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最近の記事

牡蠣殻とトルコキキョウ

サンサン、という呑気な名前の台風は、予報で懸念されていたよりも遥かに緩慢に8月終わりの週末の列島をなぞっていった。 僕と彼女はその日曜日、ふたりで鎌倉に行く約束をしていたのだけど、おかげでギリギリまでその予定は確定されずに当日を迎えてしまった。 「これ、行けるのかな?」 「どうだろうねぇ」 「とりあえず、朝ごはんでも食べようよ」 彼女はそう言い、われわれは駅の近くのジョナサンに向かった。高架下にあるジョナサンの店内は薄暗い天候も相まってなんだかどんよりしていた。ただテーブ

    • デコった車のダッシュボードは箱庭であり小宇宙なのだ、という話

      名古屋にある8席程度の小さな焼肉屋で、友人と七輪で肉を焼きながら箱庭の話をした。 特に少し地方に行くと、車のダッシュボードを思い思いに飾っている車をみかける。 そこには、ふわふわのファーが敷き詰めてあったり、持ち主が好きであろうサンリオのキャラクターや浜崎あゆみのロゴが散りばめられていたり、思い思いのデコレーションを楽しんでいる様子が伺える。 一見するとヤンキーやギャルの車の代名詞のようでもあるけれど、これは紛うことない箱庭だと思うのだ。 言ってしまえば、車も家も(ほぼ

      • 11年後

        父が他界して今日で11年になる。 2013年の今日、彼は50歳の誕生日を迎えて、翌日にはあちらへ旅立っていった。なんとか50歳までは生きたぞ、じゃあな。とでも言うように。 当時僕は大学1回生の春休みで、京都から実家の福岡に帰ってきていた。遠く離れている状態で別れを迎えずに済んだことは幸運だったと思う。父は春吉のジャズバーでバーテンダーをやっていて、3/21は偶然にも店のライブイベントと重なっていた。僕はその手伝いを頼まれていて、日中の短期バイトを終えて、天神近くのジャズクラ

        • 福岡の水族館から東京の隅田川までの数年間

          その人は、noteなどに何度か僕のことを書いてくれているが、僕からきちんと文章にしたことはなかった。コンスタントに文章を紡ぎ続けることができるその人のようにうまく書ける気は全くしないけれど、たまにはいいかなと思って書いてみる。 ちょうど今日はその人の誕生日。お誕生日おめでとう。付き合った初めの年に誕生日を1日間違えて覚えていたこと、あらためて謹んでお詫びします。 付き合った年。そう、その人とはかつての恋人のこと。出会ったのは大学生の春休みに毎年地元に帰省して働いていた短期

        牡蠣殻とトルコキキョウ

          「人として」という言葉への違和感

          帰国して仕事を始めて10ヶ月も経つと、首を傾げたくなる言葉のひとつやふたつ、出会うことがある。別に勤務先や環境に不満があるわけじゃないし、同僚は大抵いつだって親切でポジティブだ。 これは職場に限ったことではないけれど、普通の楽しい言葉の端々に違和感を覚えてしまうことはたまにある。「人として」という言葉が最近のそれだ。「人としてどうかと思う」とか「ビジネスパーソンとしてじゃなくて、人として」みたいな用例が多い。 当初聞こえてきたときは7割の感心と3割の違和感で受け止めた。(

          「人として」という言葉への違和感

          ジョージ・オーウェル「1984」と記憶

          第1節 オーウェル『1984年』における集合的記憶 集合的な記憶とその継承とは言っても,それらはあまりに漠然としている。支配者によって徹底的に歴史が破壊され作り直されるような場面に際したとき,我々はなんらかの記憶を保ち継承できるのだろうか。こうした支配体制の想定はあまりに極端なものかもしれな いが,ジョージ・オーウェルの小説『1984 年』においては,二重思考やニュースピークと いったシステムと相まって不気味なリアリティをもって描かれる。究極のディストピアを 描き出したオー

          ジョージ・オーウェル「1984」と記憶

          いま、ベトナムでつづる日記。

          はじめに ベトナムに暮らし始めて2年目の26歳の日本人です。 納豆が好きです。2020年に書いた記事を最近下書きから戻しました。 ベトナムもご多分に漏れず、Covid-19(新型コロナウイルス感染症)の感染を封じ込めるための対策に全力を尽くしています。ホーチミンの街の風景も随分と変わりました。 海外にいる友人や日本にいる友人と話していると、共通の感染症という課題に直面しつつも、それぞれが置かれている環境の違いや、そこから感じること・考えることの違いは意外と大きいことを実感

          いま、ベトナムでつづる日記。

          「責任は夢の中から始まる」‘In Dreams Begin the Responsibilities’

          悪意ない雑談と消えた30kgのコメ3月上旬までの数週間をジャカルタで過ごした。ちょうどCOVID-19がインドネシアに上陸した頃。最寄りのスーパーでは、コメ類など一部商品が買い溜めの影響で品薄になり出していた。 「最寄りのスーパーに行ったらコメがほとんどなかったよ」と現地の仕事関係の知人に軽い気持ちでその話をしたら、その翌日に別の店舗で買い溜めした旨を報告された。スーパーではコメは1人1個の購入制限が設けられていたようだが、彼は配偶者とドライバーも動員して2周し、占めて6袋

          「責任は夢の中から始まる」‘In Dreams Begin the Responsibilities’

          今はなき、ある喫茶店と図書室のための

          今は亡き喫茶店のこと福岡市中央区。 日本銀行の裏手付近に、16年くらい前までシックな喫茶店があった。 昭和のオフィスビルの路面テナントにある店はそれなりに広く、ランチタイムは近隣のサラリーマンたちで賑わう。 煉瓦の内壁と、店内の中央に鎮座する立派な生け花が特徴で、市内で唯一の神戸にしむら珈琲を出す店だったはずだ。 母に連れられ、幼稚園の頃からよくこの店に通った。 ハッシュドビーフとオムライスとドリアが特にお気に入りで、この3つばかり頼んでいたような気がする。 朝から夕方まで

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          「良い夜だったよ」と言いたい夜のこと

          N響の夜@サイゴン・オペラハウス何かをきっかけに、色んな記憶が芋づる式に蘇る。 なぜか、蘇る記憶の大半は夕方〜夜にかけてのものばかりで、さらにその多くが狭義においても広義においても、移動の途上にあったりする。 そんな、「良い夜」のひとつに、今夜のことが加わるはずだ。 2018年9月5日、史上初めてベトナムで、NHK交響楽団の公演が開催された。 2曲のチャイコフスキー、間に1曲のラロ、そしてアンコール。 普段あまりオペラハウスに行かない、ベトナム・サイゴン在住の日本人だが

          「良い夜だったよ」と言いたい夜のこと

          サイゴンに降るスコール・記憶すること

          出勤前の1時間を、職場の目の前のカフェで過ごす。 スコールはいつも突然に、不条理にやってくる。 ちょうどカミュのペストを読み始めたところだった。突然だ、不条理だと唱えてみる。でも、アルジェリア・オランの街にやってくるペストよりは、ベトナム・サイゴンの街のスコールはいくらか予兆を捉えやすい。 2階席の窓際から眺めるスコールは、たとえその日雨傘を忘れていたとしても、どことなく他人事で、遠い世界の景色のように映る。むかし、福山雅治がSquall という曲を歌っていたけれど、こっち

          サイゴンに降るスコール・記憶すること