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気まぐれは治らない病気。

自分で言うのもなんなのだけど…私、ホンット気まぐれで。
もうこんなんあかんやろって思うくらいホント気まぐれ極まりないんです。(開き直りか。笑)
昨日の夜はnoteのこと忘れてて…でもあるとき思い出して…書く内容もあったんだけど。
まぁ、もういっかってやめた。笑
で、あ、この感じ、あかんやつやなぁと思って。
なんかこのまま書かなくなる可能性も皆無でないというか、すんごいなあなあになってく可能性あるなって。
まぁそれならそれでいいのかもしれないけれど。

たぶんあれやな、必要性。
必要性という名のもしかしたらちょっとした拘束力ともいうか。
それをある程度感じないと私は続けられないしその場にとどまれないタイプなんやろうな。
病院は私が続けてみている人がいるから行くでしょ。
でもnoteとかこういうのはちょっとよくわからなくなってきてしまう。

誰かを励まそうと思って励まして、よし、元気が出たらしいと思ったらもうその後は一歩下がったところで見てる感じでもいいのかなぁって。
やっていけるよねって思ったりとかも。

とはいえ、こんな私も昔は毎日結構なメールのやりとりをしてた頃があったりしたんやけどね。
今思えばだけど、相手が私のこういう特性を見抜いて上手にコントロールしてたからやろうなと。
放っといたらどこかへ行く、だから放っとかない。

メールはいつも私から。
これも今思えば決まってた。
それに対してなかなか濃い内容の返信がある。
何げない生活の一場面や所感を書いて送ったら、それについての深い考察や思いもよらぬ感想が返ってくる。
そうやってやりとりの中に楽しみの要素を散りばめて、私にメールの送信を習慣づけた。笑
返信は必ずあって、忙しそうだからと遠慮してこちらが送らなければ気にせず送れとばかりに短文がさらっと届く。
今日はこんなことがあったで。明日も頑張ろうな、みたいな。
そうやってね、この気まぐれな私の心のコアの部分を掌握してじわじわと手懐けていったんですよ。笑
意図的にそうしたのか、無意識かはわからないけどとにかく私のことをよくわかってたのは間違いない。
でもこれはある種の特殊技術やなとも思う。
私はホントに気まぐれだから。


今日もよい一日を。


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