虹ヶ咲 素顔のフォトエッセイシリーズ04 Rainbow Days~侑~ 感想
またまた虹ヶ咲の記事です。
こんな情勢ですが、どうやら4thライブは無事に開催されそうです。
何もかもが楽しい気持ちのままに、初めての周年ライブ現地、3rdライブのBDを見て指を咥えて羨ましがるしかなかったあの世界に飛び込めることが楽しみで仕方ありません。
両日参加できればもっと幸せだったのでしょうが、別の行かなければならないライブが奇しくも重なってしまいました。どうして…。
今回は「素顔のフォトエッセイシリーズ」のお話です。
以前よりこのシリーズの感想を書きたいと言っていましたが、侑ちゃん視点でのエピソードが語られる新刊の発売が近いと聞いて、これは感想を書くいい機会だと読む前から思っていました。なぜなら高咲侑ちゃんはスクスタのプレイヤー視点である「あなた」が"アニメで登場させるために"キャラクター化して生まれた子であるからです。スクスタ世界線のお話を十分に知らない自分にとって、彼女を取り巻く環境でのエピソードは語る対象としてうってつけでした。
(といいつつ、知っていることに関してはスクスタ等のアニメ以前の内容も書いちゃうと思います)
(スクスタのキズナエピソードは一通り読みました)
以前の記事と同様に、書中の好きなセリフをあげて、その周辺の内容と共に好き勝手に書きたいことを書いていきます。
今更ですが、既に読んだよって方向けのお話です。ネタバレ注意。
高咲侑という子がいかにニジガクメンバーとスクールアイドルが好きなのかがわかる一場面です。下手に豊富な語彙で語られるよりもずっと「大好き」の気持ちが伝わってきます。
人間、文字列だけで自分の気持ちを全て表現し、それを他の人に正確に伝えることができるなら苦労しません。実際のところ、その中身よりも、自分はこれが大好きで夢中なんだという熱意を伝えることの方が大切な場面が多いのかもしれません。
侑はゲームにおける「あなた」ポジでもあるので、彼女に共感や感情移入できればそれだけ虹ヶ咲の世界観にのめり込める、と思っています。
かすみの素の姿、かわいいに真剣に取り組む努力家の姿がとても魅力的だというお話、大変同感です。今の自分よりももっと先の魅力的な自分になりたくて、自分のことを大好きでい続けたくて奮起するかすみの心意気が眩しくて、とにかく応援したくなってしまう。
裏で努力している跡はあまり見られたくない、というかすみの姿。彼女にとって見てほしいのは「結果として最大級にかわいい自分」であって、その過程を見られてしまうのは恥ずかしいようです。努力を見せるんじゃない、結果を見せるんだ、という彼女のアイドル感にも思えてきます。
(この場面を見て、自らの休日スケジュールにランニングが入っているのをあまり見せたくなかった、とせつ菜と果林に話す電撃オンラインでのかすみの姿を自分は思い出してしまうのでした)
この3人の関係性も好き。かすみの頭をポンポンする果林の表情が好き。
しずくには、自身の明確な長所であるはずの「演じること」を消極的理由で行ってしまっていた過去がありました。そんな彼女ですが、とある出来事がきっかけで演じる自分のことを肯定できるようになるのでした。詳しくは前回書いた記事を読んでいただければと思います。
それに加え、しずくが自らを肯定できるようになったエピソードはもう一つあります。フォトエッセイしずく編のお話です。
かつて想像力が豊かすぎるせいで回りの子から「変な子」と言われてしまい、それがきっかけでトラウマとなってしまったしずく。
しかしこの「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」という集まりは、誤解を恐れずに言えば「変な子」の集まりです。優しく言い換えれば、それぞれの「大好き」を持った、尖った個性を持った存在の集合体です。
この後しずくは、電車内で発生した停電で泣いてしまう少女に対し、かつて自らのトラウマだったはずの空想癖を生かし、構築したストーリーを披露するのでした。
メンバーに「”桜坂しずく”らしさ」を誉められ、自らの個性を肯定的に見ることができるようになったからこそ、少女の笑顔を取り戻すことに成功したと言ってもいいでしょう。これもまた一歩踏み出したからこそ見ることができた、新しい世界です。
人と繋がりたくても、表情を変えるのが苦手で、相手に思いを伝えるのが難しい。そんな性質を抱えていても、璃奈はスクールアイドルの世界へ飛び込みました。最初のきっかけは手を引いてくれた愛さんだったかもしれない。
