。一方で、その後の留学期間では、1年間で30カ国をめぐり、世界のさまざまな人との出会いを生み出していく。その時期のことは、「結局何をしていたかわからない」と語る。自身の人生を論理的に、設計主義的に組み立てていく力と、ただ欲望のままに突き動かされていく自由を謳歌する力。このバランスの良さに、目を引かれる。

結果的に、この留学という名の旅は、「案外、人はみな同じ」という感覚をえる、重要な契機となった。これまで「未知の世界」「ここではないどこか」を求めて世界に飛び出していった彼女は、同じく喜怒哀楽を表出する生身の人間と出会いつづけることで、逆説的に「つながることができる」という実感へと導かれていった。異質性から同質性へ。差異から構造へ。彼岸の世界から地続きの地平へ。この感覚を得るために、人類学者はせっせとフィールドへと足を運ぶ。彼女の感性は、そんな学術的な営為とは離れた場所で、自然とそのような回路へと接続していく鋭さをもっていた。

地続きの地平

その後は、さまざまなメディアで語られている、ケニアで受けた強烈な体験を綴った。大豆の加工工場の立ち上げという「開発」の現場に立ち会い、「人の生活を便利にすること」が「人の生活を壊す」ことにもつながるというジレンマに直面することになる。そんな地元の方々の逆境の中にも、「食卓」の持つ希望をみいだすことができた。

私は、この「世界の台所探検家」につながる重要なストーリー展開よりも、喜怒哀楽の表出や、結局人間は物を食べ、腹を満たすという根源的な「普遍的領域」「地続きの地平」への彼女の気づきの重要性を噛み締めている。ぼくらは、「わからない」「未知」なものへの恐れ/畏れの心性を、潜在的にもっている。だから、自身を守り、外界の世界を

シャットダウンするためのスキルを磨いていく。ところがどうだ。岡根谷さんは、知人の知人の・・・というネットワークを駆使して、世界のどこにでも飛び出していく。それは、「勇気」があるからではない。それは、「同じである」ことを確信しているからできることだ。「分かり合える」「共有できる」ことを知っているからこそ、飛び込める世界がある。ここに、「異質性」「差異」を基盤とした他者理解から、「同質性」「普遍性」を基盤とした他者受容への大きな転換がある。それは、逆説的に「異質」な世界で揉まれるからこそ見つけられる「同質」であり、自らの「変」と他者の「変」を超えたところにある深い共感(=ヘンパシー)の世界だ。

「おいしい笑顔は世界共通」

「料理」というのは、その世界へと接続しうる、極めて強力なツールなのではないか。この辺りが見えてきた段階で、この「変タビュー」の方向性が浮かび上がってきたような気がした。

ズレを胚胎した対話

さて、ここからのフリートークがなかなかに刺激的だった。これまでの彼女の話は、「外向け」に構築されてきた「型」のようなものによって構成されていて、首尾一貫していて、美しい。食を通じた世界との交わり。「おいしい」を通じた、食卓を囲む笑顔の素晴らしさ。これらの話は受容しやすい、縮減された単純さもあわせもっている。しかし、私が気になっていたのは、冒頭に書いたような、彼女の話の淀みのなさと、ある種の「固さ」である。私たちが彼女から一方的に伝えられたこのストーリーを前に、どのような「生成の空間」を構築できるのか。

私はまず、自分の体験から話し始めた。インドの砂漠のフィールド話、そこで大切にされている「共食commensality」の世界。「共に食べる」という行為そのものを、人類史的に捉えるとどのように岡根谷さんの世界を照射することができるか。

驚いたことに、ここからズレが生じ始めた。彼女は突然問いかける。「共食って、目指すべき世界なんでしょうか」。彼女は続ける。これだけ分業化した世界の中で、共食の反対である「孤食」が悪いものとして捉えられてしまうことへの異和感。メディアの世界で引っ張りだこだった彼女にとって、「食卓を共に囲むって素晴らしいよね」というイデオロギー的な言説の枠組みにのみ込まれる形で、彼女の物語りが消費されてしまうような経験を、彼女はくりかえしてきたのかもしれない。しかし、彼女の感覚や視野は、そんな安易な物語に回収されるものではなかった。彼女はこの異和感を、「共食信仰」と表現する。この言葉を引き出した時から、私の中で「いける」という確信が生まれた。

