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規範意識からの解放:新幹線での移動



 

 ここでは、弱視難聴の私がどうやって名古屋駅から待ち合わせ場所まで移動したのかを紹介しよう。

 まず、先ほどのJR名古屋駅の有人改札にいる駅員さんが私が移動するために必要な人員調整を行い、それが完了すると、誘導担当の駅員さんが私のところへやってくる。

『どちらの腕がよろしいでしょうか?』

と、誘導をお願いすると必ずこのように尋ねられる。以前までの私は、

『視覚障害がある私が誘導をお願いするのだから、手引きをしてもらわなければならない』

という規範意識があった。視覚障害者なのだから、相手が望むような視覚障害者を演じなければならないという意識だ。というのも、私は弱視で周辺視野を活用することができるため、“歩く”ということに関しては困らない。

『それなら、誘導自体お願いする必要はないのではないでしょうか?』

と思うのではないだろうか。そこが、弱視の人を理解することの難しさにつながっているのかもしれない。私は手引きをしてもらわなくても“歩く”ことはできるが、新幹線のホームへいったときに、何番線がどこであるのか、何時に自分の乗る電車が来るのか、自分が乗車する新幹線の号車番号や座席番号は見えない。これに加えて、難聴のある私は、ホームでのアナウンス、車内でのアナウンスも聞き取れない。だから、駅員さんの誘導が必要なのだ。

 この駅員さんの誘導サポートを利用しはじめたころは、自分にとっては不要な手引きをしてもらっていた。手引きは必要ないと断ってはいけないと思い込んでいたからだ。あるとき、思い切って、

『私は少し見えるので、手引きはいりません。駅員さんの後ろからついていきます』

と伝えてみたことがある。そうしたらこれがうまくいった。あぁ、自分はこうやって自分のニーズを伝えてもよいのだと気づいた瞬間だった。これ以降、私は駅員さんに誘導サポートをお願いするときには、手引きではなく、駅員さんの後ろからついていくスタイルをとっている。だから、このときも、駅員さんの後ろをついて歩いていくことにした。駅員さんが名古屋駅の私が乗ることになっている新幹線の座席まで案内してくれる。だから、私は

『ホームを間違えて東京方面にいく新幹線に乗ってしまったらどうしよう・・・』

『指定席を見つけられなかったらどうしよう・・・』

という新幹線に乗るまでの様々な不安要素を解消して快適に目的の新幹線に遅れることなく乗車できた。

 3人目となる私をサポートしてくれる駅員さんは、新幹線の車掌さんだ。彼は、新大阪駅につく直前に私に声をかけてくれ、ホームに降りるところまで見届けてくれる。そして、新大阪のホームにはすでに本日4人目となる私のサポートをしてくれる駅員さんが控えていた。恰幅のよい駅員さんは、

『エレベーターとエスカレーター、どちらがよいですか?』

と私に尋ね、私はどちらでも問題ないことを伝えると、近くにエスカレーターがあったため、そちらに誘導してくれた。ある全盲の方が、

『視覚障害者は全員エレベーターへ誘導するという内規があるのか、必ず、エレベーターに誘導されて困っているのよ。私は最短距離での移動ルートを知りたいから、エレベータールートが知りたいわけではないのに』

と話していたことがある。確かに、駅員さんによっては、近くに階段やエスカレーターがあっても、そこは使わず、エレベーターまで一直線というケースがある。だから、今回の駅員さんは私に選択肢を提示してくれたという意味でとても素晴らしいと感じた。この恰幅のよい駅員さんは新幹線担当の駅員さんだ。だから、待合室まで案内され、在来線の駅員さんが来るまで待っていてほしいとのことだった。

 しばらくすると、在来線担当という本日5人目の駅員さんが現れた。甘い香水の香りがほのかに香る女性の駅員さんだ。新型コロナウィルスの感染拡大が深刻な状況になり始めていた頃であったため、彼女はマスクをつけていた。その上、かぼそい声で話すため、難聴のある私にはさっぱり聞き取ることができない。私は周囲の雑音が大きいところでは、会話を聞き取ることが難しい。だから、会話をするとしたら、エレベーターの中にいるときは絶好のチャンスだ。

