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病気としての色覚障害と人としての色覚の多様性

ご縁があって私も出演させていただいた「竹田と山口の時々お役立ちラジオ」。オンデマンド配信なのでいつでも聞けるのがいいところ。

第49回ではご自身も色覚の多様性のある方がゲストに出演。色覚障害は男性の20人に1人ぐらいの割合で出現するのだが、実は色覚障害だけでは視覚障害には入らない。

さて、私が番組の中で印象的だったこととして、学校における色覚異常をスクリーニングする検査をどのように考えていくべきかということ。
色覚の検査に限らず、視力検査だって同じことなのだけど、学校で行う検査は限られた時間の中で効率的に検査を行うことが求められるために「個」への配慮があとまわしになってしまうこともしばしば。
いわゆる異常がない子どもたちにとっては何も気にならない検査でも、「異常」に区分される子どもたちからするとこの検査で人知れず傷つくこともある。実際に、弱視の子どもが学校の視力検査で0.1の指標が見えなかったとき、周囲の子どもたちが
「〇〇ちゃん、あんなに大きなものも見えないの?」
といわれてから学校での視力検査が怖くなってしまったという。
子どもは素直なので思ったことをすぐに口にだすもの。その時大切なのは周囲にいる大人がどうフォローするか。

色覚検査も積極的にやらないと色覚異常があることに気づかずに大人になることになる。当事者の方がラジオの中でも話しているが、
「何かができなくなっちゃうほど困るわけじゃないけど、実は困ることがある」
というのが色覚に多様性のある人たちの特徴。

何より社会で生きていくときに、周囲に誤解されてしまうこともある。だから、自分の体の特徴として色の見分けができないという事実は子どものうちから知っておく必要があると私は考えている。

重要なことは、検査を行ったあとその検査結果をどのように伝えてその後の生活をサポートするかなのだと思う。残念ながら、ここの部分が欠如しているため、いたずらに検査を行い本人や家族を困惑させてしまっているのではないだろうか。
クレームがでるようなことは極力やらないといった消極的な判断ではなく、何のための検査でだれにとって大切なのか、そのためにはどのような環境を整備しなければならないのか今一度考えるときではないだろうか。

さて、色覚障害については用語の用い方にも色々と議論がある。
私は医学的な体の状態を端的に表す言葉としては、「色覚障害」や「色覚異常」という用語が適切と考えている。
ただ、その人を社会に生きる一人の人間として表すときには「色覚の多様性のある人」と表現してはどうかと思う。

用語に関しては立場によって意見も多種多様だ。だからこそ、一人ひとりが意見をだして表現すること、相手の立場にたってTPOに応じた言葉を選ぶこと、それが私たち人間にできることなのではと思う。

下記、ラジオへのリンク
http://www.jbs.or.jp/index.php

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