「食」の本質へ

リキさんが援護射撃をする。岡根谷さんの関心は、「共に食事をとる」というイデオロギーに向かうのではなく、些末な日常性に潜む関係性にあるのではないか。だから食卓より「台所」なのではないか。それに対し、彼女は「脱線します」と前置きをしつつ、背景に日本社会の「家族」感覚の縛りのようなものがあると語る。もちろん、世界には家族を大切にする文化が多く見られつつも、その強化のための装置は、食だけでなくてもいいはずだ、と。ここから話は、「シェア」という概念をめぐる抽象的な話に。私が「シェア」の背景には排除の構造があることや、それがあることで包摂性が担保されるのだ、という話をする。つまり「誰と食を共にするか」は、「誰と食を共にしないか」によって構成されるのだ。続けて話は、食事という行為を、何かを身体に入れるという「危険」に満ちた行為としても捉えられる、といった方向へ。食事は一歩間違えると、危険な行為なのだ。だからこそ、食事を作る人、食卓を囲む他者への絶対的な信頼がベースとならなければならない。しかし彼女は、そこで「おいしい」という感情を表出することは、「嘘のつけない本能の言葉」として受容される可能性が増し、「おいしい」の空間を作ることで文化的差異や排他性を乗り越えることができるかもしれない、と返す。世界各国の言葉で「おいしい」を伝えることができる彼女の強み。食べるという行為のど真ん中で、場数を踏んできた彼女の言葉は説得力がある。

ここから話の焦点は、岡根谷さんが「食卓」ではなく「台所」へ入っていったという部分へ移行していく。共食のイデオロギーを超えていく面白さは、ここにある。料理の制作のプロセスそのものに入り込むことによって、完成された料理には彼女のエージェンシー(行為主体性)が否応なしに入り込むことになる。だからこそ、台所から食卓への流れがシームレスに進行できたのではないか。「料理を作る」ことと「食べること」、「台所」と「食卓」の差異に隠れた文脈のおもしろさ。岡根谷さんもその指摘に、ハッとしていたようだ。

話題はさらにズレていく。話は、岡根谷さんの探究心のもつ特質に迫りつつあった。著書『世界の台所探検』は、美食を求めて歩いた旅行記や、単純なグルメ本、レシピ本でもない。それぞれの社会的な文脈の中で、素材がどのようなプロセスで加工され、組み合わされ、「料理」という形に変貌していくのか。彼女の関心は、そのような食をめぐる世界理解をベースとしながらも、エンジニアリング的に構成された「食」の構造へと注がれているように思われた。そこには、彼女が大学院まで学んでいた工学的な発想が見え隠れする、と。彼女のなかでは、台所探検の旅は、文化人類学的な発想に近いものがあると感じていたようだが、工学と言われて思い当たる節がある、と話してくれた。

また、彼女の食へのこだわりが、「伝統」や「文化」への固執から解放されているという話もでた。彼女は、もちろんそれぞれの世界で大事にされてきた文化は尊重すべきだが、「誰かが決めた伝統や真正性」にとらわれることなく、今何が起こっているのかに忠実になることの大切さを語ってくれた。そのことに私が気づいたのは、タイの少数民族が大量の「味の素」を使用しているというシーンの記述だ。そこでは、結局われわれは「うまみ」に抗えない、という趣旨が記されている。「伝統」を超えた人間のつながりが描かれているのだ。そのことを伝えると、編集者からは「そのシーンは読者の求めるものではない」と言われ続けたが、あえて掲載した、と話してくれた。この辺りに、簡単に迎合することのない、彼女の伝えるべきものへの視点の強靭さと意志を見いだすことができる。

視座を与えたn=1の人物

高校の地理の先生の存在は、やはり大きかったようだ。世界の多様さを論理的に示してくれるとともに、世界と具体的な「味」の領域と接続させつつ、感覚的に掴んでほしいと工夫を重ねていた先生。語りの中にある「楽しさ」が、生徒たちに伝染していく。そんな先生だ。