それでも璃奈は、思いを表現する手助けとなる、表情を出すための璃奈ちゃんボードを開発し、既存の観念に捕らわれない璃奈にしかできないライブを披露することになります。璃奈は勇気を出して一歩踏み出したことで、人と繋がることのできる、全く新しい世界へ飛び込むことができたのです。
そしてSNSでの投稿を頑張る璃奈は、添付する写真や文章を自分の気持ちを表現する手助けとしつつ、璃奈ちゃんボードを用いずにそのままの自分を投稿するのでした。ボード無しで皆と繋がろうとするという「一歩」をまた踏み出しているのです。
自分の苦手を自分の得意を駆使してカバーし、自分だけのライブを作り上げる璃奈の姿に惹かれ、「自分も何かができないからと言って諦めるのはよくない、頑張らなきゃな」と思う人は多いことでしょう。
まさしくこれは、かすみの言う「ダメなところを武器に変える」ことができてしまっているわけです。
アニメ第4話やフォトエッセイ璃奈編での、愛さんが璃奈の表情変化を理解している描写がとても好きだけど、このメモを見る限り侑ももうバッチリわかるんだなあと感慨深くなってしまいます。
そして、1年生組の仲の良さも伝わってきます。
アニメ2期では、学年別ユニット楽曲の実装を期待したいところです。
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、せつ菜を始めとして自分だけの「大好き」を叶えるためにストイックに頑張れるメンバーばかりです。
読者モデル経験があって人に注目されることに慣れており、同好会の中で「最も頼れる上級生感」を醸し出している果林が、メンバーを対等な尊敬し合えるライバル関係だと思っているのは、他の子からしたら嬉しくて堪らないと思います。メンバーのことが大好きだ、と照れながらもちゃんと言える果林が好き。
スクールアイドルを始め、周囲の熱さに触発されて、かつてのストイックだった自分を思い出す。スクスタ内のキズナエピソードでもそのようなお話が展開されていました。
そしてそんな姿の裏では、朝寝坊してエマに起こしてもらったりパンダが好きだったり方向音痴だったりする、果林ちゃんと呼びたくなるようなギャップ可愛さが光ります。
スクフェス分室記事やにじよん等を読んでいても思いますが、エマと彼方が揃った際のゆるふわな空気がとても好きです。お世話好きと甘え上手という関係もそうですが、それに加えて2人は愛する弟妹を持つお姉ちゃん同士でもあるので、そこに関しても気が合うのでしょう。
エマはアニメでは主役回の第5話を含め、誰かに助言を与えたり、優しく包み込んだり、ニコニコと見守ったりする役柄であることが多く、弱みを見せるシーンは殆どなかったと思います。
アニガサキには「未知なるモノへ一歩踏み出すことの大切さ」がテーマとして与えられており、エマにとって最大の挑戦は「スイスから日本へ留学してくること」であったので既に最大の壁は超えており、その点でもう他のメンバーたちを抜き去んでいたのかもしれません。
(だからこそでしょうか。エマが主役のフォトエッセイで彼女が「弱さ」を見せ、それをアニメではエマに助けられたメンバーたちが逆に彼女を支えてくれたのは嬉しかったですね)
愛おしい家族の住む故郷のスイスから遠く離れた日本へ来て、ビデオ通話をしているとはいえ寂しくないわけがなくて、国が違えばどこか不自由が生じて辛く思う日だってきっとあるはずで。間違いなくそういった気持ちを抱えているはずなのに、普段はそういった姿をメンバーに一切見せない時点で、強いよね…って思います。
母なる大地のような、全てを包み込む温かさ、それが彼女の最大の魅力なのでしょう。そして、そんなエマの魅力にちゃんと気づける侑も好き。
メンバーに対して甘えたがりで、でも偶にお姉さんらしく振る舞う一面、バイト中の真剣で頼れる姿、溺愛する妹と一緒に過ごす蕩けた表情、どれも彼方の魅力だと思います。
お互いが支え合いながらスクールアイドルを続けるということで妹ともきちんと和解しましたし、アニメ2期では2人で一緒に歌うシーンがあったりしないかしら、なんて妄想をしてしまいます。もしそうなれば、また一味違った彼方の歌声を聴くことができそうです。
侑の幼馴染である歩夢は、密着取材に奮闘する侑をずっと心配してくれています。それと同時に、「侑ちゃんは昔からこうだから仕方ないか」というような、そんな性質を含めた彼女の全てを愛おしく思うような気持ちも見えてきます。ひとたび夢中になると止まらなくなる、そんな侑ちゃんが傍にいてくれたからこそ歩夢は一歩踏み出せたのですから。
