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賢治さん。その2

昨日勝手で迂闊な"宮沢賢治考"を眠い頭でツラツラ書いたのだけど。

少しだけ続きを。

今日またこの本(『注文の多い料理店』角川文庫)を開いて、あとがき(付録)や解説、注釈をよく読んでみるとこんなことが書かれてある。

"この童話集の一列はじつに作者の心象スケッチの一部である。"

このなかの「心象スケッチ」という言葉に対してこんな注釈が付いていて、

✳︎心象スケッチ
仏教の輪廻転生という生まれ変わりを信じていた賢治は、人間の心は、無限の過去から受け継がれて来た無数の生物の記憶の集積と考えた。
従って、自分の心の中でおこる現象(心象)を記録(スケッチ)すれば、個人の心があらゆる生物の心の集合体であることの証明となり、世界がひとつの心をもつという理想世界に近づけると考えた。

と。
え、これってユングの普遍的無意識(集合的無意識)やん?って思ってちょっと調べたら検索キーワードにしっかり「宮沢賢治 ユング」って出てきてね。
わ、やっぱりそうかぁと。
その視点から考察してる方もいらっしゃって、ちょっと読んでみたら(ユングによる「宮沢賢治とグノーシス」)、

"夢。宮沢賢治は夢を生きていた。それは無意識の中をゆく旅だ。彼の描く世界はまるで映画のようだ。映画は、現世とは別の時空間、異次元を生きる、まさに四次元的な世界だ。
 彼の童話はなぜ読者の心を打つのか。読者は思い出すのだ、自分の人生より前にあった出来事を。彼は自身の普遍的無意識を語ることによって、読者の普遍的無意識を呼び起こす。人生は個性化されるが、普遍的には同じことの永遠なる繰り返しなのだ。これは同じ夢を見ることではない。同じ元型であるということだ。"

と。

普遍的無意識ってね(集合的無意識とも言うのだけど)、人間は人種や民族などのあらゆる違いや個体差を超えて、無意識の深い深い部分で皆共通のイメージを内在させているというような概念で。
だから世界中で時代や国や民族を超えて同じような夢を見たり空想をしたりすることが起こるんだと。
世界中で語られる神話や昔話に類似点があるのはそのせいだとかも。

で、昨日私、宮沢賢治は五感で知りえるものを超えたそのもっと奥にある何かを感じ取ってる気がすると書いたのだけど、それが普遍的無意識というものなんだとしたら…。

はぁぁあ…宮沢賢治はすっごいなぁって改めて。

あ、ここまで書いて思ったけど、読む人からしたらたぶんこの話ってなにもおもしろくないかもだし、そもそも、???かもしれないのだけど。
自分の中でとても腑に落ちるものがあったので備忘録として。

しかも個人的におもしろいのが、この普遍的無意識(集合的無意識)ってユングが提唱したのだけど、前に「シンクロ」というタイトルの記事の中で書いた"シンクロニシティ"もユングの提唱した概念でね。
その次くらいに書いた記事で私、今とは違った文脈で「集合的無意識」という言葉を書いてて。
で、その後、本屋さんでなんとなくの勢いで買った宮沢賢治の本の中でまたまたユングのこの概念に行き着くという…。

なんやろこれ。おもしろいけど正直ちょっと怖さもある。笑
だってこの出来事自体がまた"シンクロニシティ"やもんね。

ちょっと怖いから違う方向からこの本について少し語ると、賢治が生きた岩手にまつわる土着の文化やいろんな植物のことがたくさん知れて、それもとてもおもしろかったです。
え、"栃(とち)"って何?食べれるの?とか、"ヤドリギ"、"ガガイモ"、ガガイモから派生してケサランパサランまで。
こんなの調べたよ!のまとめを記録して残したくなるくらいに色々知った。
なんかね、読んでると多方面から研究される理由がよくわかる。
短い物語の中にいろんな楽しみ方が提示されてるようで。
また少し時間をあけて読み返したいな。

『注文の多い料理店』、とてもおもしろかったです。



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