もう一人は、彼女が大学院修了後に入社した株式会社クックパッドの創業者、佐野陽光氏。「こどもか?」と思えるほどに、無邪気な笑顔をする人だという。彼から、「どうなるかわからないけど、徹底的に信じてやり続ける」という信念の強さを学んだ。もちろん、食でつながった部分も大きい。佐野氏は、食料自給率が低下する日本で、どうして身の回りにこれだけ美味しい野菜たちが生産されているのに輸入に頼るのか、という疑問をベースに、新たなレシピサービスを開発していった。料理を、「家事」としてではない、価値と力の源泉として捉え直すという発想にも感化された。彼の信念の強さは、ある意味「狂気」でもあった、と語ってくれた。

この二人からの影響に共通するのは、溢れるばかりの楽しさや、無邪気な笑顔、何かに打ち込む信念と、それを伝えようとする力であるように思う。論理性や合理性を超えて、他者の感情を揺さぶる感染力のようなものを持ち合わせた二人。この出会いが、岡根谷さんの人生を駆動する大きな力となっていった。それが変人力であり、ジェネレーターとしての資質なのではないかと感じられる、素敵な話だった。

共振と創造の対話

この話の時点で、対話はまだ1時間を経過したばかりだ。変タビューは、全編で2時間25分にも及ぶものとなった。ここで全てを詳にすることは難しく、詳細を知りたい方は、ぜひアーカイブをご覧いただければと思う。話の尽きない、刺激的な対話の空間だった。

この対話の一番面白かった部分は、始まる前にある程度予想された話の内容、または、お互いが共有しているであろう認識が、次々と崩されていったことにある。「思ってたんとちがう!」という感覚が連鎖的に起きていくたびに、思考が揺さぶられ、感覚が研ぎ澄まされていく。どのような角度から他者の内奥に入り込むのか、その都度の戦略的な部分がコロコロと転がされていく。「おやっ」「はっ」の瞬間が、緊張感を保つためのカンフル剤となっていく。そんな対話だった。いつしか戦略性を超えて、たがいにズレ続ける話題の流れに身を任せるような環境が生まれ、それぞれから発せられる心地よい刺激を楽しむ余裕が生まれていった。

例えば、台所探検に至った過程。きっと岡根谷さんは、食の世界に魅せられつつも、レシピサービス企業であるクックパッドの新たな事業開発やブランディングのために、ある程度の戦略性を持って世界に飛び出していったのではないかと予想していた。しかし、全くそうではなかった。何が生まれるかわからない、仕事や利益につながる気もしない。そんな漠然とした不安を抱えながら、突き動かされるように世界に飛び出していった様子が語られていく。また、世界の訪問場所も、知り合いの知り合い・・という形で、偶発的に繋がりが生まれた瞬間にインスピレーションが働き、その都度設定されていく。彼女の活動は、そのような「たまたま」の連鎖によって構成されていて、かつその朧げな「たまたま」を手繰り寄せる確かな感覚に支えられている。アンテナが立っているのだ。そのあたりの感性や能力の素晴らしさに言及した時に、彼女は「そこを評価されたことは初めてだ」とびっくりしていた。

このように、ズレ続ける対話は、いつしか自/他を揺るがし、新たな発見と双方に芽生える共振のモメントを生み出していく。そのことがわかりかけてきた時に、「変タビュー」のもつ可能性が見えてきた。対話の後に彼女からは、お礼の言葉と共に、「自分自身の大事にしていることや貫いていることなど、お話する中でくっきり見えてきて、お金をいただくどころか払いたいくらいのありがたい時間でした」とメッセージをいただいた。あぁ、僕らだけではなく、彼女にとっても有意義な時間になったのだなと思い、安堵の気持ちが湧いた。「変タビュー」はまだ始まったばかり。これからどのような展開を見せるのかわからないが、このズレ続ける不思議な対話の空間から、何か創造の契機を生み出すことができるかもしれない。そう感じさせる、貴重な体験となった。

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