3人の魔法
4年前の、今日。
私は株式会社ナムフォトを設立した。
ちなみに、13日の金曜日だった。
私、キリスト教信者じゃないし、5月13日は、特別な日だから、起業するならこの日がいい。絶対にそうしようと決めて、そうした。
というわけで、ナムフォトの5年目がはじまった。
「写真というツールを使って、人々の人生や価値観、感性に寄り添いたい」「自分の人生をアップデートしたり、振り返ったり、愛おしくする機会を提供したい」
想いはひとつも変わらず、
「事業」という形に着地させるときに、自分はどういう世界を描きたいのか、誰にどんなパッケージで、写真というツールを届けるのがいいのか、ずっと迷いの中にいた、気がする。
最近、「誰に、どんなソリューション、どんな価値を提供するのか」ということが、ようやくズバッと決められるのではないかと、予感している。
(実際に、ユーザーさんの手に届いて、ユーザーさんが使ってくれて、具体的な変化が起きて、その先の人生に繋がるというところまで見届けないと、サービスをつくりあげたことにならないので、現時点ではあくまで予感なのである)
というわけで、サービス内容については、またもう少し後に触れるとして、
まだ見ぬユーザーさんと繋がれそうな感覚を胸に抱いて、割と健やかに生きています。
ナムフォトを設立して、3年と少しが経ったとき(約一年前ということです)に、一緒にナムフォトをすすめてくれる、仲間ができた。
彼の名前はやすといいますが、正確にいうと、この1年くらいをかけて、サービスづくりを一緒に進めていく中で仲間になった。
また、この半年くらいの間に、もう一人、一緒にナムフォトをすすめてくれる、仲間が増えた。
正確にいうと、彼女の名前はゆかりちゃんといいますが、1年半くらい前に出会っていて、別のお仕事でご一緒してたのだけど、晴れてナムフォトのチームに加わって、一緒に進めてくれているのだった。
私と、やすと、ゆかりちゃんは、全く違った感性や考え方の持ち主で、
「あなた、私と真逆の考え方をしますねーーー!」と感じることも多いのだけど、その点が素晴らしいなと、常々思う。
それぞれのスタンスで丁寧に「テーマ」に向き合い、それぞれの感性で、率直に、私が見えていないこと、気づいていないことを教えてくれる。
全く違うかと思いきや、
「うわ、この人、私みたいだな。」と感じる瞬間もあって、こうやって、丁寧にすり合わせていく中で、人と人の関係も、真ん中にあるナムフォトのサービスも形になっていくんだなぁと、見守っている。
私は、旅人気質なところがあり、これまでの人生で居場所や交友関係を頻繁に変えてきたから、
じっくりと育てていく、今の過程は、チャレンジでもあるのです。
「お互いに ”え、何言ってるの!?"と思うこともあるけど、その時は辛抱づよく向き合いましょう」
と彼が言ってくれたときに、めちゃめちゃ信頼できるなと思った。
「一緒にやっていく中で、愛着が生まれてきた。"感性や表現"という領域においては、まだまだ、自分自身も勉強中だけど。」
と、彼女が伝えてくれたときに、めちゃめちゃ信頼できるなと思った。
ふたりとも、自分の中にある違和感を大事にしながら、同じビジョンの方向を見つめて、この場所に一緒に居てくれるから。
私も、違和感や違いを恐れずに耳を傾けたいし、
もしくは、自分の中の違和感を殺さず、居られるなと思う。
違和感のない共感は、狂気じみているな、と感じる節もあり。
さりとて、違和感だけに囲まれているような人や場所に止まることは、全くおすすめしないけど。
サービスの様々な検証や仮説設定をすすめる中で、定期的にナムフォトのビジョン、ミッション、バリューを見つめ直すのだけど、今のところ以下のようになっています。
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▼Vision
人生で、いつ・どこで・誰と・何をするか、模索し続ける習慣を広める
▼Mission
写真をとおして、人生の主人公を増やす
▼Value
違和感を手がかりにして、行動する
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「一刻も早く、サービスを世の中に届けたい」とカリカリしがちな私だけど、「あ、これでいいんだ!」と腹落ちしたとき、だいたいふたりも笑った感じになる。
逆に、変なツボにはまったり、一足飛びに進もうとしたり、何かよくないステップを踏もうとしたら、誰かが困った顔になる。
仲間ってほんとすごいなー。本当にありがとう。
がんばって、世の中にサービスを届けて、ユーザーさんの変化を見届けて、一緒に笑顔になりたいっすよ。
目標や目的を愛しながら、過程を愛しながら、すすめていけたらと思います。
他にも、色々な形でナムフォトに関わってくれた人がいる。
ともに時間を過ごし、違和感や共感をともにし、その時、必要な気づきをもたらしてくれた。
彼ら、彼女たちにも、ありがとうを。
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