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カリスマ先生の反省から考える、リーダーの役割

理想のリーダーってどんな人なのだろうか。

社会人になってから、いや、もっとその前から、リーダーのあるべき姿についていろんな意見を目にしてきました。

先頭に立ってチームを引っ張る人、背中で語る人、手取り足取り教える人、ビジョンを示す人、恐怖政治を敷く人、などなど、時代によっても評価されるリーダーの種類は変わってくるように思えます。

思い返せば、小学校の頃に流行った漫画「世紀末リーダー伝たけし」が、僕にとっての初めてのリーダー像だったように思います。

強くて、優しくて、どこか鈍臭いけど、人情に厚い。
辛い過去を乗り越え、周りの人の気持ちに寄り添える広い心を持った人。

そんな、誰からも愛されるカリスマ性を持った人がリーダーの鏡だと思っていました。

障害者雇用の子会社の代表になった今、言わずもがなリーダーとしての役割を期待されているのですが、あの頃のリーダー像とは違った存在になりたいと思っています。

カリスマ先生の次の年は、クラスが荒れる

そう、思うようになったきっかけは、楽天創業メンバーで元副社長の本城さんが軽井沢で作られた学校についての記事を見かけたことです。

クラス運営は学級経営とも言われますが、良い経営とは何か、だれがリーダーになるべきなのか、それはどんなリーダーなのか、を考え直させられました。

特に、カリスマ先生の翌年のクラスは荒れる、というところは非常に興味深かったです。

一番ショックだったのが、ある学年を担任した後に別の学校に異動したのですが、挨拶の式に行ったら5月の時点で同じクラスがぐちゃぐちゃしていた。子どもは口々に今度の先生はつまらない、つまらないと文句ばかりを言うんです。
「僕は決定的に間違ったことをやっているな」と思った出来事だった。要は「口を開けて待っている子どもを一生懸命育てていたんだな」と。
おいしいエサを投げてくれる人を待っていて、「おいしいエサがこない、おいしいモノが降ってこない」と文句を言う子を全力で育てていたんだなって。自分の承認欲求を満たすために、そんなところにたどり着いちゃったなと、大きなショックを受けました。

カリスマ先生は、目指さない

この記事を読んで、これまでの自分の振る舞いやあるべき姿として描いていたものが、もしかすると違っていたのかもしれない、と思うようになりました。

僕は、たけしを目指していたのかもしれない。
でも、僕がたけしになることは、僕のエゴでしかなく、僕がいなくなった後には組織が荒れてしまうかもしれない。それでいいのか。と。

実際に、従業員を子供扱いしている訳では決してないのですが、不安や認められたいという思いからつい関与し過ぎてしまったり、反対にしなさ過ぎてしまっていた自覚がありました。

僕は、この会社の必要性に気づき、周りの人に相談しながらではありますが、ゼロから作り上げてきました。

今の従業員の採用も、最終面接以外は全て自分でやってきました。

なので、少なくない思い入れがあります。

でも、いつかは代表の座を次の世代にバトンタッチする日が来ます。

僕が圧倒的なカリスマになりたくて、それを目指して日々の経営を行っていたら、いつか来るその時のすぐ後に、組織の崩壊が待っているのだと思います。

そうはなってほしくない。

だから、なるべく多くの人が意見を出し合い、お互いを尊重し合い、対話をもって決めていける組織を作りたいと思います。

それがミッションの実現にもつながるのだと信じています。

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