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慈悲がすぎるよ!忍性さん

昔々、奈良は都=首都だったので、すべてが集まる中心地だった。
その後それは京都に移るのだけど、巨大寺院は残ったので、僧侶関係者は奈良で多く育まれることになる。

今有名女優さんとか、俳優さんが○○出身!キャーあの人が!?うちの地元から出てるの!?と心ときめかす気持ち。それはかつて奈良が独占していた。僧侶にかぎりますけどね。

そんな中でで忍性さんという方を紹介したい。

彼が生きたのは鎌倉時代。だいたい700年前のヒーローである。
忍性さんは、慈善事業に生涯をかけた人だった。

慈善事業というと、ハリウッドスターが何億寄付したとか、学校を作ったとか、はたまたユニセフへの支援とか募金といったことを想像するかと思うのだけど・・

忍性さんはぜんぶ自分の手で、足で、自らが現場に出て全部やった人である!

飢えた人がいれば粥を炊き出し、病気の人がいれば自ら薬をぬってやり、歩けない人がいれば背負って連れ出した。

徹底的に実践の人であった!!

仏教というのは教学といって理論を勉強する人と、慈悲の実践をする人とに分かれがち。

そもそも理論を知ってないと、どんな行動をするべきか・・・・?というのがわからないし。でもどんないい考え方を知ってても、それをやってみないと意味ないよね?というのもある。

でもでも、両方やってナンボ、という理想は難しいもんでどうしてもどっちかに偏りがち。たぶん教学が得意な人は実践が苦手で、実践ができる人は教学やってる暇がないんだと思う。(個人の見解です(^o^))

しかし元はひとつなはずであった。
我々の祖先はもとはひとつの一族だったのだよ・・・地上に降りてきたときにふたつに分かれてしまったけれどね・・!リュシータ・トエル・ウル・ラピュタ・・!!

忍性さんは奈良での活動ののち鎌倉に移り(鎌倉時代だからね)桑ヶ谷というところで救済活動を行った。20数年の間に46800人を救ったという。当時の人口はだいたい一千万くらいだったというので、現在の人口になぞらえると56万人救ったのと同じくらいのことをした!!といえる。(令和二年 忍性忌チラシより)

言うなれば、日本のマザーテレサ!!
鎌倉時代にノーベル平和賞があれば、即受賞の人。それが忍性さん!!

彼のあまりの慈悲っぷりに、お師匠様である叡尊さまという方は「慈悲がすぎる」という言葉を残している。仏の道を歩む人にとって「慈悲がすぎる」というのは、批判だという解釈もあるけれど最高の褒め言葉なのではないかとも思う。

さてその忍性さんの御命日が7月にあったので行ってきた。
忍性さんのお墓は奈良県の生駒というところにある。

お坊さんが何人も来られ、地元の人も多数参列し、とても良い法要であった。山の中で蚊がすごかったんですけどね・・・。

忍性さんがいかに慈悲に満ち、人間はもちろん動物にまでそのお気持ちを分けてやり・・という尊いお話を聞いたあと、法要に挑んだ。

参列者にも焼香が許され、遠いご先祖でありながら近しい気持ちのする忍性さんを偲ぶ参列者。折しも梅雨の雨が降りしきっていたのがやみ、光が刺し、まさにその場を寿ぐような瞬間だった。

ブシュウウウウウウウウウウーーーーーーーーという噴射音が響き、後ろの方で殺虫スプレー煙幕を作っていた。

で、殿下!?
「焼き払え!」
殿下ッ たったいま忍性さんの生類すべてへの慈悲のお話がッ

無茶です。早すぎます!!

「薙ぎ払え!!!」

この忍性さんが憧れ、生涯の手本にした行基さんという方のお墓も同じ場所にあります。そのお話はまた今度




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