『関空までは、どのぐらい時間がかかりますか?』

と尋ねると、

『7時45分発に乗って、到着が8時40分ですね』

と返事が返ってきた。

『思ったよりも時間がかかるのですね』

と私が続けると、

『本当ですね、ここから55分もかかるみたいですね』

と会話をしたところで、ちょうど、ホーム階へエレベーターが到着した。ホームに着くと、

『しばらく、ここで待っていてください』

と言い、彼女はどこかへと消えていった。おそらく、電車への連絡業務があるのだろう。数分後、駅員さんが戻ってきて、

『自由席のほうまで移動しますね』

というので、ホームを移動し始めた。しばらく、歩くと人だかりができている。駅員さんは、

『すいているところがないか探してくるのでここでお待ちください』

と言って、自由席の中でも人が少ない車両がないか探してくれた。2メートル先ぐらいまでしか見えない私にとって、ホームの先を見渡して、どこか混んでいて、どこかすいているかを見極めることは容易ではない。だから、このような駅員さんの気遣いはとてもありがたい。そして、駅員さんが戻ってきて、一番後ろの車両へと案内された。電車に乗り込むと、荷物を座席の後ろへ収納した駅員さんが、

『関空に到着しましたら、駅員が待機しております。お気をつけていってらっしゃいませ』

と最後まで丁寧な対応だった。

 関西国際空港駅に到着すると、予定通りホームに駅員さんが待機していた。ホームに降りると何か私に向かって話しているのだが、それを聞き取ることができない。こういうときは、

『もう1度、おっしゃっていただけますか?』

と聞き返す。すると、

『少し前のほうを歩けばよいと聞いていますが、それでよいですか?』

と誘導方法について確認してくれた。きっと、先ほどの女性の駅員さんが誘導方法を情報として連絡してくれていたのだろう。私は

『それでお願いします』

と伝え、空港へ向かった。駅員さんは慣れた様子で、

『どこの航空会社を使いますか?』

と尋ねてくれた。こちらからお願いしなくても、当たり前のように改札を出た先まで誘導してくれる。これは、私たち視覚障害者にとっては、まさに、かゆいところに手が届くサポートといえる。というのも、駅によっては、改札までの誘導となり、改札を出てからバスターミナルやタクシー乗り場までは案内してもらえないケースもある。ここは、空港の最寄り駅という特殊な駅ということもあって、駅員さんが当然のように改札の外での誘導を引き受けてくれるのだろう。私は待ち合わせ場所であるブリティッシュ航空のチェックインカウンター付近まで誘導をお願いすると慣れた様子で目的地まで案内してくれた。目的地に到着したところで私はお礼を伝え、その駅員さんと別れた。すると、しばらくして、再び、先ほどの駅員さんが戻ってきて、

『ここは、出発ロビー4階のEカウンター前です』

と補足情報を伝えてくれた。こういう情報保障は標識が見えない私にとっては、とてもありがたい。視覚障害者の立場にたって提供されるサポートの1つひとつに感謝の気持ちがこみあげてくる。

 ここまでが、私が名古屋から待ち合わせ場所である関西国際空港のブリティッシュ航空のチェックインカウンターへ移動するために得たサポートである。ここまでの内容を読んで、どう思っただろうか。きっと、1人ひとり、障害者の移動に対する規範意識は異なり、受け止め方も異なるのではないだろうか。それは違って当然であり、自然なことだと思う。

 私が視覚障害者になりたてのころは、“移動”というのは、“頑張って1人で移動できるようにならなければならない”という“ねばならない”規範意識にとらわれていた。全盲になったわけではない、弱視の私が誰かのサポートを利用することはいけないこと、人様に迷惑をかけるような移動の仕方はあり得ないとすら思っていた。だから、目的地へ移動するという移動だけにエネルギーの多くを割いてしまい、目的地に着いたころには、へとへと状態になっていることもよくあった。

 規範意識というのは、自分の内側に根付いているもので周囲からも自分からも見えづらいところにある。だから、自分がどうしてこんなに移動がしづらいのか、視覚障害があるとどうして生きづらいのか、その原因が顕在化するためには、様々な経験の積み重ねが必要だった。

 例えば、駅員さんの誘導サポートを利用して移動している視覚障害者と一緒に移動を体験する機会があった。初めてこれを体験したときは、全盲の人と一緒だった。こんなに便利なシステムがあり、効率的に移動ができる方法があるのかと知った。だが、ここでもさらに自分の中で、

『これは全盲の人が利用するものであり、弱視の私が利用してはいけない。弱視の私は全盲の人と違って手引きが必要なわけではないのだから、1人で頑張って移動しなければならない』

という規範意識が邪魔をする。人からサポートを受けることは恥ずかしいことではない、視覚障害があるのだから、それは当たり前の権利なのだと気づくようになったのは、障害者の権利について講演会やシンポジウムでお話を聞く機会が増えてからである。

 今回、ロンドンへの旅を通じて、1つまた1つと自分の中での規範意識からの解放体験が生じた。これをどこまで言語化できるかわからないが、本書を通じて私のような障害者の移動について知っていただく機会になれば幸いである。

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