ほぼ無料日記:デジタルコンテンツのコピーによって劣化するもの。

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いつも記事を書くのに何時間もかかってしまうので、ちょっと実験的に時間制限を課して、この記事は60分で書きました。


デジタルコンテンツ。
デジタルの性格として、コピーしても劣化しないと言われています。

本当にそうだろうか。

本当に僕らは、オリジナルとコピーとに差がないと思っているんだろうか。 本当に僕らは、オリジナルとコピーとに同じ価値を感じているんだろうか。

ある2つのデータが、データ的に同じだから全く同じだと考えるのはあまりに短絡的だ。
例えば僕らは、USA(宇佐市)とUSA(アメリカ合衆国)が違うものだということを知っている。 それは、名前のアルファベット表記の他に、これらを区別する尺度があることを知っているからだ。

デジタルデータについても同じことが言える。
デジタルデータがゼロイチの配列で表現し尽くせると思っているなんて、デジタル時代が聞いて呆れる。
データに質感を当たり前に覚えて初めて、ゼロイチの外に価値を当たり前に見いだせて初めて、デジタル時代と言えるのではないか。

簡潔に言おう。

尊敬する人の言葉が響くように、好きな人の料理がおいしいように、コンテンツにはストーリーが付随して初めて価値が生まれる。 大切な人からもらったCDを再生することと、YouTubeでその曲にアクセスすることとは、全く違う体験であるはずだ。

もはやデジタルだアナログだコピーだオリジナルだというお話ではない。 この体験の価値を軽視したコピーが行われたとき、その瞬間にそのデータは取り返しのつかない劣化をしてしまうのだ。

ああもったいない。

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