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平成の貴族 1000年前の山が見える暮らし

 家を探している。

 部屋探しをする際のポイントは人によってそれぞれであろう。家賃重視の人もいるし、間取りが大事な人もいる。友人はとにかく職場に近いところを求めてやまず、ついには会社に住むようになった。(起業した)おおぜいのにゃんこと暮らしたい友達は、にゃんことともに山奥へ去った。

 奈良市内で家さがしをする際、私が求めたのは「山」そして「五重塔」

 五重塔は興福寺の五重塔である。鎌倉時代に再建されたこの塔は、明治初期に興福寺が廃れるのともに解体の危機にあった。わずかなお金で売り飛ばされそうになり(瓦などをバラシて売るつもりだったそう)、なんとか免れて現在に至っている。
 そのいでたち。姿のよろしさ。月夜に映える美しさ。奈良市の中で一・二を争うビュースポットを眺められる生活はまさに平成の貴族である。かつて周辺の人々は等しくその恩恵にあずかっていたことであろう。今ではホテルや公共施設が絶好の位置を占めている。もし私に大金が転がりこむことがあれば、終生ホテル住いをするかもしれない。いや買っちゃったほうがいいか。

 もうひとつの山とは、御蓋山(みかさやま)、高円山、そして若草山である。

 御蓋山(みかさやま)とは春日大社の神が降り立ったとされる山。古代から神秘の山である。高円山は、現在は大文字の送り火をする山として有名だが、かつては大仏さんを作った聖武天皇の離宮があったとされるところ。そして若草山は、みっつの小山が連なり、こちらも古代から人々に愛されてきた山である。

 山ってすごいのである。人々が人々の暮らしを記録する前からそこにあり、今もってそこにあるのだ。特に1000年前は歌がよく詠まれたので、その歌ともに語り継がれた。「御蓋(みかさ)の山にいでし月かも」なんて、奈良好き、和歌好きでなくても聞いたことがあると思う。その「御蓋山」がすぐ近所にあって、望めばそれを眺めていられる場所に住める可能性がある。がぜんはりきるのである。

 かつて平城京が栄えていたころ、奈良の一等地は現在「平城宮跡」と呼ばれるところである。大和西大寺にあるならファミリー(ならファ)よりさらに奥の方を想像してもらえばいい。
 現在ミ・ナーラが建ってるあたりは長屋王の邸宅跡だった。高級貴族になればなるほど都の中心地に近いところに邸宅を持つことができる。大極殿に近いこと。それがステータスである。
 物理的な問題もある。彼らの仕事は政治家みたいなものだから、今の官公庁でもある都の中心地に住めば、出社も楽である。彼らはおそらくマイ高級車も持っていただろう。馬である。

 一方で下級役人になればなるほど、都のはずれに住むことになった。現在駅で言うと西ノ京、住所で言うと六条と呼ばれるあたりから平城京まで歩いていくと1時間くらはかかる。
 都の朝は早かった。日の出の20分くらい前に門が開かれたという。つまりはそのもっと前から門を開くべく待機している人たちがいるということである。夜明け間にはすでに起きだしていて、夜明けとともに出勤という感覚だろうか。都の役人は誰でもなれるものでもなかったろうけど、宮仕えも大変だ。今のリーマンとあまり変わらない。

 そんな悲しき役人たちの住まいからは、どんな景色が見えただろうか。
「景色がきれいなところに住みたいんです💛」なんてことを言う酔狂なことを言えるのは天皇とその家族たちくらいだったろう。してみれば、望んで景色のきれいな所を手に入れられるかもしれない現代の人は、相当すてきな世の中に生まれたと思っていい。

 かつて存在した1000年前の人たちが愛し、見つめていたものと同じものを享受できるのは、奈良ならではの良さだと思う。家賃も惜しい、駅近も重要。でもどうしても山が見えるところに住みたいのである。


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