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自分を取り戻す。

SNS断ち 一日目。

自分回復のためのセラピー的記録。(おそらくはスピリチュアルな話になるので苦手な人は読まないことを推奨)

さっき、インスタのアイコンに間違えて触れてしまい一瞬画面が開いたんだけど、その瞬間、なんかダメな感覚がワーッと来て、速攻で画面を閉じた。
もうこれは本当にしばらく開いてはならぬと改めて強く思った次第。
無意識に見てしまわないためにもSNS断ち○日目とかってこれからnoteの冒頭に書くことにしようと思う。

実は昨日から涙腺がおかしくなってて、ひたすらに涙がとめどなく出てきてしまうという異常事態が起こってたりもして。
今日も油断したら泣いてしまっている。
泣くとすっきりするしたぶんこんなときはそのまま泣ききってしまうのがいいのかなとも思うのだけど…。
でも一方でそんな自分を客観視してる自分もいて、ちょっと不安になったりもある。
自分で自分に大丈夫か?みたいな。苦笑

精神世界に詳しくて私のことも深く理解してくれている友人がいつしか助言してくれたのだけど、私は他者と自分の境界線が曖昧なところがあると。
人の気持ちに自分の心を容易に重ねていけるから相手の気持ちがよくわかるし、それで人を癒すこともできる一方で、時々、今感じているのが自分の感情なのか相手の感情なのかが曖昧になることがあるんじゃないかと。
言われてみたらそうかもしれないと思った。
確かにそうかもと。

実際、悲しい話を聞いていると心の底から苦しい気持ちが湧き起こってくる感覚があるし、寂しさも喜びもワッと受け取っては自分の中で混ざり合うみたいな感覚ってたしかによくあって。
対面で人と接してるときにはまだ意識してその境目を感知できてる気がするのだけど、Web上にはびこる"気"のようなものって気をつけるのがとても難しくて…。
気づけばそこに飲まれてしまってることがよくある気がする。
実際、今日一日全く見ないようにしてたインスタをさっき間違って一瞬開いただけでめっちゃ心が重たくなったから。
何を読んだというわけでもないのに、だ。

ちなみにこうして書いている今はまた平常運転モードを取り戻している。
今のこの感じが一番フラットな自分なんやろうな。
何の波風も立ってない凪の心。

本当に今は何も見ない方がいい気がする。
一旦ちゃんと離れてみて、自分本来の気持ちだけがいつもちゃんとここにあるよう心がけよう。
よし。

私の心はたぶん気づかないうちに相当すり減ってしまっていたんだと思う。
もうなんかホント色々怖くて…。
今現在も、この人にもしも存在を知られたら終わりだと思う人がいたりもするし…。
何か言葉にならない怖さを根底に携えた人っている。
見つかってしまったらもうこの場にはいられなくなるのがわかるような、そんな恐怖感、威圧感。
怖い。

…何言ってるかわからなさすぎて読んでる人からしたらここで書いてることのが怖いわって感じかもしれないけど。笑
セラピーだからこれは。
自分のための自分の記録。
スマホのメモに書いても良かったかもしれないけど、それだと続かないかもしれないから。
悪しからず。。


最近、石川直樹さんの『いま生きているという冒険』という本を読んでいる。
この本の中に南極の話が出てきて、南極の冬はとにかく真っ暗で恐ろしいことこの上ないのだと。
で、そこから興味が湧いて、冬の南極を探索した人っていないのかなと調べてたらいるっぽい記事を見つけた。
まだちゃんと読めてないんだけどもし面白かったらこのことも今度書こうかな。
ちなみに、南極の氷の裂け目のクレバスの画像は何度見ても恐ろしい。(画像検索したらめっちゃ出てくる…!)

怖い怖いと言いながら恐ろしいものの画像をあえて見て怖がってもいるこの矛盾よ。笑
こんなんだからすぐ馬鹿にされておちょくられたりしてしまうんやー。
しっかりせな!
…笑。

明日もきっと良い一日。



きっともう散ってしまったけど、奈良の桜。


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