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地元の友達に障害者雇用の仕事をしていると話したらしっくりきた話

年末に帰省した際に旧友たちとサッカーをしたり初詣をしたりしたのですが、JPTの話をしたときに「どの時代の友人なのか」によって反応が違いました。

大体の友人の反応は、おもしろいね!とか、そういうの好き!とかなのですが、中学校以前の友人は「(成川が障害者雇用の仕事をしているのが)しっくりくる」という反応が多かったのです。

僕が考える理由は、中学校のときに受けていた授業「Heartful Time」の存在です。

これは総合的学習の時間につけられた名前なのですが、僕の代はこの時間を使って主に差別について学んでいました。具体的には在日朝鮮人が通う朝鮮学校との交流会や、障害者施設での職場体験、部落差別を題材にした演劇などです。

この経験で得られた大きなもの。

それは、差別が存在するという認識(知識)と差別されている人の実態であり、その2つの間に「なるほどそうだね」という納得がいく繋がりがない矛盾でした。

在日朝鮮人にしろ、障害者にしろ、彼ら(彼女ら)を知れば知るほど、なぜ差別されているんだろうと不思議になっていく。

差別はダメだよね、というありきたりな答えを出すために知識を詰め込むのではなく、あれ?なんかおかしいな、というもやもやがこの授業の本質だったのではないかと、今になって考えました。

この体験があったからこそ、僕は今の仕事をしているのではないかと思えますし、中学校の同期からも「しっくり」されるのではないかな、と。

もしそうであるならば、誰もが対等である社会の実現には、知識ではなく、ただ一緒に過ごす体験が必要なのかもしれないと感じました。

ちなみに総合的な学習の時間って、平成14年から始まったそうです。ドンピシャ世代でした。

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