(これは電撃G's magazine.comで紹介されている絵だからセーフ)
この写真を見ただけで「侑ちゃんもこの3人と同学年なんだよな。そりゃ当たり前のことなんだけど、3人と1人じゃなくて4人仲良しなんだよな」とエモ感情を抱いてしまいます。
笑いのレベルが赤ちゃん並(歩夢談)の侑は、このダジャレのせいでホームラン愛の表情を撮るピントを合わせに苦労してしまいます。愛のダジャレは(一般的には)決して面白いわけではないのですが、テンションが高い彼女の姿そのものが周囲の空気を晴れやかなものとしてくれます。
アニメ2期では愛がこのような性質を育むに当たって大きな影響を与えたであろう、彼女の実家回りのお話を深堀りしていってほしいと考えています。そこではニジガクメンバーには普段まず見せない、余裕さを少し失った可愛げのある姿を見てみたいものです。
そしてもしそうなれば、その流れで門前仲町周辺の聖地巡りもしてみたいですね。
侑にとって歩夢の普段の姿なんて見慣れすぎてもはや取材する必要あるのか?と思いながら読んでいましたが、案の定でした。誰もいないからって自習室でいちゃいちゃするな。子供のころから侑ちゃんに可愛い可愛いと言われ続けたからこそ、歩夢は今ここにいるんですよね。
侑にとって歩夢のファンが増えるのは自分のことのように嬉しいし、たとえ歩夢本人が自己評価低めであっても可愛いと言い続けてきた自分は正しかったんだ、ほら見たことか、といった気持ちもあるかもしれません。
過去の一つ一つの選択が今の自分を作り上げていて、その一つでも欠けていたら今の自分はいない。そして「学校の活気」という目に見える証が、今まで自分が選んだ、時には茨とも言える道が間違いじゃなかったんだと示してくれた。その中には、侑が手を引っ張ってくれたからこそ選べた道もあったわけで、せつ菜としては感謝の気持ちしかないでしょう。あの日一歩踏み出したことが、今ここに繋がっているという実感。
彼女たちは「アイドル」ではなく、「スクールアイドル」であって、テレビ越しではなく、身近に存在するからこその価値ががあるわけです。
見た目が良くて歌やダンスが上手いというだけではない、すぐそばでずっと見てきた侑だからこそ知っている彼女たちの人間としての魅力を伝えたい。
侑の書いた記事は、彼女たちの実在感を高めてくれました。実在感のある彼女たちが夢に向かって奮闘する様子は、ファンの皆に「自分も頑張れるかもしれない」と勇気を与えたのではないでしょうか。
他の子と比較しても短い取材メモです。
もはや細かい説明は不要とも取れますし、歩夢の何もかもが好きだよという直球さを感じられるメモでもあります。
「で」ではなく「が」なのは、「今のまま変わらないでほしい」というわけではなく、「アイドルとして開花していく歩夢の姿もまた可愛い!自然体の歩夢が好き!」という侑の気持ちの表れではないでしょうか。
しかしまあ、こんな1文字の変化でもキャラの感情というものは伝わってくるものなのですね。テキストを書いている方の表現力には尊敬するばかりです。
ハイスクールライフ研究会から侑ちゃん宛に来たメールの文面は、この時点では当然同好会のスクールアイドルのことを差して「オンリーワンの魅力がある」と言っているわけですが、彼らは後日「高咲侑を紹介する記事を作ってほしい」と侑にお願いをしてきます。
熱のこもった侑の書いた記事を読んだ研究会の人は、「侑もまたオンリーワンの魅力を持っている」ことに気づいてしまったのでしょう。
2年生組の様子が書かれた絵について「3人と1人じゃなくて4人仲良しなんだよな」というような感想を上述しましたが、やはりこのアニメ1期は9人と1人の物語ではなく、10人の物語なのでしょう。スクールアイドルかそうでないかはここでは関係なく、お互い支え合いつつも、それぞれがそれぞれの「大好き」を貫いて進んでいく。
この名簿がもう答えでしょう。9人と1人ではなくて、10人なんです。
「ラブライブ!虹ヶ咲スクールアイドル同好会」はスクールアイドルだけが主役ではなく、スクールアイドルから輝きをもらった「あなた」(該当者多数)もまた主役の物語なんだと思わされます。
#あなたからみんなへみんなからあなたへ
「あなた」のうちの一人であるところの自分も、この先何度もこのコンテンツに背中を押してもらうことになるのかもしれません。
まずは週末の4thライブ、そしてその先にアニメ2期が待っています。一つ一つの機会を大切にして、心に残るように味わっていきたいですね。