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ペルシャ人×奈良

とある自治会さまのガイドツアーをさせていただいた。

もしもの時、ご近所同士で声を掛け合って、助け合って。という言葉はよく聞くけれど、ふだんから知り合いでないとなかなかそういう風にはいかない。というわけで、まず知り合いになりましょう!というコンセプトのもと遠足が企画された。なんというか、的を射すぎている。そして単なる遠足でなく、ガイドを雇って色々知りましょうというコンセプト。センス良すぎる。

集まったのは若いご家族からすでにおひとり暮らしの方までさまざま。
おひとりの方は「ひとりだとつまらないだろうし、参加するのに躊躇した。でもこれからはひとりでなんでもできないといけないと思って」とのお言葉。むむ。素晴らしい。来年中学2年になるという少女は、「科学園芸クラブ」に入っていて実験しながら園芸をしているという活動を教えてくれた。むむ、世の中はなんて進んでいるのだろう。7歳の女の子はそろばんを習っている話を聞かせてくれた。暗算がめっちゃ得意である。

色んな人がいて、色んな役割がある。奈良の歴史もそうだ。お寺や神社が残っていて歴史がある、ということはそこに携わる人々がいるということ。彼らを連れてきた人がいるのであり、住まいになった場所があり、ここで生きた理由があるのである。

破斯 清通という人がいた。はしのきよみちと読むらしい。
「破斯」という文字は、ペルシャを意味する「波斯」と同音であり同様の意味を持つという。今から1300年前の奈良時代に、ペルシャ人官僚が働いていたのである。 
 彼がなぜ平城京へやってきたのか? どんな仕事をしていたのか? 詳細はよくわからない。ペルシャは現在のイランのあたりである。官僚として働いていたのなら、日本語は堪能だったのだろうか。阿倍仲麻呂がとんでもなく優秀で玄宗皇帝から愛されたように、きよみちさんも時の天皇から寵愛を受けたのだろうか。

彼らが働き、作り、残した遺産が現在の奈良を作っている。もっといえばこの国を作っている。きよみちさんひとりの功績ではないが、きよみちさんがいなければきっと何か変わっていた。私たちの家庭や職場が、その構成員によって微妙に色々変わってくるのと同じだ。私たちは、それぞれが今の奈良に働きかけている。何かを知るというのは、その影響力が変化するということである。

帰り際、7歳女子がワインの看板を見つけて「あと13回遠足に来たら、ワインを飲んでも大丈夫になる」と暗算能力を発揮してくれた。

「じゃあ、一緒に飲めるね」
と相槌を打つと、「今何歳?」と聞いてくる。
「今44歳だよ」と答えるとちゃんと44歳+13年を計算して
「じゃあ57歳だね。まだ生きてるね」とヨカッタネと言った。
うん、13年後も生きてると思うよ。がんばるよ( ;∀;)

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