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まっすぐ。
金曜日。
なんか色々…あー…そういうことなのか…みたいな気づきがあった今日。
本当にこの、気づきたくなくとも否応なく気づいてしまう感覚を鈍化させたくなるときがある!笑
あのときのあれはここにつながるのかとか、これはあれと…あ、これもか、そういうことか、とか。
そんなのが一気に…本当に一瞬でわかってしまう。
なんで他の人が気づかないのかが不思議だったりもする。
良いのか悪いのか…でも今日のは正直ちょっと気づかないでいたかったかも。
…
別に何を書く予定でもないのだけどなんとなく。
綺麗な花の写真をあげてくれてる人がいて。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/140199438/picture_pc_780a57813653f29f4e252684a7d88c49.png?width=800)
ここにあげていいか聞いてないけど勝手に。笑
でもきっと怒らないから。
お寺に咲いてた花らしく、天国に咲いてるみたいやなぁって。
こうやって貼り付けてみてもお守りみたいやなって思う。
そんな気持ちで貼ってみたかも。
どうか私を守ってください。
…
時々、ここに昔書いた話を載せててそのたびに思うのが、私の心のコアな部分は昔からあまり変わってないということ。
そのことにいつもホッとする。
それを確認したくて過去記事を読んでみるところもあるのかも。
人は簡単に変わっていくしそれが普通だとも思うけど、でも変わってしまったらダメな部分もあると思ってて。
自分の中の守らなければいけないところ。
大事にしたい透明な部分。
これからも大切にしたいところ。
私は誰かに何かを伝える時、できるだけ言葉を脚色したりせずそのまま伝えたいと思う(無用な棘は抜くけれど)。
あなたに今これを伝えてますとそれがちゃんとその人にだけまっすぐ伝わるように。
そうすることでもしかすると目を逸らされたり、はぐらかされたり、あるいは反論されたりするかもしれないけど、でも相手のことが大事ならそうする。
それで嫌われても仕方がない。
嫌われることで自尊心が傷つくことよりも取り繕った自分を見せてすました態度で相手を伺うみたいな自分を容認することの方がよっぽど嫌。
不器用でも無様でもあるがままの自分をまっすぐ見せれる人が好きだし、そんなしなやかな強さを美しいとも思う。
下に貼り付けた文は27歳頃に書いた文からの引用なのだけど、まるっと全部共感したから貼ってみよ。
私、今もおんなじように思ってるよ!って昔の自分と抱き合いたくなるような、そんな感じがした。
以下、「胸を打つ言葉」という過去記事からの引用。
…
まっすぐで飾りのない言葉は胸を打つ。
今日はそんな言葉がたくさん届く日やった。
誰かの前で、つい背伸びをしたくなったり
カッコ良く見せようとしてしまうことってある。
でも、私が好感を持つ人は決まって、
カッコつけようとしてもどこか素の自分を隠せない人。
そのにじみ出るカッコ悪さに、なぜかいつも心惹かれる。
もっと言うと、もしかしたらカッコ悪いかもしれない自分の姿をえいや!と、さらけ出して生きてる様は素敵だ。
今日は、そんなカッコ悪さ満点の言葉が
私のもとにたくさん届いた。
そしてそれはどれも胸を打つもので・・・
私はその人のことを見直したり、より好感を持ったりした。
正直に弱さを認め、打ち明けられることの勇気。
本音をさらけ出したなら、情けない言葉たちが溢れ出てきた。
でもそれは、取り繕った美辞麗句なんかより、
うんと美しい言葉だった。
そう思った。
…
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