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分離教育は差別なのだろうか?

国連の勧告を受けてもやもや。

私だけ?

と思ったら、結構、この勧告に違和感を感じている人は多かった。

私は区別と差別は違うと教わってきた。

男性と女性をわけるのは差別ではなく区別。
男性にだけ機会が多く与えられ、女性に機会が与えられないのは差別。

私は女子高にいきたくて、高校は女子高を選んだ。
これは選択肢があるからできたこと。

女の子だから女子高にいきなさいと強要するのはNG.

障害のある子どもにも同じことがいえるのでは?

本人や家族が特別支援学校や特別支援学級を主体的に選ぶならそれは選択肢の1つ。

教育委員会が障害のある子どもに特別支援学校への就学を強要したら差別。

そして、今の日本は少なくとも強要されることはないはず。

もちろん、なかにはそういうケースもあるのかもしれない。それはおかしい!と言っていいと思う。

だけど、日本の特別支援教育があたかも差別的でとんでもないんだ!と主張されることに違和感がある。

自立とは、選択できることだという有名な言葉がある。

先月、接腸「障害者という規範意識からの解放」において、英国の視覚障害教育の状況について記述した。

政府は二言目には「お金がない」といい、盲学校へ通うほうがお金がかかるからと地域の学校への就学を促すという。

英国のほうがインクルーシブ教育がすすんでいるという人がいるが、果たして、本当にそうなのだろうか。

コストのかかる特別支援学校をどんどん閉校している。

これは、子どもは親の選択肢をどんどん狭めていることと同義なのではないだろうか。

日本は日本。

独自の文化を築いてきた島国。

私は同じ学びの場にして、教育格差がもっと広がることのほうが心配。

目指すべきは、多様な学びの場があり、どこでだれが学んでいても教育の質を保障することではないだろうか。

障害の有無とかそんな狭い視野ではなく、日本では「普通」といわれている子どもたちもひっくるめて、きちんと教育をする環境を整える、そのために必要不可欠なこと、それは教師の質の向上だと思うのだが。

この違和感、大切にしていこう。


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