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スミレ。

さっきなかなかな言葉を吐き捨てるように書いてしまって。
全然それ自体後悔したりとかはないし、下書きに戻す予定もないのだけど。

先輩がシャガという花を好きだと言った。
私はそれを知らなくて検索したらこんな花らしい。

            wikipedia 「シャガ」より

春に咲く花で見かけると嬉しくなるのだと言っていた。
可憐で上品な花。

私の好きな花が何かも聞かれて、花は全部好きだけどスミレが一番好きかもしれないと答えた。
スミレは花だけど雑草の仲間でもある。
この時期になるとふと目をやった足元になにげなくソッと咲いていたりする。

たとえばこんなふうに。

こんなにも小さい。
でもしゃがみ込んで覗いたらこんなふう。

この覗き込まなければわからない美しさや可愛さに心惹かれる。

スミレには数多くの品種があり、そのなかでも日本には世界一の数が自生しているらしい。
スミレは花を咲かせた後、種を周辺へ弾き飛ばすのだけど、その種には蟻(あり)の好む物質が付着していてそれを目当てに蟻が種を運び、またその先で花を咲かせるのだと。
アスファルトの隙間に咲いているのはそこが蟻の通り道でもあるかららしい。

ほとんど土のない場所でも逞しく咲いて、その存在に全く気づかない人だってきっとたくさんいる。
チューリップや桜や薔薇みたいに、そこに咲いてますみたいな主張がなくて、本当にそっと。
たとえ見つかってもあまりに小さな花だから引っこ抜いて持ち帰ってやろうとはたぶん思われなくて、そう言う意味ではとても自由な存在ともいえるのかも。
私みたいに地面スレスレまで目線を落として写真に撮ろうなんて人間もそうそういないだろうし…。

咲いてる場所が道端だけに、たまには踏みつけられたり、走り去る車のタイヤから跳ねてきた泥をかぶったりと、憂き目にもたくさんあうんやろうな。
でもそれでもわざわざ摘み取られたりするよりはマシだと思ってたりするかな。
どうなんやろう。
私はスミレじゃないからその気持ちはスミレにしかわからないのだけど。(そもそも思いがそこにあるのかという疑問はひとまず置いといて…)

もし自分が花になるならスミレがいいなと思う。
自分の素晴らしさをひけらかすでもなく、そもそもそんな土俵にすらあがるでもない存在。
気づかれずに踏みつけられることがあったとしても、摘み取られてどこかの花瓶に飾られるよりはよっぽどいい。
綺麗だなんて賞賛はいらないからただ風にそよいでいたい。
私を摘もうとしないでと思う。


スミレじゃないけど、時々、踏みつけられる痛みは踏まれた者にしかわからないんだろうなと思うことがある。
日の当たる場所にいるものには陰の世界の湿度や暗さがわからないように。
痛みはそれを感じたことのある人間にしかわからない。


日の当たる場所にいる人には陰の世界がわからない。
痛みはそれを感じた者にしかわからない。
悲しいかな。


私は自分がいつも日向にいる人間だとは思わないし、かと言って陰を知り尽くしているわけでも決してない。
だからせめて自分がわかっていないことだけは自覚していたい。
そして高みからじゃなしに、這いつくばった先からしか知り得ない美しさを見つけられる人間でありたいとも思う。

地面スレスレの目線で撮ったスミレの写真を見つめながらそんなことを思ってみたりもした。

余談だけど、なんかもう人間と付き合うのに疲れるみたいな瞬間ってあるよな。苦笑
何もかも嫌になって信じたくなくなるみたいな。
そんなときもある。
でももうあんまりそんな気持ちを持ちたくないとも思う。
そう、思っている。今。

外は雨。
雷も鳴ってる。 


徒然。


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